しばらくダイエットとDVDとCDとyoutubeは止めることにしました

これだけ語っておいて、非常に意外な結論に到達したんですが、

わたし、この書き込みをしている期間、一日一食ダイエットを行なっておりました。確かに効果がありますし、続けていると空腹感から惨めさとつらさが消えてしまい、ただお腹がなっているだけになりました。
そんなにデブじゃないんですが、高校時代の体型まで7キロ位戻そうと目論んでいまして、事実それはほぼ達成できました。今後一日三食に戻すとリバウンドがあると思いますが、それは運動で落とし、以後は筋肉質に体を作って基礎代謝を増やすことで体型を維持していこうと思っています。


それはいいんですけれど、昨日布団の中で自分のお腹を触ってわかったんですが、消化機関って心臓より下から生殖の上までで、上半身の半分以上を占めており、本来そこに使われるはずだった血液のかなりの部分が頭に流れ込む。更には、腹が減って体重が減り始めると「どっか行って猪でも捕まえて食べなさい」という数万年前から続く人間の警告機能が働いて、アドレナリンが放出されるらしい。

頭に血は貯まるわ、ドバドバアドレナリン流れ込むはという状態で、パフュームを毎晩毎晩繰り返し繰り返しyoutubeでみて、非常に高い確率で涙を流していたんですが、
そんな中でブログに自分の感動したことを書き綴っていると有名人からコメントはもらうは、掲示板では褒められるわ、コメントで同意をしめされるわ、ほかのブログでもほかの人が似たようなことを書いているわ、シカもちょうどパフュームの海外進出と重なる時期で、嫌が応にも気分が煽られていたんですが、

ある日ふと気がついたんですが、自分はとっくに感動することに疲れてしまった。本当は『ポリリズム』を繰り返して聞いてくり返しなくようなことは何かおかしい、というか感動することに疲れてしまった。


そして、こういう結論に達しました。
頭に血は貯まるわアドレナリンはドバドバだわ、しまいには脳内麻薬放出されているような状態で、毎晩、時にはほぼ夜通しパフュームを繰り返して見ている、自分は聞いているのではなく見ていると思っていたのですが、このような合法的なドラック遊びをやっているような状態であの中田ヤスタカのエレクトロなトランス音楽を毎日毎日聞いていたわけです。本来こういう音楽って、薬物が併用されるたぐいのものですから、まあ健全な愉しみ方ももちろんいいのですけれども、脳内麻薬分泌されているような状態で、こんな音楽何時間も聞いていると、意味もなく涙流したりするようになるんだろうな‥・(いや、厄介なことにそれなりに妥当な意味があるらしいのですけれど)そうゆう目的に絞ってパフュームを聞いたとしても、これ相当な「商品」として成り立ってるな、と。しかも過剰なライティングの舞台演出の映像付きの。

どうやら、私は「感動ジャンキー」化しているのではないか?パフュームで感動することに中毒化してしまい、いつかは訪れるパフュームに飽きることと感動できなくなることに恐れを感じて、それ故に過剰にパフュームについて考え文章を書いていた。そして考えれば考えるほど頭に血が溜まり、この感動中毒ぶりが増幅されていく。
日ごろ無表情で生きている人間に限って、音楽とか映画という容易いメディアを使って感動しようとするもんですが、私の場合はおそらくそれでしょう。
パフュームで泣く前にもっと日常生活で適切なときに泣くべきなんでしょう。
そして、そう考えると、頭から血と興奮物質がさっと引いていった。私の理屈が正しいかどうかわかりませんけれども、このように考えたことに鎮静効果があったことは事実です。


パフュームを謎にみたてシャーロックホームズごっこをするにあたり、私がとった手法の一番の間違いは、

視覚
イメージ
歌詞
音楽

の順に重要とみなし、音楽に無自覚だった、それゆえ、ダイエットドーピングという卑怯な方法で頭は冴えていたんですけれども、音楽にまんまとやられていた。
パフュームのどこかに催眠術的な要素があるんじゃないかと考えてみたこともありますが、こんな状態で毎晩毎晩聞いていたら、そりゃ、ショパンでも「犬のおまわりさん」でも催眠効果発揮しますわ。



パフュームは集団であり、個人の機能を束ねた複合体ですから、近代文学の作者研究的な手法だとどこまで行っても結論が出ない、
「謎だ、奇跡だ」で止めておいて、適切に楽しんで、実はのっちが一番すきなんだけど、ほかの二人も音楽もみんないいよねということにしておくべきだったんです。
アイドルとしてファンになる人もおり
音楽の面から好きになる人もおり
流行の最新娯楽として楽しむ人もおり
私のように映像と音楽の新しい融合の形とみるのもいいのでしょう

