坂の上のパフュームⅡ  能 歌舞伎

司馬遼太郎のもじりのふざけた題名付けて、パフュームについて書いておりますが、

こんな題名をつけたのは、理由がございまして、


小幡績准教授がテレビで「日本といえばパフュームだ、覚えておけ」と名言はかれておられますが、

私も全く別の経緯からパフュームに対して、
「こりゃ、日本のエッセンスが詰まっとるわ!」と驚愕していたんですわね。


どのへんが日本のエッセンスなのか、ということについて書こうとしているのが、この「坂の上のパフューム」シリーズなのですが、

まさか、パフューム見て、日本の伝統芸能思い浮かべてしまうとは!っつー感じなんですが、

能とかいうと、大学の一般教養で、いかにも頭悪そうな教員からビデオとか見せられて(頭悪そう&悪い教員多かったよ)、
「こんなもん、俺には関係ねえわ。どうせ中世日本都市部の文化でしょ。先祖が田舎もんのおれには外国文化も同然ね」とか思っていたんですが、

主役がほぼ口パク、踊っているだけ。それも表情が仮面で消されているのと対照的に動きは過剰、
それってまんまパフュームやないけ!

大学の一般教養の時間で、
「おまえら、パフュームの先祖は能なんだ、覚えとけ、今度テストに出すぞ」
とか言われりゃ、真面目に授業聞いてましたわさ。


自分でも不思議なんですよね。なんでパフュームみたいな能と被る部分の多い芸能を見て、素直に感動できるのか。
どこで、この伝統の糸が自分の中まで繋がっていたんだろうか?

能なんか、テレビでちょこっとやっているの見たことあるだけで、「つまんねー」って思いしかなかったのに、
パフュームみたいな形になると、むちゃくちゃハマるんですわ。

日本の伝統って、途切れずに、形を変えながら、脈を打ち続けていたんだな、と考えると、
すごいことだな、と、唸らざるを得ないんですわ。





しかし、似てますわな、パフュームに。
同時にPLAYしてみると、合うわなぁ。『グリッタ』の音楽に『女道成寺』むちゃくちゃハマるぞ。逆もまた可成り。

しかし、衣装といい、音楽といい、時代が進んで経済規模が拡大しているにもかかわらず、パフュームのほうがはるかに貧乏くさい。
まあ、近代現代の文化って一概に、この手の貧乏臭さから逃れられないもんですけど、ね。


アイドルの振り付けってのと、歌舞伎のみえの切り方って、おんなじなんだろうな、と。

歌舞伎の、お下品なサービス精神って、パフュームの舞台と似てますわね。
レーザー光線で風船割りみたいな演出って、歌舞伎の世界ですわ。



ダウンロードが音楽業界の首絞めたって言われてますけど、それは日本以上にアメリカの音楽業界を直撃したものでありまして、
今の日本じゃ、アメリカやイギリスの音楽パクったからって、もう誰も褒めてくれない。あんなもん、真似てもしゃーねえわ、みたいな状況になってくると、
日本自前のスタイル作り出そう、と思わずにはいられなくなってくるわけでして、

そうなると、おそらく無意識的だとは思うのですが、日本の伝統芸能につながる方向につい目がむいてしまうのでしょう。

パフュームの振付師が、ボブフォッシーを尊敬しているとか、アメリカに留学していたとか言われると、パフュームの振り付けってバタ臭いのかなとか思ってしまうんですが、

よくよく考え直してみると、歌舞伎や能の古典芸能の世界ともろ繋がっています。

「日本といえばパフュームだ、覚えておけ」