誰の持ち歌? その2

「三人合わせてパフュームです」なんだから、個別の曲に対して、
これは誰の持ち歌?誰メインの曲?とぐだぐだ考えているのは、変だ。

という指摘を受けましたが、

中田さんのNHKのインタヴューは、私も見たんですが、
「のっちの声がバキバキで、あーちゃんは広がりがある声で、かしゆかは下手だけどいいインパクトになる。んで、三人の声を合わせるとあんな感じ」(今ひとつ不正確でごめんなさい)

中田さんは、三人の女の子を絵の具みたいに利用して絵を描くみたいに楽曲作る人、というイメージが私の中にあるんですが、

これって楽曲の段階でとどまっていなくて、振り付けやPVやステージ演出の視覚イメージにまで及んでいることです。



パフュームって、仲いい、息合ってる、って言われますけれども、意外なくらいに三人の個性の色分けはっきりしているグループで、

当時興味もなかったし、今もないんですが、ウィンクってどっちがどっちでもどうでもいい。未だに区別つかない。




Perfumeって振付見ても、同じポーズをとるときに、意外なほど三人の肘とか膝の曲がる角度がまちまち。

私、いままで、ミュージカルのバックダンサーの踊りを真剣に見たことないんで、パフューム程度のまちまちさ加減は、無視すべき誤差レベルなのか、それとも本来修正すべきズレなのか、よくわからないんですけれども

程よい三人の個性の表現になっているように、私には思われます。彼女たちバックダンサーじゃなくてフロントなんですから、これくらい個性の色分けできないと逆につまんないと思うんですが、

容貌の違い、服装の違い、ダンスの色合いだけでなく、性格の違いや一般的イメージの違いまでを、
絵の具みたいに利用して視覚イメージ作っているんですね。


「のっちはバキバキ、かしゆかは下手だけどいいアクセントになる」この基本が忠実に実行されている楽曲。
一方あーちゃんの影は薄い。

ほとんどのっち一人で歌っているような曲なんですが、誰が歌っているかによってPVの画面に映る人が決まり、ステージングのセンターの位置が決まるもんらしいんで、
のっち主役に脇役二人という画面に仕上がります。

「のっちはバキバキ、かしゆかは下手だけどいいインパクトになる」
この理屈、音楽だけでなく、振り付けでもほぼ同様で、かしゆかがセンターに入るときの変な動きは、確かにインパクトになってる。


ドリームファイターだと、誰が歌っているのかがはっきりしているんですけど、
パフュームって三人の声混ぜ合わせて、誰が歌っているのかわからない状態にしているもの多いです。

しかし、PVやステージで視覚化する際には、立ち位置や画面に映る時間で、誰の個性で曲をまとめようとしたのかがなんとなく分かる。
「あーちゃんの声には広がりがある」
この曲では、あーちゃんが相当張り切って歌っています。そして映像的に完璧に主役です。一人だけ演技が妙に細かいです。

かしゆかは、三人のうち一人だけ、どアップがない。この頃のかしゆかは、まだ二人の足引っ張ってた。

この詞なんですが、CMをちぇっくしてみると、
「ああ、プラスチックみたいな恋だ」の箇所使われていないんですね。

2ch読んでても、「ああ、プラスチックみたいな恋だ」の一行には批難ゴーゴー。
そりゃ、普通は、プラスチックって安っぽいって意味に捉えられますから。
「こんなん、ただのリサイクル推進ソングじゃ」みたいな意見がほとんど。

でも、あーちゃんのイメージが被ると、「広がり」がプラスチックの単語の中に生じてしまい、なんかもっと深いこと歌ってるような気がしてくるんですよ。
これは、声が広がりを持っているというよりかは、あーちゃんのパブリックイメージによるところのものだろう、と。
ポリリズム』ってのっちの声と一本気なイメージでは、おそらくまとめられない、私はそう考えています。


石田彰氏の話しを聞いてて思ったんですが、私も含めて、「パフューム」は映像付きで楽しむもので、CDだけでは物足りない、という
ヨウツベ派」は、パフュームのファン歴浅い人が多いんじゃないでしょうか。
それなんでかというと、かしゆかが本領発揮してくる前のパフュームって映像的には今ほど素晴らしくないからです。

