ああプラスチックみたいな恋だ

ポリリズム』の詞で、「ああプラスチックみたいな恋だぁ」って箇所ですけど、

普通はプラスチックって安物、まがい物、インチキって意味で使われてきたんですが、

一体全体、中田氏は何を想うてこんな単語使ったよ?とずっと思ってきたんですが、

リサイクルのキャンペーンソングじゃから、プラスチックの再資源化への愛着をすり込むための詞だろ、と思ってる人おおぜいいるでしょう。

わたしだって、暫くの間はそんなふうに思っていまして、氷結系列の詞と合わせて、中田ヤスタカって作詞においては無茶苦茶やりよるな、と。


ラバー・ソウル

ラバー・ソウル

ローリングストーンズみたいな黒人音楽のものまねに対してプラスチックソウル(偽物のソウル)と呼称されてたことに対し、
「自分たちも似たようなもんじゃろ」とラバーソウル(グんにゃりしたソウル もしくはゴムの厚底靴)とアルバムタイトルにした。

「結局何やっても白人による黒人のものまねなんじゃろ。黒人にはなれんのじゃし、もうこれいいでええわ」的な開き直り。

そんでも、そのアルバムタイトルに反するかのように、黒人のR&Bのカバーもなし、単純なロックンロールもなしで、
白人であるビートルズ西洋音楽回帰的なアルバムだったりする。



ロックンローラーは27歳で死ぬという様式美に付き合いきれなかったデヴィッドボウイが、グラムロック路線の次に採択したファンク路線。
自分の音楽を「プラスチックソウル」と形容した。
映像で見てみると、ファンキーな黒人の中に混じってガリガリのデヴィッドボウイの浮いた感じが「プラスチックソウル」のなんたるかをよく表している。

このしばらくあとも、また音楽路線を変更するので、その一貫性のなさは鋳型に合わせて何とでも姿を変えるプラスチックを多くの人に連想させた。


このように見てみますと、プラスチックという単語は、ポップミュージックの歴史では必ずしも否定的な意味で使われてきたわけではないのですね。
ただ、それでも、一般的には否定的な意味で使われていることを前提とした上でビートルズなりデヴィッドボウイはプラスチックに肯定的な意味を見出そうとしたわけでして、



中田さんの場合は、どうよ?


perfumeについていろいろなことを書いていますと、そのことについて確証得たいと思うようになってくるもんでして、

文学研究者が、やってることと似たようなことですけれど、

中田氏のcapsuleには、以下のような使い方もあるんですわよね。

まず『プラスチックガール』


どうすかねぇ。「都会自体に、世の中自体に、心こもっていないんだから、個人がプラスチックで何が悪い?」的な開き直りがあるような気もすれば、鉄腕アトムとかプルート的な、ロボットに心があって何が悪いんですか?みたいな主張の匂いもします。

生きてる実感わかんなくなること多いけど、自分に感情があることだけはわかる、
我感ずる、故に我あり センティオ エルゴ スム と。

まあどっちにしても、歌詞カード的に中田ヤスタカの詞に接することの不毛感はcapsuleの場合も確実にあります。正直、歌詞カードだけで見せられると黙殺するレベル。
じゃあ、音と合わせて聞けばワンダフルなのかというと、
もろピチカート風の曲。私おしゃれな人とかオシャレな街とかそういうの無縁なんですよ。perfumeがらみでなきゃ聞く機会なかったでしょう。


ちなみに『プラスチックスマイル』

アルバムでは『ポリリズム』の次の曲なんですが、
80年代のアルバムって、二曲目っていつもこんな五月病みたいな感じでしたわ、そういえば。

どうよ?プラスチックってどういう意味合いで使われてるよ?ポジティブですかネガティブですか?

正直、わかりません。
ポジティブな側面とネガティブな側面、両方あるんでしょう。

ビートルズとかデヴィッドボウイのこと考えても、そういうプラスティックの語感って正道ですわ。


ただしかし、『ポリリズム』って結局どうだったんだろう?
あーちゃんが、ポジティブマインド全開でプラスチックって言葉を歌っちったんじゃないでしょうか。
あーちゃんの性格がどうのこうのを差っ引いたところで、文脈考えると、あの箇所のプラスチックってポジティブな意味で歌うしかないでしょ、普通は。