独力で思いついたけど、幕内秀夫の本にも書いてあったこと  色彩という視覚刺激と味覚

おいしそうという表現、
・・そう、って何なんだ。おいしそうって、食べてもいないのに、なんでうまいかまずいか判断できるんだ?

 食べ物の写真を見たときに、「うまそうだ」と感じるのは一体どういうことなのだろう?

 写真という視覚刺激が、一体どのように「うまい」という味覚刺激に変換されるのだろうか?
写真の食べ物がかつて食べたものと似ている場合それはおいしそうだと推論するのが妥当。しかしそれだけだろうか?
 それだけならば、食べ物の写真に特殊な加工をしたり、ライティングで実物と異なる色彩を求めようとはしないはずである。ほとんどの場合料理の本に載っている写真と比べると、実物の料理は少々枯れた色合いをしているもの。
 つまり実際以上においしそうな色彩が存在するということは、かつて食した経験を思い起こさせる以上のものが、料理の外見・色彩にあるということ。
  
 
食べてうまい味と別個に見てうまそうな色が存在し、それは赤、緑、黄色、アイヴォリー色、茶色の5色。
そして、これはマクドナルドの色であり、もしくはピザハットの色。


アメリカのあの手の企業は、このような心理学実験を行いマーケティングに利用しているらしい。
おいしそうな料理の写真、なぜ、ああも執拗に緑色を料理上に散らさなければならないのだろう?
ねぎを刻み、パクチーを盛り、バジルを振り掛ける。緑を目で味わうことはそこまでして必要?
 旨い料理を作るなら、意図的に上の五色を皿の中に散らすようにすればいい。出来ないなら皿の色で補えばいい。

 もし文学的に色彩に頼って美味を表現しようとするのなら、赤、緑、黄色、アイヴォリー色、茶色の5色の内で料理の中に足りない色彩を別の場所から補ってくる。緑が足りない場合は、窓の外の木立の描写を混ぜる。赤が足りないならバラの花の描写をさりげなく混ぜる。アイヴォリーに欠けるなら、皿の色を描写してもいい。

 しかしマクドがそれほどに旨く見えないのはなぜだろう?ひとつにはアメリカ人の食い物が全般的に不味いので、アメリカ人にとってはあの程度で十分なのだろう。
 ピザはマクドよりは旨そうに見える。その鍵は光沢だろうか。ソースとチーズ油成分のなかに光が入りこむと、きらきらと輝く。これが料理にライトアップ効果を引き出しているらしい。

ピザは世界で最も成功した料理の一つだが、なぜああももてはやされているのだろう?
あれは美味な色彩で構成された絵画だから


 光学的に、美味しそうな色彩は、波長が550から700に集中している。青臭くて茎の硬い青菜と柔らかくてほの甘い青菜の色の差が500から550くらいにあたる。

 この色彩由来の旨さ判断能力は、人間の中に先天的に刷り込まれた強固なプログラムのような気がする。

こんなことばかり考えていると、なぜ中小絵画が生まれてきたのかわかるような気がする。自然界は、うまそうな色彩だけで構成されているのではないから。
そりゃそうだろう、石ころや毒虫までがうまそうな色をしていたら、人間の胃袋は壊れてしまう。

うまそうな色だけで絵画を構成してみたいと思うなら、どうしても抽象的な表現に走らざるを得なくなる。
もしくは絵画なんかほっぽり出して、ピザ焼き職人になるしかない。



また、やたらと色彩豊かでつややかな果物や花には死の匂いを感じる。
果物や花には、種を孕み育てる使命があるのだが、種が育つ前にサルやトリに捕食されてはかなわない。
人間が美味しそうに感じる色彩、つまりピザの色だが、それらはもう生命を全うし朽ちるのを待っている植物や動物の色のように思われる。