久しぶりに面白いことを書いた パフュームと手話
ロンドンオリンピックの閉会式でジョンレノンのイマジンが使われたんですが、リバプールの少年少女合唱団が手話付きで歌っていまして、
no hell below us above only sky
の箇所の手話、
below と aboveとskyが、見てて分かってしまいました。
時々手話って、世界共通語なんじゃないかと誤解してらっしゃる方がいるんですが、
それぞれの国の言葉を手のサインに置き換えたものが手話でして、
言葉違う国の手話って、わからないのが基本のはずなんですが、
でも、意外に見ててわかるもんなんですね。
skyとかいきなり言われても、その音声に空とつながる要素はほとんどないんで、言葉として覚えない限りskyの意味ってわからなくて当然という気がするんですが、
手話の場合って、各国の言語によって文法とか単語の示す範囲やニュアンスはそれぞれかもしれませんけど、
そんでも、普遍的に存在するモノや概念に対する単語の手話表現って、相当に強い共通性があるのだろう、
更に言ったら、手話勉強しなくてもそれなりに単語ってわかってしまうもんなんでしょう。
『エレクトロワールド』だと、
「空の太陽が〜」
2分30〜35秒のとこ
空の振り付けは手話とそっくり
ちなみに太陽は
マルかいて、側頭部に光の線を描くという表現は、ほぼperfumeと共通しています。
このように見ていきますと、perfumeの振り付けって、手話のできる人にとってはあらかた意味が通じているんではないかと思えてきます。
(もしかしたらあえて狙っているのかもしれませんが)
英語の手話を元ネタにしているのかもしれませんが、
perfume語とでも言うべき言葉なんではないでしょうか。
言葉使って生きていると、
みんなそんなに真面目に人の話聞かないもんだし、
話している方も、自分の本心偽っているようなとこありますんで、
それはお互い様の、薄っぺらいコミュニケーションなんですが、
そんである種のボディランゲージの読み方マスターした心理学者とかには、言葉と仕草の乖離が見えてしまうんですけれども、
手話って、その表現自体が仕草を縫合するもんですから、
言葉と仕草の乖離ってあんまりないんじゃないか、
ろうあ者って不便な生活しいられているかもしれませんが、
いわゆる健常者の、言葉が嘘くさく感じられてしょうがない仕草との矛盾するような関係ってものを素通りして生きているのかもしれません。
そして、言葉だけを取り繕って本心を隠しているような時は、
その隠そうとする態度と仕草だけがろうあ者には見えてしまうんでしょう、きっと。
「ありがとう」を、このように表現する手段しかもたなかったとしたら、、もっと人間って楽しく生きることができるのではなかろうか、そんな風に思ったりもします。
そんなふうに思ったりする原因と、perfumeを愛好する原因は、おそらく同一のものなんでしょう。