パフューム初期の頃は、「とりあえずのっちセンターに立たせとけ」みたいなのが多いんですが、この頃になってくると、「三人合わせてパフュームです」ってくらいですから、
PV作る際には、「今回はこの女の子メインにしてバランスとって云々」という気遣いが出てきたんじゃないでしょうか。
もしかすると中田さんが作曲する時点で、既にそういう気遣いしているのかもしれん。

『ワンルームディスコ』って片手上げて踊る振り付けが多いですから、
ノースリーブで肩だしてるかしゆかが一番目立つのは当たり前のことですわね。

森高千里ふうにのミニスカートにして自分のイメージをしっかり主張しだしてからのかしゆかは、それまでの脇役専門から、主役もはれる人になってきます。



これって誰の持ち歌?みたいなこと考えて、何かいいことあんの?と思われるかもしれませんが、
例えば、この曲三時間も踊ってて、そのラストの曲なんですが、体力のペース配分という実際的問題に関して、三人の中で誰メインの曲かってのは、あるんじゃないでしょうか。

ここでは、あーちゃんひとり満面の笑顔で、あとの二人、もう体力残ってない様に見えます。

「わしゃぁ、最後の曲で頑張らんとならんから、ここじゃ少し体力残しとくわ」「これ、あんたのメインの曲じゃけ、わし少し休ませてもらう」そういう事情あるような気がしてるんですよね。

個別の映像取り出して、誰の表現力が一番だ!みたいな言い方は、あまり得るところがないだろう、と。
身体能力的にはのっちが一番だってのは、みんなわかってることですが、身体能力=表現力 というもんでもないですしね。





『グリッター』の歌詞について、のっちが
「これは『ドリームファイター』の続編で、私たちはいつも輝いていないといけないという中田さんからのメッセージ」(今ひとつ不正確でごめんなさい)と言っていたんですが、

それに対して、わたしは、「自分の持ち歌みたいに感じられる場合、曲に対する思い入れ人一倍なんやろ。世間一般的には、寝酒にチューハイ飲んでシュワシュワ、みたいな歌詞やのに」と思ったんですけれども、

別の曲の時には、もしかすると、
「最近、中田さんは私がメインになるような曲書いてくれない」とか「これ絶対私向きの曲なのに、かしゆかにセンターとられて悔しい」みたいな感じ方することもあるんじゃなかろうか、とも思ってみました。
まあ、これに関してはどうでもいいんですけどね。



ただ、これには少し驚いた。

PV見てて、これはのっちメインの曲だろ、そんで、「ノッチで出汁とって、あーちゃんに説明させて、かしゆかで花添えさせる」的な必勝パターンって少々マンネリ化しているよな、と思ってたんですけど。

テレビ用に2分半に編集された振り付けを見ていると、かしゆかがサビの時センターで踊るパートがとばされている。
のっちとあーちゃんのW主役状態。

スプリングってバネって意味ありますから、体にバネのない踊りしてたら「なにやっとんじゃ」と言われておしまいなんですけど、
今回のあーちゃんの動きは切れている。

PVはアンドロイドの悲しい物語を語ることに時間取られていて、あれを全部なくしてすべてダンスにしたらどうなるんだろう、どうせのっちメインのバキバキのものになるんだろう、と思っていたんですが、
意外に丸っこい振り付けが組み合わされていて、少々意外。
それゆえに、あんまりのっちの印象が強くなく、むしろあーちゃんメインの印象。
あーちゃん、海外デビューに合わせて、体絞って筋トレしてたんでしょうか。

小幡績氏のブログ読んでいると「隣村のアイドル的な親しみやすさを捨てて、プロフェッショナルの道を選んだことはもちろん良いことだけれども、少し寂しい」(少々不正確で申し訳ないです)というようなことが書かれてあったのですが、

なるほど、こういうことだったのかと、一人で納得。

海外でライブやるとしたら、あのMCってやっぱ無理なんだろうな。PTAのノリも通じないと考えたほうが普通だわな、との判断なんでしょうか。
あーちゃん体鍛えてダンスで勝負する路を選択したんでしょう。

パフュームって、仲よし、互いに尊敬している、ずっとやってきた仲間っていっても、実のところは互いにライバルという側面もあり
「今回、あんた調子悪いからベンチね」みたいな扱いあるんですね、多分。

今回はかしゆかがそうなったんですが、『レーザービーム』の時は、あーちゃんがそうで、あの時は完全に空気だった。