少し自惚れる

2chから拾ってきた中田ヤスタカ氏の言葉。

「歌詞カードがあると、それを見ながら音楽を聴くでしょう?あれが僕は好きじゃないんですよ。
歌詞カードを見るということに使うパワーを、もっと音楽を聴くことに使って欲しいんです。
音楽の聴き方はそれぞれ自由でいいのに、歌詞カードを付けるとみんな歌詞カードを見ちゃうから。」

歌詞カード見ながら音楽聴くってのは、映画のストーリーだけを追っているのと同じこと。
全体の情報量の10%も吸収できないぜよ。

詩や物語に起承転結があるとしましょう。普通は、起承転結全てを言葉で記すんですけれども、
詞の場合は、起承転結の四つのうち、たとえば、起がリズム、承がメロディー 転が詞、結がハーモニーで表現されるという場合だってあるでしょう。
音楽の詞は、そのようなものとして捉えるべきであり、楽曲トータルの中に詞が埋めこまれているもんです。
だから歌詞カード読んでいても何もわからない、ていうか、分かったような気になって大事なものを聞き落としてしまう可能性があるだけにタチが悪い。
特に中田ヤスタカの歌詞カードなんて読んでも唖然呆然とするだけですわ。


「カラオケが入っているようなシングルCDに歌詞カードが付いているのはわかるんですけど、
僕はカラオケで歌われることを想定して曲を作っているわけではないし」

パフューム、カラオケで歌えるもんなのかな?声色であの歌い方真似できたらすごい芸だよな。ついでに踊りも付けたら、十分youtubeで一万アクセス狙えるわね。




こういうの読んじゃうと、
俺はパフュームとその裏方を理解してる!って嬉しくなってくるわね。





以前このブログでこんなことを書いているんですが、

「生命の核に到れるなら死んでもいい」
私が『spring of life』を一行で要約するとこうなります。

「何言ってんの、あんた?」60%
「そういう見方もあるかもね」30%
「それ、多分正しいわ」10%

こんなところですかね、私がそういうことを言った時の周りの人たちの反応は。

あれから一ヶ月経って、いろんな曲聴きこんでいくと、そういう趣旨の歌詞って他にもいくつかあるんですよね。


SEVENTH HEAVEN
「もしもね この願いがちゃんと叶うなら
はじけて 消えてもいいよ ってどんだけ SEVENTH HEAVEN」

edge
「誰だっていつかは死んでしまうでしょ
だったらその前にわたしの一番硬くとがった部分をぶつけてsee new world」
こんな詞やったんか。
「誰だっていつかは死んでしまうでしょ」のところしか聞き取れんかった。
しかし、やらしい歌詞だわね。


基本的に中田ヤスタカって、「生命の核に到れるなら死んでもいい」的な詞書く人なんだわね。

でも、それは、PVを映画見る様に仔細に見てみると、映像から分かることでもあります。
パフュームの視覚部分を担当する振り付けの人とPVのスタッフの間でも、中田ヤスタカって、
「生命の核に到れるなら死んでもいい」みたいなこと言う人だって了承されているから、そういうイメージに沿った振り付けとPVが重ねられることになっているようです。



パフュームの歌の詞って、暗いもんが多いですね。
書いている中田ヤスタカが暗いんだと思うんですけど、
基本的に、人と人は言葉で分かり合えないって思ってんじゃないでしょうか?
言葉が通じないから、音楽をやるんだ。その発想は非常に合理的ですから、音楽家はそれでいいんでしょう。

基本的に人は理解し合えない、理解できるのは奇跡というべきみたいなこと、
ほぼ明言している歌詞もいくつもありますし、

チョコレイトディスコ
「お願い、思いが届くといいな」

ポリリズム
「ほんのすこしのぼくの気持ちが、君に伝わる、そう信じてる」

パフュームのいいところ、結果として成功の要因になったことというのは、
音楽が女の子たちの等身大のものではないということなんでしょう。
十代も半ばになれば、死んだらどうなる?とか、人同士が分かり合うことなんかほとんどありえない、みたいなことを思うのは普通というか当たり前なんでしょうけれども、
それを表現として、マイクで増幅された音で万単位の客の前で叫ぶのは、20前の人間のやることではないな、普通。

椎名林檎の全盛期でも、曲調はおどろおどろしかったけど、詞はもっとストレートで前向きだった。

若い女の子つかまえて、「死ぬ」とか「絶望」とかそういう暗い歌詞歌わせている男ってのも、ドSやなぁ、というか楽しそうだなあ、というか。

10代で自殺する奴なんていくらでもいるんだから、10代の女の子がそういう歌詞歌ってもいいんだろうけれど、
自分で作詞しちゃうと、冷静さを失ったようなもんになりがちで、それ等身大って言うんだったら、私にはあんまり面白くないんだわね。

一回り二回り年上の大人にちゃんとコントロールされて調教されて、「死ぬ」とか「絶望」とか歌ってたってのが、
パフュームの成功の要因なのだろうな、と。


私は、パフュームの歌詞は基本的に暗い、と思ってますから、
『ねえ』の「ねえ、ねえ、ねえ、ねえ」って呼び掛けの部分は、相手に絶対届かない呼びかけなのだ、と、すんなり納得できましたけどね。

あと、セックスを想起させる歌詞も、実はものすごく多いんですよね。
セックスなんて小学生でも考えることだから、10代の女の子がそういうこと歌っていても全然変じゃないんですけど、
そんでも、20前後の女の子が自分で詞を書いたら、ここまで品良く、さらりと言ってしまうことって、子供のうちは無理でしょ。


ほら、これ、力入りすぎでしょ。もっとサラリと言ってのけられないってのが、セックスのこと意識しすぎだってことの証拠です。