パフュームの詞

もうそろそろネタ尽きか?と思わないでもないんですが、
意外にまだまだあるんですね、


中田ヤスタカ氏の歌詞、はっきり言ってむちゃくちゃなんですが、文学として成り立っていないことを認めて別の見方をすると、とんでもなく優れた着目点の持ち主ということに気付かされます。


ちくしょー、また騙された。ふざけんのもイイ加減にしてー

湿っぽい歌詞をはっきり聞かされるから、あんまり好きじゃなかったんですけど、
これ、俳句が延々つ繋げられているって意味で575なんですよね。

そんで最初の一句めが、
このこいは、まけたくないの giv'me giv'me up
で、英語紛れさせられているから、これが俳句だということに気がつかないんですよ。
しかも、音節の数英語でありながら俳句になってるし、

後になって気がついたとき、「あっちゃー、また騙された」ってことになります。

湿っぽい歌詞なんですけど、その湿っぽさって伝統的な日本故のもので、私たちは新しい流行とか西洋化をずっと追求してきたんですけど、
こうもあっさりと、伝統文化をサルヴェージされると、すごいびっくりするんですよね。




私たちの頭ん中は視覚イメージ処理する脳細胞がいっぱいあって、聴覚細胞はあんまり多くない。
となると、視覚イメージを処理するときは、「この光景はこういうもんだ」という偏見によってデータ圧縮しがちなんですが、
聴覚データを処理するときは、あんまりに容量が少ないんで、勝手に視覚イメージが去来しやすい。


よくある歌詞は、物語をつくって、その光景を聴く人にイメージさせるものなんですが、
物語のよくわからない音楽だと、かなり変なことになるんですよ。

『ワンルームディスコ』には明確な物語があるんですが、
新居のワンルームで一人で踊っている女の子の物語なんですが、
詞の世界を直接に踊っている女の子の映像で説明し切ってしまうという、従来の詞のあり方を完全に逸脱した手法が用いられています。
いい加減で、出来上がっていない空欄だらけの歌詞を三人に渡して、その空欄をダンスで埋めていく、
そういう手法が取られています。

新居に引っ越して、不安なんだけど、なんとかなるって思いもある。

下手な歌って、そういうところに力入れてしまうもんなんですけれど、
この場合も、確かにそういう行はあるのですが、
一人で荷物も解いていない部屋で踊っている女の子の気持ちを三人の踊る姿で説明する。
女の子がどんな希望を持っているのか、不安や辛いことに戦っていけるのかを踊る姿で説明する、

これ見たとき、私はやられたと思いました。

彼らの中での協調作業はどのようなものなのかがよくわかります。




リサイクル推進のためのキャンペーンソング。
これ、リサイクルのことを歌った歌だよね、という目で見ると、ほんとうにそれだけのツマラナイ詞なんですが、
クライエントは大喜びなんでしょうけれども、
パフュームが歌うとそれ以上のものに感じられるんですよ。

氷結のCMソングも、必ずシュワシュワとかの単語入りますし、「グリッター」なんか寝酒にいっぱいやることが生きがいの人のこと歌ってるんですけどね。

ある意味、これら手法って、ビジネスとの関わりあいとしてはものすごく誠実で正直なものに思われます。カッコ悪いかもしれませんが、嘘がどこにもないんですよ。

そして、エディット・ピアフについて言われていた「電話帳を歌詞にしても人泣かすことができる」ってのはパフュームも出来ちゃっているんですよね。

ただ、このPVみてると、かしゆかってこの頃、瞬きを正しいポイントで入れる演技ができていないんですよ。いまの『spring of life』だとちゃんといい所で瞬きできるようになりましたが、この時はあーちゃんとのっちがちゃんと顔面演技できているのに、一人で足引っ張ってました。
パフュームの成功は、かしゆかの伸びしろによるところが大きいなあと思わされます。




ほうけた顔して奥さんの前でこれ見てたら、翌朝にはDVDとCDが全部割れていたということがあっても当然でしょう。
この色気はどこから来るのか?ということについて考えるのですが、
イチローっぽい野球選手のことを歌っている歌詞ということになっていますが、

これ、本当にそうなんですか?

パフュームの性悪な点は、一見超絶にアホっぽいところです。
口パクもユニゾンも、アイドルといういでたちも、そして歌詞も、どうしようもなくアホっぽい。
それで油断してしまうんですが、

歌詞の中では、レーザービームってイチローみたいな人の外野からの好返球の事に決まっているんですが、振り付けを見ると、どう考えても、レーザービームを撃っているのって彼女たち三人なんですわ。別に詞の世界に存在する外野手が撃ってるわけじゃない。詞の中では、外野手が彼女たちの心をレーザービームで直撃している筈なんですが、
振り付け見ちゃうと、実は彼女たちが見てる私たちを撃ちまくっている、というとんでもない乖離が存在します。

最初のところで、電話かけているポーズとるじゃないですか。その後ろの音も電話なっている音に親和性が高いものでして、
にも拘らず、歌詞には電話なんてどこにも出てこないんですよ。

