ねえ、ねえ、ねえ、ねえ‥・

perfumeの大ファンになって初めてわかったことなんですが、

ラジオとレコード、つまり、音楽を耳だけで聞く、ということって、
ここ百年程度の異常事態に過ぎないですよね。


音楽って、音を出している人たちの情景を無視して、音だけで聞いている、純粋音、そういうのって、人間の脳のあり方を考えると、一時の異常事態にすぎんわな。


私にとってはperfumeって、beatlesと同じなんです。

根本的な価値変換なんですわね


まあ、それはいいとしまして、
小幡績氏の

perfume窯変理論、
韓流アイドルというのは、「大衆とはこういうものを欲しているのだろう」という上から目線のマーケティングで仕組まれているのに対し、perfumeというの、たまたま偶然の要素がいくつも重なって初めて成立している稀有な存在だそうです。
だから、真似しようとしても、なかなか真似できない。
人間国宝が窯で一万個焼いて、初めて一個納得のいくもの焼き物ができる、そういうレベルの存在。

別のところで、小幡績氏は、「perfumeは奇跡、そして奇跡は起こり続ける」とおっしゃっております。

窯変、つまり人間国宝でも一万分の一の確率でしか実現できないということは、何も知らない素人がやったら、一億個焼いても無理なのではないか、

釉薬や温度の調節や粘土の選び方において、一定の技術と法則を習得することで、一億分の一を一万分の一までの確率に圧縮することができているのだろう、それが人間国宝の力量というものだろう、

それならば、perfumeの窯変にある、秘訣というのはどこまではっきりさせることができるのだろう?



わたし、この10日間ずっとそのことばかり考えておりまして、
ここまでperfumeについて肯定的にしか見れなくなってしまうと、つい第一印象のことを忘れてしまいそうになるのですね。

第一印象というのは、私の場合、
「この人たち、何やってんの?」というものでした。
曲はかっこいいけど、
作詞作曲は人任せ、歌は技術とは無縁の平坦なもの、さらにはどうせユニゾンだから三人のうち誰が歌っているか分からない上に音声電気処理されて肉声ではなくなっている、そして歌詞よく聞き取れないですし、とどめには完全な口パク。

「あんたたち、ステージの上で何やってるの?ただ踊ってるだけじゃない」

perfumeのファンになれない人というのは、認識がここで止まってしまうのですね。

私の場合は、すぐに、このラインを超えて、極めて肯定的な見方を彼女たちにするようになります。

「この子達、踊ってるだけなんだけど、でも、この音楽って彼女たちが支配しているよな。何でそんなことが可能なのだろう?」
で、なん度も繰り返し繰り返しyoutubeを再生し続ながら考えるわけです。
私の場合、2時間くらいずっと『glitter』を繰り返して再生しておりました。


perfumeのライブをyoutubeで見ますと、大抵彼女たちは終演が近づくと感極まって泣いてたりするんですが、それ見ている方もボロボロ涙流しながら見てたりするんですが、この泣いてしまう原因とはなんなんだろう?ここに彼女たちの奇跡の理由があるのではないか?と私は考えました。

「作詞作曲は人任せ、歌は技術とは無縁の平坦なもの、さらにはどうせユニゾンだから誰が歌っているか分からない上に音声電気処理されている、そして歌詞よく聞き取れないですし、とどめには完全に口パク。あんたたち、ステージの上で何やってるの?ただ踊ってるだけじゃない」

実は、彼女たちにとって、ステージとは、上のような冷たい視線との戦いの場でもあるのでしょう。

そして、上のような冷たい視線というのは他者からだけのものではなく、彼女たち自身の内面の迷いでもあるのではなかろうか。
「自分たちは何のためにステージの上にいるのだろう?他の人と取り替えられてもなんの支障もないのではないか?そもそもステージの上にいていいのか?」

私から見ると、perfumeってエヴァンゲリオンに近いのですね。

彼女たちは、言葉を持たず、歌声さえも歪められたうえで、それでもなお体の動きにより観客とコミュニケーションをとろうと必死になります。
これは、ほとんど絶望的な条件下でのコミュニケーションなのですが、自分の存在意義を見つけるための彼女たちの「動き」によるコミュニケーション欲求の強さというのは、ちょっと他に例を見ないほど強いものです。
そして、そこには、嘘がない。
言葉を使って嘘をつくのは簡単ですが、仕草だけで嘘をつくのは実はものすごく難しい。仕草だけで嘘を付ける人は普通は役者と呼ばれる特殊技能者に限られます。

彼女たちのライブというのは、自分たちがステージの上にいてもいいということを周りの人たちと自分自身に了解させるための勝負なんです。

冷静に考えると、これはそうとう異常なことです。普通私たちは、スターは自己を表現する人であると考えており、歌は自己表現の典型的手段であると考えています。perfumeというのは、スターであるはずの彼女たちに、その本来の自己表現を禁じているのですね。そして禁じることで、彼女たちの危機感を高めることにより、それまで誰も思ってみなかったようなレベルでの観客とのツナガリが実感できるようなコミュニケーションが取れてしまう、
そういうことだと私には思われます。


私が考える非常に典型的なperfumeの歌。 歌詞、よく分かりません。声も電気処理されています。ただ、誰かに話しかけようとよびかける「ねえ、ねえ、ねえ、ねえ」という声だけが、ここにある、それだけで十分なんですよ。perfume見てボロボロ泣いている人というのは、こういう仕組みに泣いているわけです。人に何かを伝えたいという思いの強さに泣いているわけで、伝えている内容に泣いているわけではないんです、多分。


「作詞作曲は人任せ、歌は技術とは無縁の平坦なもの、さらにはどうせユニゾンだから誰が歌っているか分からない上に音声電気処理されている、そして歌詞よく聞き取れないですし、とどめには完全に口パク。あんたたち、ステージの上で何やってるの?ただ踊ってるだけじゃない」

こういうネガティブな見方は、おそらく今後も絶対なくなることはないでしょうから、それが彼女たちのパフォーマンスのモチベーションであり続けるのではないでしょうか。
perfumeは戦い続けることができる、そして戦う度に彼女たちは勝てるんですね。

なんで勝てるのか?については次回に。