Perfume の 姿勢 『edge』
「Perfume + 姿勢」で検索してみたんですが、
文字通りの体の姿勢について何らかの形で書かれていた方はただ一人。
それ以外の人は、一定期間保持される態度という意味での「姿勢」について書かれており、
これ、意外な盲点ではなかろうか?
Perfumeって姿勢いいんですよ。
このことは、紅白でAKBの人海の中に埋もれてしまうはずが、姿勢の良さと動きの質の高さゆえにものすごく目立ってしまったことで、私は実感しました。
こちら、「Perfume + 姿勢」で検索して「姿勢」について触れられていた方のブログから引っぺがしてきた画像。
(このブログ主の記述には笑わされました。あんたは私ですか?みたいな話がぼつぼついたるところに散見される。だから私言ってるじゃないですか、人間って個々の人生の文脈を無視すると、その時点その時点ではほとんど同じことをどこかの誰かと偶然にシンクロしてるもんなんですって)
Perfumeの御三方は
アキバ系の人たちと比べると、体の中心線がきれいに伸びているのが見て取れる。
まあ、それはいいとして、
edgeって、よくわかんない曲なんですよね。
これ、CDで聞くのとyoutubeで見るので印象かなり変わります。
CDで聞いていると「アイドルなんだけどかっこいいテクノ」的な、かっこいいんだろうけど、どこかにいいわけが透けて見えるような曲に感じられます、わたしには。
あんまメリハリ無い曲ですし、あと、女の子たちの声が幼く聞こえる。
「えっ、Perfumeってこの頃こんな子供っぽい声してたんですかぁ」と少々びっくりしてしまうんですが、
youtubeで見ると印象全然変わります。
去年、Perfumeのファンになりたての頃は、この動画見て、
『1984』的なもんだと思い込んでおりまして、
顔面のスクリーンへの大写し、催眠術的な不安定な旋律、時折入るどきつい歌詞など。
で、今、見ると、
このビデオ、
引田天功ショーの類を狙ったものなんだろうか?などと思いまして、
つまり絶体絶命の檻の中からどうやって抜け出すか?というテーマで演じられているのだろう。
そしてその絶体絶命の檻というのは、マトリクス的なもの(『1984』的と言い換えても大差ないんでしょう)かもしれませんし、もしくは全然うまくいかなかった恋愛の結末でもいいのかもしれないし、何一つ思うにままならない人生のつらさでもいいのかもしれません。
CDで聞いていると、女の子たちの声が幼くて抑揚がなくて、
つまり
女の子たちはMで、強烈で執拗なリズムがSという倒錯した中田さん的世界観だと思うのですが、
かたやステージでは、
「どうせ人は死んでしまう」という宿命を受け入れた後の強さがメリハリの効いた形で表現されています。
特に、最後のあーちゃんの背筋のすっと伸びたポーズですね。
音や言葉よりも、伸びた背筋の姿勢の良さを「聞いている」わけですし、
腕組みしているポーズの、その腕の組み方、
挑戦的ポーズであるにしては、若干緩めに腕が組まれていて、
絶体絶命の檻から逃げのびることができた人が、自分の身一つ以上にまだ何か少しは抱きかかえることができるという余裕を感じてしまいます。
そして、その余裕の中に、見ている側は自分も生き延びることができる可能性みたいなもの、ささやかな救いみたいなものをぼんやりと感じたりするのではないでしょうか。
Perfumeの声で表現されなかった分量と動きで表現されてしまった分量の落差、溝、それを私たち見ている聞いている者たちが心の中で勝手に埋め合わせてしまっているのでしょう。
こういうやり方がPerfumeマジックなのだろう、と思う次第。
前回の御陣乗太鼓のとこでも書きましたが、
芸能ってこういうもんであるのが本来の在り方で、
音や言葉だけ聞いて「音楽」を語るのって、ラジオの発明以降なんでしょう、きっと。