『ごちそうさん』 関和亮  

perfumeの振付と 方法論は共通しています。

言葉と視覚をずらすテクニックですが、

言葉と視覚の共通性の高さの度合いで文字の色合いに濃淡をつけました。


突然 偶然 それとも必然

始まりは気づかぬうちに 予報通りに いかない模様


そんな時こそ微笑みを


ポツリポツリと町の色 変わってゆけば

傘はなくとも 雨空に唄うよ


どんなでもアイシテイル 

顔を上げてごらん 光が照らす


涙の河も海へと帰る 


誰の心も雨のち晴レルヤ



ツッコミ加えてみますと、こうなります。


突然 偶然 それとも必然

(卵って、始まりですから)
始まりは気づかぬうちに 予報通りに いかない模様


(みるからに模様です)


そんな時こそ微笑みを





ポツリポツリと町の色 変わってゆけば

傘はなくとも 雨空に唄うよ




どんなでもアイシテイル 

(いやいやいや、あまちゃんの美少女たちと比べると、杏の17才役はつらい)


顔を上げてごらん 光が照らす

(そのまんまです)


(杏の目の高さから川になるところの芸が細かい、)
涙の河も海へと帰る 

(海藻と亀が映って海になります)


(誰でも、という事は、地球すべて)
誰の心も雨のち晴レルヤ

(駄洒落ですか)



こうして、詞を見ますと、テーブルに雨の降ってくるあたりが歌の境界線になっているのが分かります。

境界線より前は、詞と視覚の対応が少なく、後はほぼ完全に詞と視覚が説明しあう関係になっています。


こういうPVを何度も見ていますと、その境界線あたりは、本来 詞と視覚の対応関係がないにもかかわらず、
対応している要に徐々に錯覚してしまうのですね。

つまり、何度も聞いていると、 鍋の載せられた食卓=微笑み  と無意識的に刷り込まれてしまいます。


このあたりのテクニックはPerfumeとほとんど同じです。


そして、おそらく、この歌と画面は、『ごちそうさん』の物語を簡単に説明しているものであり、

グダグダしたストーリーで序盤は行くんですが、東出と杏が結婚して大阪に行くあたりで、物語が一気に加速し、
その後ラブストーリーの後、つらいことが起こって、それでもくじけず光を見つけるヒロイン、


という、
先がすべて読めてしまいます。


Perfumeのおかげで、わたし、明らかにさえた人間に成れたような気がします。