パフュームと俳句


ちくしょー、また騙された。ふざけんのもイイ加減にしてー

湿っぽい歌詞をはっきり聞かされるから、あんまり好きじゃなかったんですけど、
これ、俳句が延々つ繋げられているって意味で575なんですよね。

そんで最初の一句めが、
このこいは、まけたくないの giv'me giv'me up
で、英語紛れさせられているから、これが俳句だということに気がつかないんですよ。
しかも、音節の数英語でありながら俳句になってるし、

後になって気がついたとき、「あっちゃー、また中田ヤスタカに騙された!」ってことになります。

湿っぽい歌詞なんですけど、その湿っぽさって伝統的な日本故のもので、私たちは新しい流行とか西洋化をずっと追求してきたんですけど、
こうもあっさりと、伝統文化を新しさの方向にサルヴェージされてしまうと、すごいびっくりするんですよね。


もしかすると、私個人の空耳アワーなのかもしれませんが、
このこいは、まけたくないの gimme gimme up

私には考聞こえるんですわ。

このこいは  5拍
まけたくないの 7拍
gimme gimme up 5拍


英語と日本語ごちゃ混ぜにして、拍数中心にして、俳句成り立たせているんですが、

これが、文学やっている連中には目からうろこなんだろう、そして、私自身も、そうとうびっくりしたってのは、

英語 俳句 でググるとわかると思います

一番最初に来るのが
http://homepage1.nifty.com/samito/poems.htm

俳句を英語に移すときに、拍数を全部無視して、季語だけ取り入れている。
こうなると、本来和歌の57577って、吟じる、つまり抑揚つけて歌うもんだったんですが、それ、全部消えちゃうんですよ。

そして、いわゆる頭のいい人、本当は、パフュームと間逆の方向の権威主義のアホって、
こういう方面で満足してしまうんですよ。


もうひとつのあり方として、英語の拍数を主体に、575を翻訳するというやり方ってあったはずなんですよ。

そして、デヴィッド・ボウイも俳句を英語に翻訳しようという試みをやっていますが、中田ヤスタカ氏みたいに、拍の数主体にまとめるという発想にはいたれていません。


中田ヤスタカ、こいつにはやられたよ。

私たちパフュームファンは、自分の感動の原因を女の子たちへの賞賛にまとめてしがちなんですけれども、
実は、彼女たちの裏方って、すごい面白いことやってるのですよ。