Puffy と Perfume


Perfumeって中田ヤスタカに捨てられたらどうすんの?」って批判って、何の意味もないと思うんですよ。
レノン&マッカートニーがビートルズやめたらジョージハリスンどうすんの?って話とおんなじですわね。
無理してビートルズ維持しようとせず、解散して、そのあと自分の出来ることやり続ければ済む話ですわね。
レノン&マッカートニだって、ビートルズ解散したあとってショボいでしょ。ビートルズ解散したら、結局みんな先ぼそって行ったんですから、
中田ヤスタカPerfumeを捨てる」という一方的な言い方は有り得ませんわね。


まあ、それはいいとして、
やらされている感がハンパでない方々というと、Puffyも相当なものでした。
Puffyが出てきた年に近田春夫が「Puffyの曲に有る寂しさというのは、『来年になったらどうせ私たちは消えている』という彼女たちの自覚に基づくもの」と言っていたんですが、
歴史は彼の批評どうりには進まなかったです。
たしかにCDの売上枚数は、近田春夫が言うとおりに激減していったのですが、
その反面、海外でPuffyはそこそこ知名度が上がって、youtube見ているとスペイン語の字幕付きの画像とかあって、
彼女たち、頑張ってるな、と思わされます。



いまのPerfumeと同じで、Puffyもおっさんから子供までまんべんなく人気ありました。
一番のヒット曲『これが私の生きる道』って、ビートルズの露骨なパロディーなんですが、
これがパロディーだと知っている人も知らない人もpuffyの愛好者にはいたんですが、
近田春夫みたいに、替え歌レベルのパロディーやってりゃ、すぐにネタ付きて一発屋で終わるでしょ、と思った人も大勢いたでしょう。
替え歌の元ネタがビートルズだと100万売れて、サタデーナイトフィーバーだと50万までしか売れないってんだったら、
人気あるネタからパクっていけば、確実に先細りして、フェイドアウトするはずです。みんなそんなふうに思っていたと思ってました。
洋楽の名曲の日本語訳を歌う王様とかクィーンの日本語訳に特化した女王様と大差ないという認識が音楽ファンには確かにありました。

奥田民生が飽きてしまったのか、それともPuffyが逃げたのか、それとも双方の思惑の一致からなのかはわかりませんけど、
二枚目のアルバムからは、相変わらず昔のロックポップスの再現しているんですけれど、替え歌レベルではないオリジナル楽曲路線になっていきます。

もともと大貫亜美の方は音楽愛好家なんで、そういう方面にはいくらで知識あったと思うんですが、

Puffyって、みんなから未来のない刹那的なユニットだと思われていたんだけれど、実はちゃんと退路というかその後の生きる道が想定されていたんですね。


Puffyの後ろのひと奥田民生Perfume好きだってのは、当たり前のことのように思われます。
厳島神社の奉納コンサートで『レーザービーム』歌ってましたし。


奥田民生と名曲の替え歌という路線を捨ててもPuffyはやっていけました、というより、あの路線捨ててからの方がうまくいってるようですけど、
Perfume中田ヤスタカと別れたら解散するしかないでしょ、というか、振り付けの人がいなくなっただけで、もうアウトかもしれない。
まあ、そういう裏方を含めてひとつのユニット結成していると考えれば、
中田ヤスタカがやめたら」云々というのは、ローリングストーンズからミックジャガーが抜けたらと考えるのと同じくらい意味のない仮定ですわね。





PuffyPerfumeって共通点多いんですが、
二つ見比べてみると、差も大きいよな、そして、その差ってのは時代の変化と言い切れてしまう部分も大きそうだよな、と。



PuffyPerfumeの間には一体何があったのかを考えてみると、色々面白い。

Puffyのデビューが96年でした。そしてその翌年のCDセールスが史上最高の6000万枚を記録。
音楽業界が一番潤っていた時期でした。
Puffyは脱力系と言われていたんですが、それが時代を表しているかどうかというと、アクターズの安室なんかは一生懸命路線で、必ずしも時代そのものが脱力を思考していたわけではないと思うのですが、
それでも、業界自体が潤っていたことで、こんなPuffyも許される余地があったのでしょう。



