三重苦

物の好き嫌いは、人それぞれで、他人の嗜好にいちいち突っかかってみたところであんまり得るとこはないとは思いますが、

『spending all my time』についてのわたしの猛烈な拒否反応というのは、
パフュームとはあくまであのゼスチャーというか振り付けあっての独創的な芸であり、
音だけ聞いていても、取り立てていうほどの…

という思い故、perfumeをCDで聞くことがほとんどなく、youtubeで動画で見るのですが、


このようなパフュームファンって、かなりの割合でいるようです。
エヴァンゲリオンのかおる君の中の人もそう思ってるようですし。


PVの出来がどうのとか楽曲の出来がどうのという以前に、わたしのパフューム観に対して相容れない作品であるので、

問題はそこなんですわ。


あの振り付けがパフュームの存在価値であり魅力であると考えるものにとっては、
それを裏に引っ込めるこのPVと、このようなPVを必然的に撮らせる結果になる楽曲にたいしては、ほんと猛烈な拒否反応です。


ほとんど振り付けがないPVの中で、わずかばかりの振り付けの箇所。

手踊り。体全体を使わない。おそらく万単位の巨大な会場では、手踊りだけでは観客に何も伝わらないだろうにと思った。


歌詞一行だけ。
spending all my time 日本語にすると  「…しながらすべての時間をすごす」と空欄補充問題のような意味。

この空欄には (あなたを思う) もしくは (あなたを愛す)  が入るのだろう と予想したんですが、

ほんとに、あなたを愛しながらすべての時間をすごす という詞でした。

支離滅裂な中田節ではなく、あっさり予測可能なものであったことが少々驚きでしたが、
それ以上に驚きなのは、それ以外の歌詞が無かったこと。



どうすんの?振り付けで説明する箇所が残されておらんやんけ。
どうすんの?PVで何を説明したらいいんじゃ?

とあっけにとられたんですが、


spring of life のPVって歌詞とリンクする点がいっぱいあるんですが、
spendin all my timeのPVって、面白いかもしれないですが、歌詞とリンクしてない独立した作品みたいなもんでしょ?

旧東欧の超能力者養成所、そしてそこにある開かずの間。

浦澤直樹の『モンスター』かよ、って設定ですが、
当の浦澤直樹氏、これ見てどう思うんでしょう?




早々とアップされてるもんです。

「まあこれもありか」的なゆるい受け止め方もできますけど、
わたしの当初の危惧、つまり手踊りだけ体全身を使わないんだったらライブハウス以上の会場では伝わらないだろうに、というのはあながち外れていないようです。



どこかでどなたかが言われてましたが、確かにこの振り付け、「見ざる聞かざる言わざる」ですわ。

まあ、一行だけの詞なんですけど、
この詞って、fake it の歌詞の真逆ですわね。


この曲の単調なリフレインが導き出す閉塞感。起承転結の無い世界。

「誰かを愛し続けて一生を過ごす」って、不自然で人間を檻の中に閉じ込めるようなもんでしょ。
「誰かを愛し続けて一生を過ごす」って、道徳的に殊勝で尚且つ崇高なロマンに満ちているように思えますけど、
そんな風に一生を過ごすためには、現実を無視し、自分の心の本当のありようを無視し、
自分で自分を檻の中に閉じ込めるようなまねが必要なのでしょう。


おそらく、PV製作の段階で、この曲をどう視覚化するかのうちあわせの際に、そんなことが話し合われたのではなかろうか、と。



見ない、聞かない、言わない まるでヘレンケラー状態ですが、
そんな人間がいたとして、どうやってコミュニケーションとったらいいんでしょう?

テレパシーでも使ったらいいんじゃない?

このPVの超能力テーマって、そのあたりなんじゃないでしょうか。


こういう話、一介のファンによる推理ゲームとしては楽しいんですが、

パフュームってこんなに回りくどい存在じゃないはずなんですけどね。





聞こえない話せない見えないの三重苦と言えば、これでしょう。
ロックオペラトミー。

たしかに『spending all my time』につうずる要素、感じますわな。