最後はあ〜ちゃんでしょ、?
①曲ができる
②PVができる
③テレビ、ライブ用の演出と振付ができる
④テレビ、ライブ用の映像編集
にも拘らず、あ〜ちゃんがライブで泣く場面については、問答無用で、編集権があーちゃんに譲渡される。
撮影のカメラを指揮している人も
編集してる人も、結局あ〜ちゃんがどんなふうに目を潤ませるかばかり気にしてる。
結局、最終編集権握ってるのは、あ〜ちゃんの涙と笑顔だったりするのよ。
CDで聞く時と、Youtubeで映像付きで見るときでは、
曲の解釈が異なってしまうくらいなんですが、
『spring of life』みたいなストーリーの突出したPVの場合、それ、ライブで再現しないといけないのかな?と。
ライブだと『spring of life』のPVの物語は半分くらい無視、「春だからこいしたい」みたいにシンプルにまとめられます。
つまり、
曲つくった人と
Pv作った人と
振り付けと演出した人の
思うところがそれぞれ別のものであるというのが、Perfumeの面白いところなんですが、
じゃあ、どれが、最終的に残る、楽曲の解釈なのかというと、
ライブで あ〜ちゃんがどのタイミングで泣いたか、どのタイミングで笑ったか、によってきまってしまうんでしょうね。
『spring of life』のPVにある死のにおい、というもんがライブの映像にはどこにもなくて、
あるのは、あ〜ちゃんがどこで笑ってどこで涙ぐむかという、そういうことだけだったりします。