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前回の続き  とりあえず温泉から

いろいろと温泉地をめぐる、そのうえ家の風呂にもお土産で買ってきた温泉の素や湯ノ花を入れてみたりすると、

段々と思うようになるのですよ、

この湯とあの湯はどこがどのように違う、ということについて。

硫黄濃度がどうしたとか、塩分濃度がどうだとか、とろみがどうしたとか、PHがどうたらこうたらみたいなことについて、

ワインテイスティングでもやるみたいに、あたってるのか外れているのかよくわからないのですけど日本温泉大図鑑(まあそれに似たような名称のガイドブックですけど)の温泉成分表をチェックしつつ「ここの湯はどうたらこうたら」「あそこの湯は自分の趣味とは合わない」みたいなことを独りつぶやいたりしていたのですが、

或る時、

「あっ、ここのお湯は、二か月前に入ったあそこのお湯と似ている」ということを強く感じたのですが、

これって、よくよく考えると、皮膚が触覚刺激というものを記憶していたということだよな、と思い当りました。



私たちには五感というものが備わっており、目の視覚、耳の聴覚、舌の味覚、鼻の嗅覚、皮膚の触覚がありまして、
大体のところこの順番で重要だと私たちは考えているようです。

目で見える情報、耳に聞こえる情報がメジャー情報だとすると、残りの三感覚はマイナーで、
味覚にしろ嗅覚にしろ触覚にしろあまりにも受け身一辺倒なのですよね。
それゆえ些末だとして無視されやすい感覚でありますし、

視覚や聴覚は、目をつぶって脳内で映像や音楽を再生することは、もちろん相当に主観にゆがめられた不正確なものであるとはしても、
わりかし簡単にできます。

それと比べると、目をつぶって脳裏に、三年前に食べた高級レストランで食べた食事の味や匂いを思い描いたりすることは、かなり難しいことではないでしょうか?

さらに言うと、真夏のくそ暑い日に厳寒の吹きすさぶ風への鳥肌の感覚を脳内で再生することはもっと難しくはないでしょうか?

マイナー感覚は、そういう主体的な脳内再生がかなり難しい。

卑近な例で言いますとセックスの気持ちよさって皮膚への刺激がほとんどですから、あれを脳裏で事細かに再生できるようですと、ほとんど廃人に向かって一直線でしょう。

ただ椅子に座って目を閉じているだけで人生満ち足りてしまうことになってしまいそうです。