チョコレート・ディスコ

相変わらず、パフュームの話を続けますけど、問題あるなら、直接コメント欄で指摘していただきたいものです。


初期のパフュームを支えていたファンの方々は本当に偉い。私だったら、このPVみても、今日のパフュームに気がついていないと思う。


PVのほうは、普通のアイドルの振り付けで、「けっこういい曲だよね」で私だったらおわりでしょう。

ライブ版のほうだと、今の芸風に近い。これみてたら、「こいつら見所あるな」くらいには思ったかもしれない。でも、まだ、今日の芸風は確立できてませんよね?


そして、このときはまだブレイクできていない。
この曲と『ポリリズム』の間にあるのは、一体なんだったのだろう?と考えるのですが、


『チョコレートディスコ』って詞が、普通なんですよ。それは出来が悪いという意味ではなく、言葉で全て説明していると言う点で普通なんです。よくできたJpopの詞ですわ。

実のところ、作詞の点ではパフュームでは一番よくできてんじゃなかろうか、と私は思ったりします。
チョコレートが世界をディスコに変えてしまう、いい着目点じゃないですか。
少ない言葉数で、簡潔に説明されています。

そして、それゆえに、女の子たちのダンスによるもうひとつの「歌詞」が入り込む余地が少ない。
今のパフュームの芸風だったら、もっと言葉と音をスカスカにして、彼女たちのダンスが入るところが空けられているんですわ。

きゃりーぱみゅぱみゅですが、あの子の音楽の場合、ダンスで第二歌詞を作り出そうとか第二旋律を作り出そうという意図があまりみられないので、『チョコレートディスコ』みたいな曲きゃりーぱみゅぱみゅ歌えるんじゃないですか?
逆に言うと、きゃりーぱみゅぱみゅの持ち歌をパフュームがやったとすると、上手くダンス入れられないと思います。私が思ったところで、振り付けの方が「出来ちゃったよー」とか言われるんでしたら、何の問題も無いんですが、


ポリリズム』ですが、歌詞カード的には、私にはリサイクル推進ソングの歌詞にしか思われない。
中田ヤスタカ氏のインタヴューを細かくチェックしたわけではないのですが、彼は自分ひとりで楽曲を完成させないときがすまない人らしいんですが、
そういう人が、「こういう趣旨の歌だから、それにそぐう歌詞書いて!」とか言われると、
内心ふてくされて、本当にキャンペーンソングの歌詞にしてしまうんじゃないでしょうか?

氷結のCMシリーズも、必ず15秒のCMに使用させる箇所に「しゅわしゅわ」みたいな言葉が来ます。


そして、そういう歌詞を書く事への埋め合わせのように、『ポリリズム』では一切作曲の点では妥協しなかった。

そして、その楽曲を受け取った振り付けの方とパフュームとPVの製作者は、
このリサイクル推進ソングの歌詞を何とかもっと普遍性のあるものにするために、第二歌詞を女の子の振り付けで曲の中に埋め込んで、換骨奪胎しようとしたのではないだろうか?

わたしは、そのように考えています。

ポリリズム』、私には、マジで輪廻転生についての歌に聞こえますもん。

そして、この成功が契機になって、中田氏、歌詞をずたずたにしていき、聞き取れない箇所を多く作る傾向が強まり、
「おまえら、この未完成な曲に魂こめてみんかい!」みたいなことをパフュームとの間で繰り返していたのではないだろうか?
そして、そのたびに、どうしてだか、魂がこもってしまっていたんですわ。

たぶん、中田氏も、どうして魂こもってしまうのか、いまひとつ分かんなかったんじゃないでしょうか。そんで、もっとわかりやすいやり方で、自分の楽曲を実験してみようときゃりーぱみゅぱみゅに歌わせてみた。
そこそこいいんですけど、むちゃくちゃ嵌るって感じではないんじゃないでしょうか。


きゃりーぱみゅぱみゅのPVを私が評すと、「キモ可愛い」の一言。
パフュームがダンスで第二旋律第二歌詞を作り出して、楽曲にぶち当てているのに対し、
きゃりーぱみゅぱみゅの場合は、可愛らしさにキモさをぶつけている、という点で、私には共通点が感じられます。

二つの異なる要素が対位法をなしているということですけれども、しかしながら、この対位法は、きゃりーぱみゅぱみゅの場合は、PVみている場合に限られて、音だけ聞いているときにはあまり感じられない。

その理由からは、きゃりーぱみゅぱみゅは、悪くないけど嵌りはしない、ってとこです。
こういう曲、私が若かったときもあったし、生まれる前にもあった、それは楽曲的な意味ではなく、似たような情感を引き起こしてくれるって意味です。
たぶん、20年後にもこの代わりが出来る曲はあるんだろう、なんて。


マーケティングのこと、かなり考えた上でのプロジェクトだという気はするんですが、韓流みたいないやな感じはしません。
食い違う二つのものをぶつけることで、行間を作り出し、そこを観客に聞かせる的なやりかたはパフュームの成功を研究した成果なんじゃないか?と私は思うんですけど、ね。


でもね、
youtubeでなら断然パフュームの方がいいんですけど、音だけ聞いているんだったらきゃりーぱみゅぱみゅの方が私には遥かにくつろげるし、実際車ではパフューム聞いたりしないけどきゃりーぱみゅぱみゅ聞くことはあるんですよ。



『nee』の場合だと、メロディーが悲しげなのに、歌詞は言葉の上だけだと普通の恋人同士。

この辺になると、中田氏、パフューム奇跡の方程式にほぼ気がついていたんではないか。
パフュームはどうやって、このメロディーと歌詞のギャップを補正してくるんだろうか?


『レーザービーム』だと、メロディーと歌詞を故意にアホっぽくして、敢えてパフュームを挑発してみた。パフュームと振り付けとPVのかたがたがどう対処するのか、どうやって知性を注入するのか観察してみた、

私はそんな風に思えてしまう。


最近の彼がインタヴューで、パフュームと自分の関係は新しい段階に入って、今後は彼女たちからのインプットをもっと期待してる、みたいな事言ってましたけれど、

自分でパフュームマジックの仕組みが分かっちゃったら、別の方法試さないともう満足できないのかな、なんて思いました。