Part 4 再生はどこからもたらされるか 152P

いきなり一日のPOVが1000超えていたので、一体どうしたんだろう?と思ったんですが、

実は小幡績氏のブログに、紹介されていました。



ついでに、2chでも言及されていました。


私が一週間で5キロ落としたとか、そういう私事とは関係なく、世の中進んでいくわけです。
アホらしくなって、ポテトチップス一袋食いました。





実は
この間に私は、


小幡績氏の
『世界経済はこう変わる』
『下り坂社会を生きる』
『全ての経済はバブルに通じる』
『ネット株の心理学』
を購入し、読んでいるのですが、

『世界経済はこう変わる』Part 4 再生はどこからもたらされるか 152Pまで読んだところで、「付箋」ですわ。

日本人の作る新しい組織の形…云々のところで付箋です。

そしたら、案の定、155pから「トップダウンボトムアップ」というどこかで聞いたような言葉が出てきて、
P156には、パフュームの話ですよ。

私が付箋を貼ったタイミングというのは、別に、奇遇でもなんでもないんですね、私から言わせると。


日本にはリーダの権限が不在でも互いに腹の底を探り合うような形でのコミュニケーションがあり、それでなんとかっていた。
というか、能力の高いメンバーの組織では、そういう奇跡が成り立っていた。

でも、そういうのは本来奇跡で、まれにしか起こり得ず、基本的には、日本人は大きな組織を運営することにむいていない。


こういう話をされている箇所に、付箋を私は貼ったのですが、



ちゃんと話し合いもせず、なあなあでなんでも済ませ、責任の所在はうやむや、結局掛け声だけで何も変わらない、
それが日本だ、

なんて思っていました、私は。

今でも、基本は、そう思っているんですけれども、

でも、


Perfumeと楽曲提供者の中田ヤスタカの関係(+振付師の方)ってのは、ずっと昔の日本の主人と専業主婦の関係と似ているのかもしれないって思うようになりましてから、
少し、それまでの自分の思いの至らなさを恥じました。


中田ヤスタカが強権的に、Perfumeに曲を提供しているように見えますけれども、
それは、昔の主人が専業主婦に、強権的に給料袋を一方的に渡していたように見えた事実と、中身はにたようなもんなのではないか、

結局、内実を取り仕切っているのは専業主婦の方なんじゃないか?


そう思うのですね。


ある時、中田ヤスタカ氏も気がついたんじゃないでしょうか、結局、何やったところで、曲の最終的な仕上がりは全部Perfumeの個性に塗りつぶされることを。


深々と一礼して、夫の給料袋受け取ってるように見えただけの専業主婦が、給料袋の意味=夫の社会的意義を恣意的に決定していたってことでしょうか。



中田ヤスタカ氏は、口下手っぽいのでPerfumeと言葉によるコミュニケーションあんまり取れてないような気がするんですけれども、

コミュニケーションって、言葉だけでするもんじゃないですからね、
しかも、彼らの本業の音楽とかダンスって、言葉から外れたコミュニケーションじゃないですか、

節々から相手の心を察し、相手が言いだす前に、それに対し何らかの対応をする。

そしたら、その結果に対して、中田ヤスタカ氏が自分の楽曲をPerfume向けに調整する。

そういうコミュニケーションのあり方、そういう組織のあり方って、うまくいっている場合には、
実は、最強なんだろうな、とPerfumeをみると思わされるわけです。


ここ数年来、自己主張が大事、エゴが最高、みたいなことばっかり言われて、そうやってエゴを主張して海外に打って出よう、みたいなことばかり言われていますけれども、


本当は、一歩立ち止まって、アメリカならびに世界中の連中に聞いてみるべきだったんではないだろうか?と思うのです。
「どうして、あなたは、隣りの人の気持ちが分からないの?どうして分かろうとしないの?本当は、8割がた分かるんでしょう?だったら、どうして分からない振りするの?」
ずっと前に、私たち日本人は、アメリカ人に対して、こう尋ねてみるべきだったんじゃないでしょうか?

そして、この答えの裏にあるものは、人種差別とか、階級社会だったりしたのではないでしょうか?

真面目に考えると、変でしょ?
犬とか猫の気持ちが、人間にはわかるはずなのに、どうしてああもバーバルコミュニケーションにあそこまで西欧人はこだわったのだろうか?ということが。



私は、小幡績氏の「今年パフューム、来年もパフューム、次の世紀もパフューム」という言葉が好きなのですが、

私が思うに、

「あと90年もパフュームファン続けるんですか?113才のかしゆかの太もも、オエッー」

っつーことじゃないんですわ。



小幡績氏の言いたかったことは、次の世紀にPerfume的なものが世界に一定のシェアを持てなかったら、おそらく人類は滅んでいるだろうって意味だと思う。

「今年パフューム、来年もパフューム、次の世紀もパフューム」これ、宮台真司氏が言っているなら、別にどうでもいいですよ。
重要なのは、エコノミストという世界崩壊の現場に立ち会っている人が言っている言葉だって点です。

PS
ブログに取り上げていただいてありがとうございます。
直接、そちらのブログに返信できなくて申し訳ございません。