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たまごの殻に入ったヒビ   Perfumeを理解するに役に立つイメージ

天使のたまご』 押井守 


近未来三部作と言われる三作品がありますが、
あれらを嫌いだというPerfumeファンはあまりいないと思います。

まあ、それはいいんですが、


もう一回新三部作を作ってくれよ、みたいに思っている人もたくさんいると思います。

問題はここなんですよ。

実は、もう、三部作の続編とか番外編は作られているんじゃないか、とかどれとどれは続編だとか番外編だとか、そういう細かい話になると、ファンの間でも話まとまらないんじゃないでしょうか。


その意見のまとまらなさの理由の一つは、なかた氏の作品はPerfumeにとっては脚本みたいなもので、その上に視覚イメージが何重にも塗りこめられていくのですから、

SF趣向のPVである『スプリングオブライフ』って、歌詞的にはSF要素ないんですけど、
あれって、近未来三部作の続編として扱っていいのか、どうなのか、に関しては意見の分かれるところだと私は思います。

まあ、どっちでもいいんですけどね、わたしには。

わたしは、近未来三部作、とくに『コンピューターシティ』『エレクトロワールド』を 卵の殻にひびの入る瞬間の歌と解釈しており、
SF的趣向って、割とどうでもいいんですね。

たまごの内側、子宮の内側、そういう安楽で痛みのない世界にぬくぬくしていると幸せなはずなのに、だんだんつらくなっていく。
そろそろ外に出ないと息が詰まってしまいそうなんだけれど、

でも、外には何が待っているかわからないから、怖い。

そういう葛藤の物語が『コンピューターシティ』だったり『エレクトロワールド』だったりするのでしょう、と私は思うのですが、

まあ、その葛藤に、恋愛の物語が差し込まれています。
男の子が葛藤していて、女の子がその殻にヒビを入れてくれる。


ウチとソトの葛藤、それが近未来三部作の核の部分であるとみなした場合、
それに類する作品って、じつのところ、ごろごろしているんですわね。



ゲーム・オーバー風のイントロで始まりますけど、
あれ、たまごの殻にひびの入る音に聞こえます、わたしには。
ワンルームって、たまごの殻、もしくは、引っ越す前の地元がたまごの殻、

いつまでも部屋で一人で踊ってりゃいいって歌詞でもなくて、
計画立てて、外に出ていこう、って詞だったりします。
でも、部屋の方が居心地いいから、ついグダグダ音楽かけて一人で踊っていたりするんですが。

関和亮作品。『ごちそうさん』OPとにているのもむべなるかな。



詞の冒頭が鉄腕アトムに酷似している点を除くと、近未来的なものは何もない曲です。

なかた氏の詞は、陳腐と言えば陳腐ですけど、普遍性があるテーマを取り扱っているといえば、その通りなわけで、
それゆえに、勘のいいクリエーターには、「なかた氏はきっとこういうことが言いたいに違いない」と二歩も三歩も踏み込んだ曲の解釈ができるようです。
そうして踏み込んだ解釈のイメージが振付やPV、更にはライブの舞台美術、更には次回作の企画へと連なっていくところが、Perfumeの強さなのでしょう。

核となるなかた氏のイメージが時流に乗っており、また、普遍性が高く、
そのうえ、自分の作品が自己完結しておらず、後続のスタッフの仕事の余地を存分に残している、そういうことなのでしょう。

『スパイス』
「たまごの内側、子宮の内側、そういう安楽で痛みのない世界にぬくぬくしていると幸せなはずなのに、だんだんつらくなっていく。
そろそろ外に出ないと息が詰まってしまいそうなんだけれど、
でも、外には何が待っているかわからないから、怖い」
このような繰り返されてきたテーマを完璧に説明したPVです。

さらに言うと、抜け出したはずの卵の殻の内側を、やさしい目つきで回顧できる大人の余裕がPVの中には有りますし、そういうPVを映像スタッフに作らせたのは、曲の作者もPerfumeの女の子たちも幾分大人になったからという事なのでしょう、きっと。


ウチからソトに出ていくことに、ある種の悲壮感が伴うと

『スプリングオブライフ』のようになってしまいます。
外に出ていくことに 死のイメージを見てしまうという事ですが、
この時期は、レコード会社の移籍に伴うツラいこと煩わしいことが、いろいろあったとつい勘ぐってしまうところです。

そして外に出ることに 死のイメージを過度に重ねてしまうと、
『Edge』のような曲ができるのでしょう。


また、安楽なたまごの殻を破って外に出ることが、常に幸せや成功につながるかというと、そういうこともないわけでして、
勢いで会社辞めたり学校やめたりしたことをずっと後悔している人もいるとは思いますが、

「誰かをずっと愛し続ける」という殻の中から外に出ていくことのできない人の歌。
誰かを愛する一秒ごとに、自分の中の憂鬱が一粒ずつ増えていく。

ある意味、なかた氏的には、今までの文脈を超えた内容の詞だったので、
断片的な英語の詞でしか表現できなかった、と私は解釈しました。

この前のシングルの『スプリングオブライフ』だと、前に飛び出してきて卵の殻にひびを入れるような力強いイメージがあったのですが、

『スペンディングオールマイタイム』ですと、間奏の「見ざる聞かざる言わざる」のゼスチャーでの動きは、前に向かうというよりかは横に流れる動きです。

「あなたがほかの人を愛しているのは知っているけど、それを私は見なかったことにするし、聞かなかったことにするし、何も言いません。そしたらいつかあなたは私だけのことを思うようになるでしょう?いつか私の思いがあなたの思いに重なるようになるでしょう?」

