電車が定刻に着いたら、何が誇らしいのですか?

日本が誇れることランキング1位「四季がある」

Q.日本が誇れることを教えてください(複数回答)
1位 四季がある 56.6%      
2位 電車が定時に到着する 48.1% 
3位 礼儀正しい 42.5%      
4位 治安 37.9%         
5位 水道水が飲める 36.6%

 

どこのどなたがどこで実施したアンケートか知りませんけど、

おそらく選択肢を二十個くらい用意されたのでしょう、そこから複数回答可で集計した結果のようです。

 

んで、この上位五位までを見た限りでいいますと、

この他の六位以下にある選択肢にしたところで、しょうもないものばかりなのでしょう。

そしてこんなにしょうもないものから、日本の魅力を選んでください!と言われた時、私だったら、こんなアンケート実施してる調査員の胸倉ひっ捕まえて怒鳴りつけるでしょうね。

 「こんな選択肢しか用意できないんだったら、君たちが日本に愛情も持っていなく理解もしていないことはよくわかるわさ」

 

外人に向かって、

「日本って水道水吞めるんだよ」とか「電車が定刻に着くんだぜ」とか自慢したらどうなると思います?

ほとんどの外人は、「だから何?」って思うはずですよ。

水道水なんかフィルターの性能向上すれば何とでもなりますし、電車なんか帝国に発着する以上に本数多い方が便利でしょ。地下鉄とか環状線の時刻表頭に入れる必要って一般人にはないでしょう?

 

まだ、食い物自慢とかフジヤマ自慢の村社会っぽいお国自慢の方が、はるかにほほえましく好ましいと私は思う。

 

それがさ、何をとち狂ったか、

電車の自慢かよ?水道水の自慢かよ?

 

 

日本が誇れること一位、「四季がある」

この見分と知識の狭さが情けない。

東京の気候は、上海とほとんど同じだわさ。そして四季のメリハリは北京に負けている。

まあ、空気あんなに汚くないってのは多少自慢できるかもしれないけど。

 

他人の空似?  The Who→

ロンドンオリンピックの開幕式のトリを務めたのがポールマッカートニーで、閉会式のトリを務めたのがThe Whoでした。

 

日本では、ほとんど知名度のないThe Whoで、そのせいで、

彼らが何者で何言って何考えてたかについて日本語で紹介されることはあんまりなかったです。

だから、私、二十年前からThe Who聞いてきたんですが、

彼らが何者だったかがあんまりわかっていませんでした。

 

最近になって初めてネットで英語の記事をあさり、The Whoってそういう人たちだったんだ!となんとなくわかってきたのですが、

 

Perfumeファンにとっては、『エレクトロ・ワールド』のギターの音の元ネタがThe Whoってとこでしょうか?

 

 

 

1965年にデビュー。

1969年にロックオペラという、完全物語形式のアルバムを発表し、それをライブで再現することで、世界的に大成功。

 

なお、ライブバンドとしても、世界一の音量のバンドとして名声を博す。

 

また、ドラマーのキース・ムーンの超絶変態奇行ぶりでも有名。

 

 

そんなThe Whoって、知的に小難しいことを時折言ってるみたいなんですが、一見するとちんどん屋のバカバンドなので、

かれらが何者かよくイメージが統合できないのですが、

 

そんなよく分からない彼らが、世界的名声を得た後にトライした企画が、

『The lifehouse

デストピアを舞台にし、音楽と映画とライブを一緒くたにして、さらには観客ファンを取り込んで彼ら自身を『Life House』の作品の一部にしてしまおうという、

 

野心的というか、よく分からない企画でした。というか、リーダーのピート・タウンジェンドに誰もついてこれなくてとん挫したそうです。

 

この後11年間The Whoは活動を続けますが、その間に発表された新曲の多くは、このとん挫した『The lifehouse』のために用意した曲の使いまわしだったそうです。

 

 

その代表曲がこれ。

www.youtube.com

ロックオペラを作るつもりが果たせず、しょうがないからと用意していた曲を通常のハードロックのフォーマットに従って発表するのですが、

 

リーダーが心の師匠とあがめるインド人の個人情報、身長とか体重とか誕生日とかの数値からシンセサイザーのオケが作られているそうです。

 

『The lifehouse』の企画で、観客の作品参加を促し、誰もが作品の中に自分を見つけることができるようにする、という無茶なことを考えたそうなんですが、

おそらく、こういう形で実現されることになっていたのでしょう。

 

 