夜中に、ギラギラした目の美女がアホっぽいフリして男のところに電話をかける。まったくどうでもいい関係ない話をしながら男の気を引いていく。

Mっぽいフリして人の心に入り込み、その後は突如ドSとしてふるまい出すという、谷崎潤一郎的世界を私は、ずっと見ながら思っていたんですが、
そんなイメージがどういう仕組みで私の心に発生していたのか、今はわかります。


詞と振り付けをこのように組み合わせることで、別のストーリーが動き出すのですよ。

そして、最後のかしゆかのニヤっと笑うところ。これ奥さんに見られちゃうと、翌朝はDVDとCDは全部ゴミ箱行きでしょう。

なんでパフューム以前の人たちがこんな事出来なかったのかというと、
日本のアイドル文化が、定型フレーズ的な振り付けをいくつもいくつも積み重ねてきたからだ、そういうものを説明的な動作と組み合わせることで、ノンストップの振り付けがメロディのように存在するからだ。
そして、youtubeで再生されることを想定し、数十回の再生に耐えられるようなものにするまでアイデアを煮詰めていくからだ、と私は思います。


実際のところ、レーザービームって超絶にアホっぽい曲なんですよ。
奥田民生厳島神社奉納コンサートでこの歌歌っていますが、「虹色のラブびーむ」のとこ歌うと、毎回毎回観客の失笑が起きるんですね。

そして、このアホっぽさというのが曲者だったんですわ。

そして、露骨な口パク映像というのも、超絶にアホっぽいんですが、それが、
この女たちは本当のことを喋っていない、嘘ついているってことの比喩に見えるんですよね。


すごいよな、このアイデア

ていうか、どこまで分かってやっているんだろう?ものすごく不思議なんですよ。
のっちとかしゆかに比べ、あーちゃん、完全に空気でしょ?

あーちゃん一人、このコンセプト理解してない可能性がある。もしくは、彼女の戸惑いがちなダンスが、夫なり恋人なりを性悪女に寝取られる普通の女の代表という役なのかもしれない。




わたし、三人のキャラについて、こんなふうに思ってるんですが、

自分で鏡を見ているうちに、自分の魅力に気がついたのが のっち
他人から言われるまで、自分の魅力に気がつかなかったのが かしゆか
自分の鏡にお姫様フィルターの入っているのが あーちゃん


のっちと違ってかしゆかって、おそらく、周りが褒めてあげれば、どんだけでも伸びていく人なんですよ。
のっちの場合は、自分の限界をわりに自覚してる。一番高性能なんだけど、かしゆかみたいな大化けできるお調子者じゃないんでしょう。

あーちゃんの場合は、向き合う現実に、フィルター通してみないと気がすまない人。
それは、自分なりの文脈とか自分なりの夢とか言葉とかストーリーなんだと思うんですが、

それゆえに、体が素直に動きにくいんですわ。のっちやかしゆかは体が自由に動くのに、あーちゃんって何を伝えようか、どう踊ろうかということを頭で考える%が高いんだろう、と。


だから、PVだと、踊りよりもストーリー説明する演技に回る確率がすごく高い。

そんで、そんな人であるにもかかわらず、このレーザービームのなかで、うまく居場所見つけられていないんですよね。
性悪女を演じられていないんですよ。
なんでだろ?単にむいていないのかな?


そんでも、ライブだったら、一番目立つのあーちゃんなんですよ。観客との間にストーリー作り出すというか、ライブにおいてのストーリー理解していしまうと、奔放に動けるようになってくる。


車で言うと、のっちがエンジンで かしゆかがボディ あーちゃんが操縦系統
車って通にはエンジン、一般人にはボディが重要に思われるんですが、
操縦系統なかったら、役に立たない粗大ゴミですからね。






ニゾンがアホっぽいというのは、まともな音程の取れない中学生がカラオケで歌うときに友達の陰に隠れつつ歌うための御用達ソングに多いという、実に痛々しい事実の反映なのですが、

この点でも、わたしたちはまんまとPerfumeに騙されています。

パフィーの時は、はっきりと気がつかなかった。それは多分、あみゆみの顔が似ているからだったのだろうけれども、ここまで視覚イメージのはっきりした色分けの出来る三人がユニゾンするとき、
ふと立ち止まって思い込んでしまう。
この三人って、おんなじ気持ちで同じ歌詞を歌っているのと違うんじゃなかろうか?
別々のストーリー、別々の文脈がたまたま一緒に語られているだけなんじゃないだろうか?

彼女たちの視覚イメージを利用して、1行に3行分のイメージがこもる事になる。
この歌詞だと、隣に彼氏が寝てるはずなんですが、「二人の思い出を重ねて」って恋愛の過去形っぽいんですよね
この三人って、隣りに彼氏本当にいるの?
もしくは、何人かは、もう彼氏と分かれているんじゃない。

過去の恋愛を思っている人と、今の恋愛のことを思っている人と、未来の恋愛のこと思っている人が同じ歌歌っているだけなんじゃないの?

こういうイメージが去来するようになると、たしかに、パフュームが人惹きつける力がほかの音楽の三倍あるのは当然だわ、と思い始める。

何をやってくれたんだ?こいつらは、と思うのですよ。