時々自分でも驚くのですが、わたしがPerfumeにのめりこんでいる一番の原因って、
しょせんアイドルの振付なんですよ。
そして、しょせんアイドルの振付なんですけれど、めちゃくちゃ深いんですわ。

アイドルって、もともと可愛けりゃいいってだけの使い捨ての存在だったんですけど、
歌も下手だし、頭も悪そうだから、それゆえに言語性の高い分かりやすい振付充てて表現力の足しにしようという事だったんでしょうけれど、
そんな由来ゆえに、長い年月かけてものすごく洗練されてきていたのでしょう。

perfumeみたいな才能と アイドルの振付が出合うと、とんでもない科学融合が起きたわけです。



PVだと、密室に軟禁された共産主義下の超能力少女という物語でしたが、
ライブの間奏での横に流れる動きは、密室を暴力的な方法で壊して外に出ようというのではなく、
ねっとりとした手つきで壁にあいているはずの鍵穴を探している、そんなイメージが私にはあります。

ここに大人の女の知恵というかずるさというか色気というか、あるいは女の恨み節的な要素を私は感じてしまいます。


安定感のある距離を保った二人の恋愛関係をたまごの内側、もう一歩踏み出した関係を外側と考えるなら、『マカロニ』だって近未来三部作に連なる作品と言えるのではないでしょうか。
そして、この直線的な殻へのヒビのいれ方には、子供っぽい素直さと危うさがあるように思えてしまいます。



興味深い曲と言えば
『セラミック・ガール』

歌詞の中に『Brave New World』というデストピア小説の古典が埋め込まれた詞で、
近未来三部作に最も近い曲のはずなのですが、

Brave New World(ブラボーな新世界)の箇所を あ〜ちゃんが Brand New World(真新しい世界)と間違えて歌ったことが既成事実化してしまった曲です。

あ〜ちゃん的には、『セラミックガール』がデストピアかどうかはどうでもいいことなのでしょうし、あ〜ちゃんの解釈を受け入れた周囲の人たちにとってもどうでもいいことだったのでしょう。

もしかすると、なかた氏的にも本当はどうでもいいことだったのかもしれません。
でも
「なにか、違和感に気が付いた」の箇所には、
楽しく生きているんだけれど、この世界の外側には本当にリアルな世界があって、内側の世界は偽物なのではないかという懐疑がちゃんと表明されています。

でも、殻を破った生々しい世界が外に本当にあるとして、そこで生きることはそこまで素晴らしいことなのか?
いや、本当のところ、玉ねぎの皮むきと同じで、外側にも更なる外側があるのではないか、
たまごの殻を破ったら東京ドームというもう一つの殻の中にいて、空の星を見ることができない、
そんなこともあるかもしれません。
押井守の『天使のたまご』ってそういうオチなんです)

だったら、私たちにできる一番有効なやり方というのは、
出来の悪いCPUの乗っかったダメなロボットみたいに、ワヤクチャだけど精一杯にこの世界の内側で生きること、なのかもしれません。

こういう『セラミックガールの』解釈は、どこか達観していて、周囲のスタッフのおっさんやおばさんたちはともかく、本当のところあ〜ちゃんは、こんなふうにはおもっていないだろうと、わたしは思います。



『マカロニ』以上に青臭くて危なっかしいのが『ドリームファイター』です。
それに外に出ることに死のイメージが相当に重ねられています。

そして、みんなこの曲が大好きなんですね。

この詞と振付で面白いと思うのは、

「このままでいれたら、って思う瞬間まで…」
この時、テルテル坊主がオルゴールにあわせて動くような振付なんですが、

たどり着きたいと思う理想の瞬間を表現するのが、極めて嘘くさい非人間的なゼスチャーだったりします。

なかた氏的にはどう思ったかは知りませんけど、振付師的には、

理想の世界に安住することは即デストピア、という事なのでしょう

血を流していようと、ボロボロだろうと、何かに向かって走り続けているときだけ心の中にユートピアが現れる、そういうことかもしれません。

なかた氏が提示した詞に、二歩も三歩も踏み込んだイメージを振付が示した的確な見本のような箇所です。

こんな風に考えると、『セラミックガール』と『ドリームファイター』は結構似ています。

新作の収録曲
『ふりかえるといるよ』にしても、
あったかい布団、心地よい眠り をたまごの殻の内側とみなし、
金縛りや幽霊を 卵の殻の外とみなすと、

近未来三部作、というよりかは なかた氏がperfumeの為に詞を書き始めたのが『コンピューターシティ』からなのですから、

こういうウチ&ソトの葛藤は、Perfumeの基本コンセプトなのではないか、と思う次第です。

ソトを怖がるのは、自分の内面の弱さ故ではないか、他人を受け入れられないのは自分の内面の卑劣さ故ではないか、
幽霊の正体って、そういう事なのではないか?
でも、そういう煩悩から人はなかなか簡単に脱却できないでしょう?


新作の最後の曲
『ドリーム・ランド』のドリームは、『ふりかえるといるよ』につらなる、ゆめうつつの詞なのだろうと、今の私は思うております。