ちなみにこの『Who's next』のジャケットのデザイン、『2001年宇宙の旅』のモノリスに由来するアイデアだそうです。

映画では、神に比喩的姿である黒い石に猿人が触れることで原人へと進化を遂げるのですが、

今の人間が突如そんな神に出会ったとして、何するかというと、

まあ、しょんべんでもひっかけてやろうか、と。

なんか、その気持ちよくわかります。

 

 

 

『The lifehouse』は

デストピアを舞台にしたSF設定のロックオペラですが、その世界観を反映した曲の一つである 『905』の歌詞を見ると、

www.youtube.com

 

お母さんは生育器 お父さんはアイスボックスの中の試験管

ぼくの生まれは人間工場

名前は905

 

Mother was an incubator
Father was the contents
of a test tube in the ice box
In the factory of birth

My name is 905,
And I've just become alive
I'm the newest populator
Of the planet we call Earth

 

まんま、オルダス・ハクスレーの『Brave New World』の設定を拝借してます。

ということは、『セラミック・ガール』の腹違いの兄弟みたいな曲というか、

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The Whoの『The lifehouse』の企画がPerfumeの近未来設定と非常に共通点のあるものだということに気づかされます。

 

andorei.hatenablog.com

ちなみに、この文章書いてたのがちょうどロンドンオリンピックの開幕式の直前。書き終えてテレビ見てたらケネス・ブラナーシェイクスピアの朗読初めて、びっくりした。

 

 

 

 

 

In suspended animation
My childhood passed me by
If I speak without emotion
Then you know the reason why

Knowledge of the universe
Was fed into my mind
As my adolescent body
Left its puberty behind

And everything I know is what I need to know
And everything I do's been done before
Every sentence in my head
Someone else has said
At each end of my life is an open door

 

一時停止のアニメーションの中で子供時代を過ごしたから、僕の言葉には心がない。

ぼくの知っていることは、僕が必要な事だけ。

ぼくが話すことは、誰かが話した言葉だけ。

 

Automatically defrosted
When manhood came on time
I became a man
I left the "ice school" behind

Now I'm to begin
The life that I'm assigned
A life that's been used before
A thousand times

I have a feeling deep inside
That somethin' is missing
It's a feeling in my soul
And I can't help wishing

That one day I'll discover
That we're living a lie
And I'll tell the whole world
The reason why

 

ぼくは、もう何度も使いまわされた誰かの人生を生きるだけ

この世界は嘘でできてるて見つけられたら、

それがどうしてかを世界に告げたいんだ。

 

 

 

 

まあ、そりゃ、元ネタが同じですから、Perfumeの近未来シリーズの世界観とは非常によく似ています。

 

The WhoにしろPerfumeにしろ、デストピアをネタにしているのですが、

デストピアだからもう生きていくの嫌です、で話を終わりにしなくて、

一応デストピアからどうやって抜け出すか、抜け出した後何が待ってるのか、まで語るのですが、

その辺も、両者必然的に似てしまうのですよね。

先ほど挙げた『ババオライリー』って曲の歌詞、『ドリーム・ファイター』と通じる世界だったりします。

 

 

節分 立春

一週間前、旧暦の正月でした。中国等の東アジアでは春の訪れを祝う日だったのですが、

旧暦すなわち月の満ち欠けを基にした太陰暦だと、二年半に一回くらい閏月が入ります。月見てりゃカレンダーいらないってのはありますけど、お日様の長さをあまり正確に反映していないって問題がありますんで、農業の種まきにのためにも太陽暦も併用してます。

 

今日は立春ですから、いわば太陽暦にもとづいた旧正月とでもいうべき日です。

新しい年に邪鬼が入り込まないように豆まいたりイワシの頭飾ったりするんですが、

最近は恵方巻きですか?

今日スーパーで海苔巻き売り場見てたら、常時は一巻き百円程度なのに、今日は付加価値絡めた海苔巻きが600円とか1000円で売ってました。そんで、ほぼ売り切れていました。

意外に恵方巻って定着してたようです。

 

私は、無論、買いませんでした。

恵方巻きの全国展開のうさん臭さ、それとたかが海苔巻きがこの日に限って5倍とかの値段に跳ね上がるという異常さ、

買いません。絶対買いません。

 

