目からウロコが落ちる

車の運転をするようになって、コンタクトレンズを付けることが少なくなりました。

コンタクトレンズのせいで、目が無性に充血したり痒くなったりということが、車の運転中に生ずると、非常に危ないんです。

そういう理由から、メガネかけていることが多くなったんですが、


コンタクトレンズというのは、よく見えるようになる為に装着するもんですけれども、逆にコンタクトレンズゆえに見えなくなる状態というもののあるゆえに、

目からウロコが落ちる、つまり、目に異物が挟まっていたのが外れることにより、物事の姿がはっきりとわかるようになる、といういみをあらわした言い回しには、
わたしは、ものすごく自然なものを感じておりました。


それが、コンタクトレンズを装着することがほとんどない生活を送るようになりますと、ある日、ふと気づくのですね。

「目からウロコ、って、目にウロコ入れるやつなんかいるか?目にウロコが入る場合なんかあるか?」

ないでしょ、どう考えても。
誰が、この奇妙な言い回しを思い立ったんだろう?コンタクトレンズの発明される前に、ウロコでも入れて視力の矯正を試みた人でもいるってんでしょうか?

わたくし、海沿いに住んでおりますんで、鮮魚を捌くことが多いのですが、全ての魚にウロコ付いているわけでもありませんし、冷蔵庫が普及するまでは、鮮魚食っている地域なんか限られておりまして、港の作れない地形の海沿いや内陸数十キロの土地では鮮魚ではなく乾魚食べていたわけでして、普通乾魚って、ウロコ落としてあるもんでしょう。ウロコつけたまま乾魚にするとしても、そういうウロコってもう透明じゃないですから、
「目からウロコ」という言い回しにリアリテイー感じるほどの透明度はないはずです。

言葉の語源が気にかかる年齢になった頃には、もうコンタクトレンズを使うようになっていたので、今の今まで気にもとめていなかったのですが、

「目からウロコが落ちる」という言い回し自体が、相当に変だ、ということに気がついたこと自体が「目からウロコ」

まあ、この話し、途中でオチが読めてしまいそうですけれども、


Perfume聞くようになって2週間目なんですけれども、一体今まで、目にウロコ何枚入っていたんだろうというような発見に次ぐ発見ですわ。

近年、個々人の趣味が蛸壺化しており、社会全体のブームがほぼ無くなってしまったと言われておりますけれど、

それで、つい2週間前まで、Perfumeについてほとんど何も知らなかったのですが、

よくよく考えてみると、
わたし、
浜崎あゆみの歌って、一曲も知らないんですね。
彼女のキャリアの全盛期に、外国にいたって事もあるんですが、そんでも一曲も知らないんですよ。
にも拘らず、歌番組やCMで彼女の歌っているところを見たことはありますし、また、街で流れているのを聞いたことは絶対あるとは思うのですが、
彼女の歌一曲も知らないんですよ。
彼女の整形された顔、メイク、声、歌詞、メロディー、曲の音構成、それら全てが私に「無視しろ、覚えるな、聞き流せ、右から左」と命令しているかのようです。
絶対聞いたことあるし、彼女の歌についての漠然としたイメージは確かにあるのですが、「じゃあ、ちょっと、サビのとこ歌ってみ」と言われると、全然できない。


同時期に人気だった、宇多田ヒカルについてはほとんど知っているので、それを考えると、浜崎あゆみブラックホールぶりっていうのは、ネガティブな意味ですごいことだなと感ぜずにはいられません。

日本のCDの歴代売上の第三位の浜崎あゆみで、わたしにとってはこんなものなんですが、

4位 ミスチル
6位 glay
8位 ZARD

についても浜崎あゆみと同様、ほとんど何も知りません。

2位 サザン
5位 ドリカム
7位 ユーミン
10位 チャゲアス

この辺だと、多少は知っている、多少は好意を感じる程度ですが、アルバム通して聞いたことなんてありません、買うはおろか、シングルいちまいレンタルしたこともありませんし、歌番組に出ているからって、特別にテレビ付けることさえしたことがありません。

このランキングを20位あたりまで引き伸ばして考えてみても、私にとってだいたい似たようなものです。

総売上の上位にランクしているので、私が好きなのは、宇多田ヒカルだけ。

我が身を振り返ってみると、近年個々人の趣味が蛸壺化して、人と共通の話題がなくなってきている、とは言われますけれども、わたし自身は、相当に筋金入りのマイブームの人であり、よくよく振り返ってみれば、幼少の頃からずっと蛸壺化した趣味のマイブームの人だったのだなと認識させられました。