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人の顔色を伺う とは

人間は直立歩行するゆえに人間と定義されている。

だから人類はいつ誕生したか?という問いには、直立歩行した猿人の化石人骨の年代が回答となる。800万年前くらいに二足歩行するサルが地上に現れたらしい。



二足歩行するために、人の骨盤は幅が狭く産道が細くならざるを得なかった。
それに反してヒトの頭部は大きく、

大き目の頭が小さめの産道を通って生まれてくるゆえに、
ヒトの赤ん坊の身体とその能力は、きわめて未熟で、
小さめの頭で大きめの産道を通って生まれてくるチンパンジーと比べると、

チンパンジーと比べると、
チンパンジーの新生児と同じ身体能力に達するには出生後一年かかるそうです。その間は、きわめて無防備で他力本願な状況におかれたまんまです。



その間、赤ん坊は大人の顔色ばかり見て生きる事になります。
母乳もらうために親に愛想振りまかないといけないですし、いろいろな世話を焼いてもらうためにも人間の大人を微笑ませなくてはなりません。


その結果人間はどんな生き物になってしまうかというと、
こんなふうな点を三つ並べただけなのに、人間の顔を見出してしまうのですね。
二つ有る目とひとつの口。


赤ん坊って生まれたばかりのときは、ぼんやりとしか目が見えないですから、母親に胸の位置で抱きかかえられたとしても、その距離だと母親の顔をぼんやりとしか認識する事ができないですから、
こんな三点みたいな感じで人の顔を認識しているそうです。
紙にこんな風な「顔」描いたのを見せるだけで、赤ん坊はニコニコ笑うそうです。


子供がどうしてアンパンマンとかドラえもんみたいな絵を好むのかは、このあたりに理由が見出せそうです。

それから、
私の場合ですと、トヨタヴィッツのような車は、出っ歯のネズミに見えてしまいます。

ヘッドライトが目で、ナンバープレートが歯で、タイヤが四足に見えてしまうんですが、
このような私の性癖も、元をたどれば、ぼんやりとした視力しか与えられていない乳幼児が大人と必死にコミュニケーションしようとしたころの認識パターンの名残といえるのでしょう。



そして、人間って、いつになっても人の顔が気になってしょうがないものらしく、
異性の顔を見て、それがどうしたああしたと品評せずにはいられず、また自分の顔についてくよくよ悩まずにはいられず、そして人の視線が気になって仕方なく…、
という性癖を一生引きずってしまうもののようです。


そのように考えると、
Perfumeの芸とは何なのかについて少しだけ理解が深まるような気がします。


Perfumeの曲って、よくわからない歌詞ですし、そこに当てられた振り付けもいくらでも多様な解釈を許せてしまいそうなものです。

じゃあ、だったら、ファンの間において共通の理解を放棄せざるを得ないのかというと、
そうではなく、
女の子たちの顔の表情を読み取っていくと、かなり解釈の幅は狭まり、ほとんどの人たちにとって妥当な落としどころが見つかるような気がします。

何のかんの言っても、私たちは人の顔に注目してしまうんですよ。
人の顔が美しいかどうかのみならず、
相手はどんなつもりでそういうことを言ったのか、そういうことをしたのかの意味を顔の表情の意味を加味する事で解釈しているのです。

人の顔色を伺う についてということですが、
Perfumeがどんな意味を伝えようとしているのだろう?と真摯に理解しようと努めるとき、
彼女たちのパフォーマンスしているときの表情に私のバイアスは大きく影響されています。

彼女たちの振り付けの意味や歌われる歌詞の意味や曲の意味を、彼女たちの表情から読み取ろうとしている自分にふと気がつくわけです。



曲は中田やすたか任せ、歌は加工済みの上にユニゾンの口パク、振り付けはロボットっぽさを表に出すためにシンクロ主体だし振付師によって考案されたもの、

だったら、主役の女の子三人は何やってるの?って話なんですが、

ダンスの中に彼女たちの個性が表出するとか、ステージでのMCで個性出してるってのは確かにあるでしょうけれど、

彼女たちが、Perfumeという共同作業の表現の中で一番多くの貢献をしているのは、人として血の通った顔の表情を観客に与える事で、曲とパフォーマンスの解釈の焦点を絞らせている事なのではないか、と私には思われます。


この歌詞ってどんな意味だろう?今の振り付けって何意味してたんだろう?ってときに、私は知らず知らずの内に彼女たちの表情にその解釈を頼ってきたのですね。

だから私がこのブログの中で何度も繰り返ししつこく取り上げたyoutubeの動画のいくつかでは、絶妙のタイミングで彼女たちが笑いますし、絶妙のタイミングであーちゃんが涙を流したりします。

また、DVDの副音声で彼女たちが語っていたりしますが、
振り付けがうまくハモれたところでは歌詞の意味と関係なく笑ったりするようですし、うまくいかなかった場合でもステージ上で苦笑いしたりするそうです。

こういうのはプロ的でないと考える事もできますけれども、
生身の人間がやって気持ちなくないポーズや動きの中に本当の気持ちのよさってないはずですし、
生身の人間がやって気持ちいいポーズや動きの中には素直な気持ちよさが宿っているのが現実ではないでしょうか?

表現者の独りよがり的なものが、女の子三人のフィルターを通すときにことごとくろ過されて、受け入れやすいものになっている、
今の私にはそう思わる次第。



ちなみにこのマカロニでいうと、1分55秒のあーちゃんの表情が素敵。