近年くだらない商品が増えたような気がします。

少子化で従来の需要が先細っている、ベビーブーマーの子供世代が家を買う年齢を過ぎてしまったので、大型の需要は今後もうないこと、などから、

くだらない商品をいい加減な嘘八百並べて売りつけることが増えてるように思われます。

これをして日本人が劣化した証拠とは思いませんが、

まあ、昔から人間はろくでもない生き物ですが、

それでも、この十年くらいの間に、くだらない商品って増えたような気がします。

韓流とか、AKBとか、ソシャゲ―とか、

オリンピックもそういうものの一つになってしまったようです。

その反面、本来優れた商品であったものが、デジタルデータ化されてほぼ無料でネット上にばらまかれています。

本とか、マンガとか、音楽とか、映像とか、そういうものはほんとに水のように供給されています。

なんか世の中おかしいのは誰でもわかる状況なんですけど、じゃあ将来どう言う方向にもっていきたいのかというと、誰にも何も分かりません。

 

 

そういえばPerfumeの新曲でました。つまらなかったです。ほんとに何の興味もなくなりました。

それでもぱみゅぱみゅの新曲よりはましかもしれません。

中田さんもうだめかもしれんね。

 

長澤まさみが『キャバレー』演じてるそうです

イギリスの小説家・クリストファー・イシャーウッドの『good bye to Berlin』

を基にして、『キャバレー』ってミュージカルができたそうです。


Liza Minnelli Performing Mein Herr with Chair

 

それを基にして ルー・リードの『ベルリン』ってレコードが作られました。


Lou Reed BERLIN(2008) trailer

 

その友達のデヴィッド・ボウイが影響を受けてベルリンに住み着いて、いくつか曲を書きました。


David Bowie - Heroes

 

 

それとは別の流れで、Perfumeもベビー・メタルも『キャバレー』とは無縁では存在しえないのですが、

 

そういうのとまったく無縁と私が思ってた、長澤まさみが『キャバレー』だそうです。

演出は松尾スズキ


【ゲネプロ30秒】松尾スズキ×長澤まさみ 伝説のミュージカル「キャバレー」が10年ぶりに復活!

たぶん、何かの間違いだと思います。

世の中終わりですね。

 


Perfume " TAKE ME TAKE ME " MIX

ミニマムにはミニマムの良さがあるというか、ミニマムにしない限り伝わらないものがこの世の中多すぎる。

 

三人の年齢って長澤まさみと大体同じなんですが、ほぼ十年前のパフォーマンスなんですが、

売春婦やってる人って全員が全員売春やってるようには見えないってのがリアルだとすると、この時のあ~ちゃんって妙にリアルな気がしてしまいます。

かしゆかとのっちはただしいはまり方してるんですけどね。

 

長澤まさみの方って、どうなんでしょう?

 

 

 

 

 

日本人は貧乏くさいのが好き

パフュームのファンからも感じられるのですが、

日本人は苦労話が好き。でも苦労の先の成功からの経済的豊かさに対して他者は、単にやっかみとも言えないような嫌悪感を示す。

 

これってつまり、日本人って、貧乏くさいのが好きなんだ、

言葉をもう一歩踏み込むなら、貧乏が好きなんだ、

そんな気がします。

 

かくいうわたくしも、いい年齢になってくると、家具のない四畳半一間の生活とか石油ストーブと玄米粥とかの生活がいいものだと感ずるようになりました。

日本人が伝統的に宮殿よりも茶室を愛してきた、というか日本建築史的には茶室くらいしかオリジナルなものを作り出してきていない。

贅沢壮麗な建築文化は中国と西欧からの受け売りに過ぎない、とか。

 

それに最近はシンプルライフとかミニマリストとかの追い風もありますんで、

 

私において、何がこのような貧乏くさい生活へのあこがれのきっかけになったのかというと、

ネットのおかげで音楽・映画・雑誌などに金を使わなくなったため、消費活動が極端に細り、金を使わないのが自分の中で当たり前になったってのがありますが、

その金を使わない娯楽の一つの支流として、ひなびた温泉地の素泊まり宿をネットで探して巡ることを秋冬に頻繁に行うようになったからというのが大きいです。

そういうところの宿って、四畳半とか六畳一間で、それ以外にほとんど何もないですから。んで、それでいいというか、それがいい。

 

 

ひなびた寂れた温泉地の格安のホテルや旅館を巡るのって、あんまり他の観光客と出くわすことはないのですが、

でもネットで読んでると、自分みたいなことやってる人たちっていっぱいいるんだなということが分かりました。

 

 

つげ義春の温泉 (ちくま文庫)

つげ義春の温泉 (ちくま文庫)

 

 

そういう人たちって、高い割合でつげ義春の愛読者だったりして、

貧乏とか、わびしさとか、ほの暗さとか、経済的苦しさに魅了された蛾のように、人気のない温泉にやってくるのですが、

 