その後98年からCDの売上は減少に転じます
ちょうどこの年に自殺者が激増して年間三万人が規定路線になります。
橋本政権が消費税アップで景気を悪化させたために、バブル後の不景気が「失われた20年」に確定した年です。そして小渕恵三内閣は冷めたピザと呼ばれていました。
売上は下がってきたのですが、宇多田ヒカル椎名林檎が出てきたので、日本のポップミュージックの質はすごく上がったように思われました。
年々縮小していく音楽市場の規模にしても、その内なんとかなるだろうとか、音楽がなくなることはないだろうと何の疑問もなく思っていました。
貧乏な中国人もその内、正規版を購入して印税ちゃんと払うだろうと何の根拠もなく思い込んでおりました。
そして、現実は、金持ってる国の人たちまで中国人みたいにタダで音楽聴く方向に流れてしまったんですね。


現在の音楽市場は最盛期の3分の一にまで凹んでいます。
ただの三分の一ならいいんですけれども、現在の市場の状況というのは30%がAKBと秋元康、20%がジャーニーズ、10%が韓流と、実のところ3分の2がブラフ。
実質のところは、最盛期の五分の一程度に凹んでいると考えられます。

そして、握手券のおまけではなく、ちゃんと音楽として消費されている分につきましても、そのうちの半分以上はドリカムとかミスチルやサザンみたいな40才以上をファン対象にした20年選手であり、
ここ最近出てきてちゃんとCD売っている人たちというと、それこそPerfumeくらいしかいないという状況です。

これじゃ確かにコンビニ行ってもBGMの音楽が気に止まらなくなるわけです。
新しい音楽が、人目につくところに出てきていないんですから。
新しいものを作っても売れないのだから、人材が離れていき、制作能力さえも先細る。
「音楽が売れないだけで、いい音楽は確かに作られている」とさえ言いはれない状態になってきて、
そんな中で嘘でもいいから音楽産業を活気づかせようという韓流には一定の評価をしてもいいのかもしれません。

1960年代の経済が絶好調だった時代にテレビが普及したおかげで、映画の観客動員数は10年で五分の一に減ってしまい、それを補填するために入場料金は5倍になりました。
そして、その割高感ゆえにプログラムピクチャー的なものは映画館から駆逐され、イベントムービーみたいなものしか残ることができず、そんな情状下でアメリカ映画にかなうわけないですから、結果として日本映画は暗黒の時代に突入します。
今現在の音楽の状況というのは、これと非常に似ているように思われるのですが、
おそらく、より深刻な状況でしょう。
映画は、映画を観る場所が映画館からテレビに移行しただけで、
視聴率20%で2500万人が見ていることになるわけですから、
実のところは、映画見ている人の総数は遥かに増大していたわけです。

それと比べると音楽ってのは、聞く人の数そのものの減少につながっている分だけ遥かに危機的でしょう。
音楽がファッションと不可分だった時代って、好きじゃなくても自己主張として音楽買っていました。流行歌がなくなるというのは、そういう半端な音楽消費者をふるい落とすということでして、
わたしは今まで人よりも音楽に金使ってきた人間のつもりなんですが、そんな私でも、音楽の聞こえない空白感が心地よいと感じるようになっておりました。
音楽が人の内面や時代の何かを表しているという好ましい誤解がなくなったからだと思います。
未だに音楽購入している人たちって、それこそプロとその周辺の人たちだけって感じじゃないでしょうか。

