『グリッター』

Perfumeのダンス、もしくはパフォーマンスが、楽曲と微妙に一致しないというのは、
音楽と彼女たちが同一ではなく、どちらかがどちらかを象徴しているというような従属関係でもなく、互いに相互補完的で、協調してより大きなものを作り出しているということですが、



私たちのコミュニケーションというのは、例えば音楽ですが、歌詞とサウンドというのは、やはり別のものであり、相互補完的なものです。
悲しい歌詞をハッピーな旋律で表現することもできれば、優しさをパンクで表現することもできます。

歌詞に対しての一般的イメージとずれたサウンドを用いても別に構いません。そしてそのズレがより複雑で繊細な表現につながっているのですね。


この手のことは、人間のありとあらゆるコミュニケーションにありまして、詩や文学も言葉の内容と言葉のリズムの間には相互補完性がありますし、
私たちが口から何かを喋る時も、顔の表情や呼吸・瞬きの回数と間合いが補完的に私たちの内面表現を形成しています。
そして、私たちの日常的なコミュニケーションのあり方がこうなっているんですから、優しい気持ちをパンクで表現するみたいな音楽って、心琴に届くことが多いんですね。二重底のコミュニケーションが、私たちの日頃のあり方に近いわけです。


宇多田ヒカルの凄まじい顔面ダンス。
顔のしわと眉毛と目の動きだけでダンスを踊っている。


映画だったら、ストーリーという文字で書き表せる要素があり、それに対して色、音・画面の向きなどが相互補完的に組み合わさっている訳です。

奇妙なことに、私たちは、映画を語るときに、ひたすらストーリーの要約ばかりしようとしてしまいますが、
この態度が、非常に偏ったものであるというのは、Perfumeみたいな音楽に接するとなるほどと実感できるのではないでしょうか。


簡単に言うと、人間には意識と無意識があり、
意識は文字化しやすいものであり、無意識は文字化しにくいものであるということですが、
頭と心の両方を組み合わせて人間はコミュニケーションしているのですけれども、心の部分は言語化しにくいので、なかなか議論の対象に上がりにくいのです。



それでも、無意識的部分は全く言語的に説明できないかというと、そういうことではなく、
私たちはほぼ無意識的に行動している下等な動物の行為さえ言語で説明できるのですから、
分析すれば、人間のコミュニケーション上の無意識的で言語化しにくい部分もかなり説明できるのですね。

『glitter』は『Laser beam』ほど分かりやすい振付ではないのですが、
これは、彼女たちが無意識に踊っているのではなくて、振付師が考え抜いた踊りを、彼女たちなりの解釈で踊っているものであり、
無意識的というよりかはずっと意識的なものです。
特に部分部分においては、明確に定義された言葉と同じくらい意味の取り違えようのないものでして、


「キラキラの夢の中で‥・」
キラキラの言葉に対応するように指をいっぱいに広げた手のひらをくるくる回します。

このゼスチャーについては、誰でも納得できるのではないでしょうか。
光が散乱する状態を手で表現しているんですが、

それ以外といいますと、


「なんでもきっとできるはず、そんなに簡単に言うけど」
中腰で体の重心を入れ替えるダンス。
体の中心線まっすぐに伸ばしていないんですから、物事がスッキリ進まないことを体を使って表現しているんでしょう。
便秘薬のCMにでもありそうなポーズですが、
実のところ、かなり単純に「解せない!」というゼスチャーだと思われます。


「けどね、でもね、だって‥・」
指一本だけ伸ばして頭の横で振る。
2chのAAのような振り付けで、現実に目の前でこういうことされると腹たちそうなんですが、
歌詞上は、逆説の接続詞と完全対応しています。
「No!」を可愛らしく小憎らしく表現している訳です。


「僕たちは、約束をしたねー」
しーっ、ってやる時みたいに唇の前に指一本立てる。
歌詞とダンスが相互補完的と書きましたけど、
歌詞とゼスチャーがこのように並ぶと、
「僕たちの約束は、他の人たちには秘密だよ」と言っているように思えていまいます。


その直後にちょっとだけ入る、指一本で頭をこんこんとつつくような小馬鹿にしたようなゼスチャー。

「さっきの約束って、あんた真に受けてたの?バカじゃない?」
私にはそんな風に感じられるので、「あれっ」って思うんですよね。

では、このPVはそんな肩透かしみたいなことばかりやっているかというと、そうでもなくて、
歌詞の清々しい部分は、女の子たちのアップでまとめられます。



青春とはなんだ?愛だろ!嘘をつかないことだろ!
そういう、今まで散々歌われてきたような陳腐さというのも、ちゃんとPVの中に表現されています。

だから、このPVの印象というのは、非常に複雑で、何度見ても面白いのですね。
ただ女の子達が一本調子の曲で変なダンスしてるだけと言えばそれまでなんですけれども、それがむちゃくちゃ面白いのですわ。


なんども書くようですけれども、Perfumeの面白さというのは、舞台に立っている彼女たちが、そこで流れる音楽に対して他者として向き合っているという掟破りに由来するのです。

そしてそれは、私たち一般ファンが音楽に接する時と基本的に同じことでして、それ故にPerfumeの女の子達には、共感できるのですね。

お前ら何のためにステージに立ってるの?という疑問は最初のうちは頭に浮かびますが、そんなのはすぐに消えてなくなり、やっぱりこの三人がいないとPerfumeというプロジェクトは立ちいかないということが骨身にしみます。