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ゲンセンカンって、源泉館という漢字があてられるのが妥当でしょうか。わたくし、学生の頃にはゲンセンの意味が分かりませんでしたけど、温泉よく行くようになると成程と思いました。

熱湯の源泉というよりかは、命の源泉の意なのです。

英語にすれば、Spring Of Life でしょうか。

「はじけるような恋」とつげ義春の描く肉欲は全然違いますけれど、あの曲のPVが持っていたほの暗い世界観ってどこかでつげ義春とつながってる、んでしょう。

 

明けたけど めでたくもなし おらが春

一年前のPerfumeの紅白は、オンエア時に見てたんですけど、

今回のは、完全にスルーでした。

 

紅白歌合戦を全く見なかったのは、これが初めてでも何でもないのですが、まあどうでもよかった。

さっきyoutubeで見たんですが、まあ、こんなもんでしょう。

Flash』って楽曲に演劇要素ほぼないですから、舞台で大化けするようなこともないでしょうし。

 

紅白歌合戦があと何年続くのかわからないですが、テクノロジーによるこけおどし的パフォーマンスとしての小林幸子枠の後継者として存在感増してきてるのかもしれません。

 

それから、

新垣結衣の『恋ダンス』って何じゃ?と思い、しばらく調べていたんですが、

新垣結衣って、昔から変なダンスをCMで踊っていたんですが、

 

今回の『恋ダンス』ってPerfumeの先生の振り付けでした。

ほんとのところ、それ本当に流行ってたのかどうなのか、まったくわたしにはわかりません。

もし本当に流行ってたのだとしたら、Perfume的なダンスって世の中にまだまだ浸透していないだけで、人気の伸びしろってあるのかもしれません、

もしくは、本家のPerfumeの完成度が高くなりすぎて、「踊ってみた」「ちょこっと踊ってみた」「とりあえず真似してみたら思いのほか楽しめた」的な事が一般人には難しくなりすぎたゆえの『恋ダンス』需要だったのかもしれんと思いました。

 

何はともあれ、Perfumeの人気がしぼんでいく中で、こんなもんが流行ってるの?・・・的な苦い思いを感じました。

www.youtube.com

 

ところどころ、mikiko節とでもいうべき振付の言語的メッセージの強さ。気が付いたら心に言葉を刷り込まれてるような「やられてしまいました」感を感じる部分がいくつかありました。

 

最近、ベビメタを見ることの方が比較的には多いのですが、この『気が付いたら心に言葉を刷り込まれてるような「やられてしまいました」感』ってベビメタにはあまりないんですよね。

 

Perfumeはブスとかいろんな人がいろんなところでいってますし、自分もここで何度も書いたんですけど、

だったら、長澤まさみ新垣結衣にメンバー交代したらもっと良くなるのか?というと、ガッキーとPerfumeのかわいらしさって全然別のものだったのだよね、と、

まあ、はっきりわかりました。

 

今回は、こんなとこで。

 

 

10年前 

去年 Perfumeは10周年のアニヴァーサリーだったのですが、今年もすえが近づき、なんか十年を振り返ると身の回りの世の中それなりに変わったのだなと思われます。

 

中高年に「この十年で何が変わったのか?」と尋ねると、大概が肉体の劣化老化なんですが、

世の中的には、どうでしょう?

 

 

10年前は、まだテレビを見て、その内容にいちいち毒づく不毛な習慣が自分には残っていました。いやなら見なけりゃいいのに。今では、家にテレビがありません。

そういえば、新聞も雑誌も読まなくなりました。

 

 

10年前は、次世代規格のDVDとして東芝とその他の家電企業が規格争いしていました。「消費者不在でこんなことやってるから中国企業に負けるんだ」と思ってましたら、案の定日本の家電業界ガタガタになりました。勝者のブルーレイにしたところで、ほとんど使う機会がありません。

「私は、70年代までの映画がきれいに見ることができればそれでいいのです。『ゴッド・ファーザー』を見るのにブルーレイの高画質は必要なのでしょうか?」

10年前は、こんな疑問を周りの人に聞いてみたものでした。当時は誰もはっきり答えませんでしたけど、必要なかったですね、まったく。

 

10年前は、ネットにクレカの番号入力して買い物するのをまだ躊躇していました。ほとんどAmazonも使いませんでした。今ではもう本屋に行かなくなりましたし、他にも訪れることのなくなった商店がいくつもあります。

そういえば、紙の本を読むこと自体めっきり減りました。

 