音楽がここまで先細ったのは、ネット上でデジタル情報として流通しているからだと言われてきました。

違法にダウンロードされるから売れなくなったんだ、と皆から言われてきましたが、
それも当然あるでしょうけれども、
デジタル情報化したためにコレクターアイテムとして魅力がなくなったってのもあるでしょう。ジャケット壁に飾ったり、棚に好きなバンドのCD全部並べて満足感に浸るみたいなことなくなりました。
単なるPC内のデータで、音楽聴く時にはPCのペラペラのスピーカー、そして一番たちが悪いのはalbum通して聞く忍耐力がなくなったこと。
一曲通しで聞くこともほとんど無くなってる。
PCで音楽聴くと、一番盛り上がるところにチョクにアクセスするようになったんですね。
テープで聞いていた時は、めんどくさいから大人しくアルバム通して聴いていました。
CDになったら、好きな曲だけ飛ばして聞くようになりましたけど、曲そのものは飛ばさず最初から最後まで聞いていました。
いま、それさえしないですもん。そうして、そうなった次の段階というのは、音楽を聴くことさえやめるというもの。

音楽市場が健全だった時には、高いお金払ってCD買って詰まる曲もつまらない曲も含めて通して聴いてたんです。レンタルしても400円くらい取られていましたし、PCでコピーできるようになったのっていつからだったでしょう?
98年からCD市場は下降線をたどり始めますが、その頃からだったでしょうか?

いま、レンタルなんて一枚100円ですし、PCにコピーしたら聞かずにそれでお終いです。

昔は、テープにとっていた時は、しょうもないと思っても最低一回は全曲通して聞いたもんです。

そうなってくると音楽作る側も、実験とか冒険で無茶な曲作ったりしなくなるでしょう。必ず売れるような曲だけ作るようになってしまったんでしょうな。
終わりから3つ前の曲で冒険するみたいな伝統もなくなっちゃったんでしょう。

そんなこんなやっているうちに、レコード屋が町からなくなって、
何が新譜なのか分からない状態が当たり前になり、全ての新曲は今までに発表された曲と競合状態になりまして、
ネット上で検索する分には、新しいから有利とかそういう条件ないですから。
そんなわけで、私がここ数年聞いていた音楽ってベートーヴェンとかショパンばっかりだったんですわ。

こうなってしまうともう音楽って以前のようなものではなくなってしまいました。

音楽は消滅していないですけれども、流行歌は世の中から消滅しました。そして金が入ってこないんですから、音楽やるプロの人材が居なくなってきました。音楽制作能力も落ちてきます。
オーケストラを維持するシステムが壊れてから、交響曲ベートーヴェンを超える物って出てきていませんよね。
200年前より世界経済はるかに拡大しているにもかかわらず、オーケストラ維持するシステムにお金が流れない故に、クラッシックは進歩止めてしまったんですわ。


Puffy
のデビューしたときというのは、いろんな意味で恵まれた時代で、今と比べたら、遥かに景気の良い明るい時代だったように思われます。
ここ一年地震のニュースばかり、そうでなかったら世界経済崩壊までのカウントダウンみたいなニュースばかり、
それと比べると、

明るいわな、このPVは。
まだ自殺者が2万人台だった時代です。海外旅行、リゾート、ヴァカンス、そういうものがまだ生きていた時代です。

昔のヒット曲の替え歌レベルのパロディーやってましたが、
youtube検索で,本家とすぐに比較されるという時代ではなかったですし、グローバリズムもまだまだでしたから、横文字を縦文字にした翻訳ポップスというものも生きていく場所がありました。
いろんな意味でニッチーなものに居場所のあった時代だったんですが、

今はすぐにネットで検索され、同時代のあらゆるもの、歴史上のあらゆるものと比較されることになります。

今の時代だったら絶対Puffyはデビューできていないという気がします。

なんで、PuffyとくらべてPerfumeのパフォーマンスはあんなに真剣なんだろう、と考えるのですが、
アクターズ系の芸人だから一生懸命路線なんだろうというのも有りましょうけれども、
あそこまでやらないと売れない時代に、今はなってしまったのですね。
辛い時代だと思います。