アイドル虎の穴 その二

この前、アミューズさくら学院のことを『タイガーマスク』の虎の穴に類する組織と書いたのですが、

アイドル虎の穴って、日本史的には、
宝塚なのでしょう。

宝塚出身者

最近の宝塚は劇場に空席がちらほら目立つようになり、
全国の美少女の芸能界への登竜門としての機能も低下してきたようですが、
過去の出身者の経歴、配偶者、親族、等のデータを見ると、頭がくらくらしてきます。
日本を裏で操っているのは宝塚ではないか?と真面目に思ってしまいます。

興味深いところでは、沖縄アクターズスクールの設立者、マキノ正幸って、日本映画草創期を支えたマキノ一族の出自なんですが、彼の母親も宝塚出身者なんですね。

沖縄アクターズのあり方って、多かれ少なかれ宝塚に元ネタがあるようですし、
沖縄の成功を基にして全国にできたアクターズスクールも、元をたどれば宝塚に行き着くようです。

ご存じのとおり、宝塚は阪急グループの一つであり、日本一の映画会社東宝も阪急グループですが、
設立は、宝塚のほうが早く1914年。東宝の前身PCLが映画製作を始めるのが1933年です。

「宝塚卒業したら、系列の東宝で映画デビューなんじゃね?」と私なんか思ってたのですが、
映画会社よりも宝塚のほうが歴史が古いということもあり、映画女優への転身って思ったよりも数が少ない。

しかし、東宝の映画監督と結婚した卒業生が結構な数いらっしゃいまして、
宝塚の教育方針は、厳格に貞淑。よって、派手好きな名士への花嫁供給所として機能してたというのが実態のようです。
それゆえに、「宝塚って陰で日本支配してるんじゃね?」的な感想が自然と出てくるわけ。



一方、当方のライバル会社の松竹が運営していた松竹歌劇団
ウィキで調べると、浅草の国際劇場って松竹歌劇団の為の劇場だったらしく、
AKBの常設劇場でいつでも会いに行けるってコンセプトは既に昔に実現されていたようですし、
松竹の歌劇団が東京(SKD)と大阪(OSK)に一つづつあったことも、
秋元康のHKTとかNMBとかの源を見るようです。

松竹の場合は、映画製作開始が1920年歌劇団が1922年であり、
そんなことからも、歌劇団から役者への昇格が宝塚よりも多いようです。

歌の宝塚に対し、ダンスの松竹歌劇団。代表的スターは笠木シズ子でしょうか。

完全にミュージカルしてます。
ちなみに、
昨日、李香蘭こと山口淑子が亡くなられましたが、国民栄誉賞作曲家の服部良一が戦前戦中に多くの曲を提供していたのが李香蘭で、戦後に多くの曲を提供したのが笠木シズ子です。

興味深いところでは、サザエさんの声の人ってSKD出身なんですが、
サザエさんのキャラクターって、笠木シズ子の芸風引き継いでいるように私には思われます。

笠木シズ子のブギにしろ、サザエさんのキャラ設定にしろ、躁病的な女が自由にふるまえるという戦後の解放感の表れってのは確実にあるでしょうし。


歌劇団って何なの?と思われたかもしれませんが、

エンタメの世界にあこがれるローティーンの女の子を素質により振り分け、レッスンを施し、芽の出た子から順にステージの上にあげていく。
公演のための常設ステージがあり、
全国に宝塚や松竹歌劇に類するものがいくつもあったそうです。

百年前の日本人がたどり着いたアイドルの育成と産業化システムと簡単にまとめられるでしょうか。
育成をまともに行わないAKBの興行スタイルと、育成に特化した地方のアクターズスクールを一つにしたのが、かつての歌劇団と言えそうです。

日露戦争後の不況が癒えて第一次大戦のバブルと大正時代は華やかな話題に彩られているのですが、
そのあだ花の一つがこの歌劇団文化であり、

当時はテレビなかったですし、CD等の物販もありませんでしたから、
これら、いにしえのアイドル産業のビジネスモデルは、
鉄道会社が作った遊園地の客寄せとか、温泉地の客寄せとか、料亭の客寄せとかでした。
料理旅館の客寄せを目的としたアイドル、って、「芸者と何が違うんだ?」という気もします。
まあ、これが日本のアイドル文化のひな形であり、それ以前の歴史は結局芸者や花魁に行き着くということなのでしょう。