10年前は、20年前と比べると、ネットとITの技術が下々の民に普及したときだったので、世の中変わったなという実感がありました。だから、まだ世の中進歩するだろ、よくなるだろという楽観的な気持ちがどこかにありました。今では、一般人的に使いこなせるPCの機能が出尽くした感があり、もう今後は便利さを実感することはないのではないか、ただ自分の周囲ががちがちにアルゴリズムで構成される息苦しさだけが増していくのではないかと、ほぼ総悲観になりつつあります。

音楽とか映像のコンテンツの検索や利用の仕方は便利になりましたが、新しいものが出てきません。「アイドルと一緒にめぐる世界遺産のVR」みたいなものが出そろったら映像作品って打ち止めなんじゃないかな。

 

10年前も温暖化だとか食糧価格・資源価格の高騰とか世も末的な話は多かったのですが、今となってみると、全部嘘だったんじゃないか?悪徳業者の金儲けのネタだったんだろう?というようにしか思わなくなりました。

エコ替え』とか、今思い出してもふざけた話でした。

そして、

イーロン・マスクが火星への移民団を募っているという話を聞いても、そこに全く明るい要素を感じません。地球だけだと人類滅ぶから他の惑星に分散させようという暗い話の要素しか感じられません。

 

10年前は、鉄板だと思われていた価値の多くが背骨折れたような気がします。

自分に関していうと北京以来オリンピックはほとんど見なくなりました。ノーベル賞も文系の方は冗談みたいな扱われ方です。文学賞はボブディランでぼっきり行きました。アメリカ大統領選挙もとんでもない代物でした。

国際化、文化、平和、教育、全部金儲けのための方便ですね。さらに言うと、金自体なんなんだろう?富って何なんだろう?

そういえば、今年の紅白の出場者名簿から和田アキ子が消えていました。五木ひろし石川さゆりが最後の砦で、この二人が抜けたら所謂紅白は終わりですよね。まあ、それでいいんですが。

 

 

ネットでいろいろ調べると、

スマホが普及したというのが多いです。自分的には電話なんか昔の携帯で十分なんですが、SIMフリーだと安いですから買いました。でもさ、PCの機能をすべて詰め込んだ電話が普及するって、15年くらい前にはもうみんな予測してましたよね。

タバコの喫煙場所が激減して、東京オリンピックまでに値段を二倍にすることでとどめが刺されるようです。

個人情報に世の中うるさくなった、にも拘らず抜け道探すやり方でデータは取引されてるらしくて癪に障る。さらに言うとPC上のデータはグーグルとかウィンドウズに根こそぎ監視されてて、ある意味『1984』を超えた世界に突入。

観光地が中国人に占拠されるようになり、老人が中国人の実態を知ったせいでことごとく反中化。

10年前、ビル・ゲイツスティーブ・ジョブズよりもずっと有名だった。アップル社のここまでの成功って、この10年間の日の丸家電の衰退を背景にしてたんですね。

などなど。

 

 

相当に意外なのは、紆余曲折ありましたけど10年前も安倍晋三が日本国総理だったことでしょうか。10年前の世界に戻って、「2016年暮れってこれこれこうなんだよ」って言った時、一番多くの人がびっくりするのって、このことかもしれません。支持率も50%超えてますしね。

 

そういえば、2011年に地震原発メルトダウンがありました。でも、だからと言って世の中の仕組みが大きく変わったかというと、そんなこともありませんでした。

 

 

自分的に言うと、10年前は私の実家はゴミ屋敷同然でした。家の中プラス敷地内の庭木プラス休耕田の荒廃の三重苦でした。今では人もうらやむ小ざっぱりしたところになりました。

10年前も『掃除力』とかの本は売れてましたし、掃除マニュアルの需要はあったのですが、断捨離とかミニマリストとかはまだ後の話だったように思われます。

つまりのところ、戦中戦後の困窮を幼少期に刷り込まれた世代は、物をため込む性癖が強い。その後の日本が先進国化してからの世代は、二代前のじっちゃんば~ちゃんが少ない備品で生活してたことを覚えているので、「親の世代だけゴミため込んでておかしいんじゃないか?」といい年齢になったときに気が付いた、親の洗脳が解けた。

断捨離とかミニマリストって、そういうことなんだと思われます。

 

 

10年後にはどうなっているか?に関しては、宗教の需要がなくなってぼっきり逝くだろうなという気がします。それ以外にも世の半分くらいの職業がなくなる可能性も言われています。

10年前も悲観的な話は多かったですが、ここまでではなかったですよね。

そして、社会の仕組みの根幹とでもいうべき資本主義も、10年後には今と同じ形を続けることは無理かもしれません。この点に関しては、なんかわくわくする要素を感じる

2016年の暮れであります。