パフュームが海外で成功できなかったら、日本人はあと百年は世界のネタ民族

http://gyao.yahoo.co.jp/player/00865/v00109/v0000000000000000830/

このパフュームについての感想なんですけれど、


意外なくらいに、ピンとこない。

何をやりたいのか、何を狙っているのかは、痛いほどわかるし、
その価値も理解できるんですけど、

いつものパフュームの映像から感じる物が、まるで来ないんですよ。


なんでだろうと考えるに、歌詞ないからだろうな。
歌詞とゼスチャー言語の微妙なズレってのが、パフュームの表現力なんだと私は思っているんですが、

たんなるダンスパフォーマンスになってしまうと、
「アンタらよりうまい人はいくらでもおるがね」と、かなり冷たい見方をしてしまう。


今の今まで、こういう文章書くきっかけが見つけられなかったんですが、
パフュームって、日本人のエッセンスが詰まった存在であり、それって、狙って出来上がったものではなく、
たまたま、紆余曲折を経て、出来上がったものだろうと私は思うんですが、

それが、海外進出となると、どうしても、このような「はたから見た時にわかりやすい日本のイメージ」というのと付き合わさせられることになる。
「はたから見た時にわかりやすい日本のイメージ」というのは、
蝶々夫人以来のオリエンタリズムつまりフジヤマ芸者の世界なんですが、



YMOの場合は、始っからそれらとどうやって関わっていくかの戦略を練にねって、そこを海外成功の突破口としようとしたんですけど、

パフュームの場合は、成り行き上仕方なく、このようなフジヤマ芸者の世界に付き合わざるを得なくなったという感じです。



メイク、照明ともども、本来の彼女たちの魅力消してるようで、能面化しているように見えます。
そんで、ほんと、まんまと、フジヤマ芸者の世界です。

パフュームが海外、それもフランスみたいなとこに出て行くってことは、この百五十年の歴史を持つフジヤマ芸者のイメージとどう対決するかみたいなことでもあるわけでして、

手っ取り早い宣伝イメージとして利用する分にはいいんでしょうけれども、結局このイメージに縛られたままそれでオシマイ、というのが、ここ一世紀半の日本の文化史なのではないでしょうか?


YMO三島由紀夫もこのレベル超えていくこと出来なかったですも。
オリエンタリズムという偏見は、非常に手ごわい敵であると、私は認識しております。

なんで、これ見てピンと来なかったかというと、オリエンタリズムという外人の頭を縛り、更には日本人にとっての対外イメージのあり方さえを縛り付けている敵を少々過小評価しているんではないか、と感じたからなんでしょうか。


まあ、こんなこと書いてましても、別の日に、もっといい画質と音質で見直したら、全然印象変わるかもしれないですけどね。