そして、どれかの見方が、彼女たちの本質であり、それゆえに今後5年彼女たちのファンを続けることが本物のファンなのだ、というのとは違うのだろう。
好きになったら、ファンになればいいし、何か違うと思ったらファン辞めてもいい、そんでまた戻りたくなったらファンに戻ればいい。
一貫して好きだから、というファンのあり方自体、個人ではなくひとつの小さな社会であるパフュームにはむいていないのではないだろうかと思うのです。
そして過剰にパフュームに期待したりすることは、酒やドラッグやセックスにハマる行為と大差ないのだろう。

毎晩毎晩というのではなく、年に一度三日くらい、それこそ祭りに参加するような形で盛り上がるのがパフュー無の正しい処方箋なのかもしれない、などと考えております。

そう出来なかったというのは辛いところです。たまたま私自身の人生にリンクが貼られているように感じましたし、ここから通して他の人の人生にも大量にリンクが貼られているように見えたもんです。そして、新しい世界像新しい人間関係みたいなことさえ思ったんですが、書いてみると大げさに見えますが、
いまだに、そんなに間違っていないだろ?という気がするのが不思議なところです。


Perfumeは何だろう?ということを突き止めようとするなら、相手は小社会であり、構成員も核の部分を除けば流動的なのだろうから、研究学会みたいに集団を組んで、突き止めるべきなんではないでしょうか?



このしらけきった最終結論、もしくは中間結論、のついでに私の見つけたことを簡単にまとめておくと、

①リズムとダンスのズレを作って、グルーヴ感を出す。視覚からリズムが生み出されることに普通の人は慣れていないですから、これやられると、まんまとのせられる。

簡単な例ですけど
音   たん たん たん たん たん たん たん たん
ダンス たん らら ずず たん ずん    たた たん   

同一の音色のリズムを所々ところ分割するだけでなく、時にはダンスの力強さや形成するイメージに差異を示していくことで、リズムにメロディーが乗っているように錯覚させる。 


本日のしらけきった印象からなんですが、
五感を混線させて遊ぶパフュームみたいなあり方ことって本来、そんな健全なことではないですよね。
盛りつけや色を操作することで、食ったら体に悪いようなものを食わせるための小細工とか不健康ですよ。

それに、車に乗っているとき、助手席の人に、視覚イメージ占拠するようなこと言われると、斜線間違えてたり、ウィンカー見逃しますわ。
試しに、運転している人にダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の話とかして、絵のイメージ頭に植付けてやると、それ道路標識と競合しますよ。
本当はこういうの危ないんですよ。




②歌詞に捨て行、空白、機械処理による濃淡をつくり、
それに対応するダンスも 言語化可能な行、不可能な行、単なるアイドル振り付けの引用と同様な構成を行い、
この二種を微妙にずらしていくことで、
歌詞とダンスの間に行間を作る。そして、その行間に、パフュームの女の子の表情やイメージをかさねつつ、実は観客に自分の心の内面を投射させる。

この行間を読ませる、つまり異なる二つのギャップを論理推論で埋めていくことなんですけど、この作業を強いられる過程で、私たちは、パフューム三人の明るい素直さみたいな人間性と個性に相当に、影響を受けてしまう。
彼女たちの人間性と私たちの無意識が即興的にこの行間を作詞していくといってもいいのかもしれません。
そして、この行間を読むというか書き込んでいく作業は、人によってまちまちでしょうが、それなり相当の共通性もあるのでしょう。

この点が、パフュームファンの間の異様な共感を生んでいるのではないか?そう考える次第です。

更に言うと、メロディーと歌詞の色合いを違える、つまりハッピーなメロディーに悲しい言葉をのせ、そこにダンスを入れることで、三行詞を作り出し、その行間を読ませるというか書き込ませる技法もあります。

行間を作り出す、それを読ませるということは、普通の音楽でも当然行なってきたことなんですが、パフュームのような視覚イメージがダンスと演技することで、男の立場としては、男女の擬似恋愛的な光景を感じ取ることがより容易なふうに私には思われます。

そして、映像と音、言葉のギャップを利用することは他の人たちもやってきたことでしょうけれども、パフュームの場合は、非常にとっつきやすい要素がいくつもある。音楽だけでも自立できるほどいい、アイドルである、ところどころ変なポーズがある、ノンストップ振り付けというのはポップス史上ほとんどない。
そして、それをyoutubeでくり返し見ることが常態化しているので、
この行間を埋めていく作業に、慣らされてしまっていた。

バレーなどの、一過性の芸術だと、ここまでうまく行間を書き込めない。ミュージカル映画などの2時間もあるものだと長すぎて、なん度も繰り返してみることができない。そう思われます。





ダイエットをやめて、興奮物質の分泌が平常通りになったら、またパフューム聞きますけどね。
あと、聞くのと見るのやめても、パフュームについて考えたり書いたりしますけどね。