羽田別荘
こちら、宝塚を範として広島に作られた少女歌劇団を運営していた料亭。いま、そんな業務やってないですけど、
ある意味では、広島アクターズスクールの先輩みたいな組織といえるでしょうか。

料亭が女子アイドル抱えていた、となると、
キモオタ相手にしてるというよりかは、地元財界の潤滑油として機能していたのでしょう。

そう考えると、今現在の地方限定アイドルの在り方と共通点が見て取れます。

わたくし、岐阜県に興味あるものでして、つい岐阜限定のローカルアイドルにめがいくのですが、

「岐阜を日本一おもしろきところに!そして日本国中を元気に!」と織田信長より命を承け戦国時代から現世舞い降りた姫君たちが、信長が「天下布武」を掲げ日本統一の拠点とした岐阜を、戦国時代当時のような日本一の賑わいにすると共に全国区を目指して、結成され活動を行っている。

もしかすると隣県以外の国民からもっとも注目されることの少ない県かもしれない岐阜県ゆえに、
ローカルアイドルのコンセプトも、口説くならざるを得ないようです。

彼女たちのホームグラウンドが大垣のショッピングセンターの特設ステージ。
客寄せの一環として禄を食んでいる模様です。
また、ちょっとしたイベントを行い人を集める必要のある地元企業がスポンサーだったりカスタマーであるらしく、
J3所属のサッカーチームとビジネス的には共通点が見られそうです。

草野球や草サッカー見てるのが好きな人もいるので、こういうアイドルを原っぱで見ているのが好きな人もきっといるのでしょう。
ただしかし、もうちょっと曲と振付は何とかならないのか?という気がします。

ちなみにこちら、広島アクターズスクール出身で、Perfumeより二つ年齢下のアイドルユニット。

全国展開に成功できず、ローカルアイドルを続けるユニットで、
もしかするとPerfumeもこうなるはずだったのだろう、という思いで見ると感慨深いです。
振り付けは、ところどころPerfumeスタイルが混じっています。

地方の芸能コースで修行しても、ほとんどの人たちは全国的成功とは無縁どころか、ローカルアイドルになることさえできないわけですが、
彼女たちが学んだことを後進に伝えていくことができるようだと、ローカルアイドルってもっとビジネス的に安定したものになるだろうという気がします。

アイドルになることに失敗した人たちが
さっき取り上げた岐阜のアイドルの振り付け考えてあげるとか、くすぶっている作曲家を紹介してあげるとか、ステージ演出のアイデア出してあげるみたいなシステムができたら、かなり世の中変わると思いますし、
それって、まさにJ3あたりのサッカー文化なのではないでしょうか。


広島アクターズスクールのホームページを開きますと、当然のごとく、Perfumeをはじめとした歴代卒業生の成功者の写真が並べられています。
おそらく広島アクターズスクールのホールの壁には、これらの写真が並べられており、
あ〜ちゃんとかの直筆で「夢は必ずかないます」的な言葉が掲げられているのでしょう。
ほんと、虎の穴ですわ。


ところで、地方の養成事務所から東京の芸能プロダクションに移籍する際に、
移籍金とかって発生するもんなんでしょうか?
レッスン代タダにして特待生育成したのに、ただでアミューズに移籍されたら、地方のアクターズスクールには得るところほとんどないでしょ?と思うんですが。


ちなみに

ソニーエンターティメンと所属のアイドルネッサンス。この真ん中の人、広島アクターズスクールの出身者です。

「そういやぁ、のっちと似た顔の女の子いるね。瀬戸内航路のサンフラワーに乗ると必ずぽつぽついる顔だわさ」
ってその女の子、広島じゃなくて岩手です。


同じ事務所所属のBBBの2007年に発表した曲『17歳』のカバー。
ちなみにベースの女の人は、
映画『リンダ リンダ リンダ』に出演。ベースパートの女子高生、望役を演じる。共演した、香椎由宇前田亜季等とはプライベートでも親交が深い、とのこと。

以外にもアイドルのカバーのほうが良かったりします。
赤面するような気恥しいこと歌ってるんですが、それに対する照れ隠しみたいなのがオリジナルには強くて、

アイドルが「赤面上等」でやってるほうが直球で私には好ましい。


おっさんが、過ぎ去る青春を映像化すると、必ず紛れ込んでしまうような物悲しさ。
アイドルが恥ずかしいというよりも、この手の想いのほうが私には恥ずかしかったりします。

しかし、何基準にメンバー選択したのかよくわからないアイドルルネッサンスでした。