『スパイス』 もう一度始まった感
ももクロの衣装とパフュームの衣装の色彩を比べているうちに、奇妙な方向にわたしの興味は進んでおりまして、
ももクロって、そのグループ名にピンクと緑が埋め込まれておりまして、この二色ほぼ補色で強いコントラストを持っています。
非常にカラフルなグループ名だと思うのですが、
衣装はというと、
戦隊モノもとにしていますんで、色相環からほぼ等間隔で色をピックアップ。
ぱっと見、ももクロって子供っぽいと思いません?
そりゃ、戦隊モノって子供のおもちゃですから、その色彩使えば子供っぽくて当たり前。
まあ、それ売りにしているんでしょうけれど。
パフュームもデビューしたての頃は、三人組の戦隊モノと同じ色分けしていまして、
それが、中田ヤスタカの二曲目の『モノクロームエフェクト』以降、そういう戦隊モノ的色分けをやめにしてしまいます。
曲名のごとくモノクロームな衣装が主流になっていくのですが、
以下のような動画をざっとチェックすると、そのことが確かめられます。
これはどういうことかと推理するに、
- 戦隊モノ的な格好していると、子供とオタしかファンに釣り込めない。中田ヤスタカ的にはもっと大人相手に曲が書きたかったので、ゴーインにモノクロと題名つけた歌を渡してそれまでの路線に引導を渡した。(詞は木の子さんですけれど)
- ダンスが、単に元気に踊ってりゃいいって方針から、現在のパフュームの表現のあり方に舵を切っていく。あんまりダンスの技術高くないうちは、衣装を揃えておかないとシンクロ感が出せない。
- CMソング引き受けることが増え、その商品カラーに合わせた衣装を着ることが増えた。
んなとこだと思います。
そういう前提を踏まえて『スパイス』のPVを見ると、別の世界が見えてきます。
このPV『不思議の国のアリス』を下敷きにしたもので、わたし、これ最初に見たときに違和感を感じたんですが、
なんでアリスというロリータの代名詞(ほんとここまで代名詞という言い方がふさわしい場合も少ない)を なぜロリコン相手にしてた頃に利用せず、彼女たちが成人式をとうに過ぎた頃になってPVで使ったんだろう?ということなんですが、
深いです、このPVのコンセプトの作り込みというのは。
読者の間では,おそらく一番人気なマッドハッターのお茶会の場面。
人気の場面なんですが、物語の中のアリス自身はその成り行きの理不尽さにかなり不機嫌な様子。
まあ、あの小説全般を通してアリスは不機嫌でふてくされています。
なんでかというと、インテリが物語の形借りて好きな少女にセクハラ欲求投げかけたようなもんですから、そんなに喜びはしないでしょ?
このマッドハッターのお茶会を模したピンク色の部屋の中で、女の子たちは虚ろな表情。
テーブルの上で踊って、食器やお菓子を台無しにしてしまいます。
(このシーン、食べ物粗末にしててヤダとかいう人もいますけど、それって「後でスタッフが美味しくいただきました」にマインドコントロールされるとおもう?粗食のすすめ的には、こんな高カロリー高脂肪の食物は口に入れるよりも捨てたほうがマシ)
のっちが隣りの世界に行く扉を見つける。小さくてくぐれない。
小説なら、ここで魔法の薬を飲んで体のサイズを変えるところです。
今までいた部屋が淡いピンク色。彼女たちの衣装も淡いピンク。テーブルもテーブルの上に並ぶ食器にお菓子も淡い色彩。
そこから覗いた隣の世界は、ピンクの反転した緑色。もも(ピンク色)クローバー(緑色)と同じコントラストです。
扉の入口のところに香水(パフューム)の小瓶があります。アリスだったらこれ利用して体のサイズ変えるはずなんでしょうけれども、
ひとりひとつずつとって口に入れると、彼女たちの服の色が変わりだし
隣の世界で踊ってる。
踊り終わってもとの部屋を覗いてみると
むちゃくちゃにしたはずのテーブルがきれいに元通りになっていて、
見ているだけで、十分楽しめるんですけれども、このPVいくつかの解釈が可能なんですよ。
まず
歌の歌詞に着目してみると、
「耳を澄まして、瞳を凝らせば、ほら、扉が開けば、全てが見えるわ」
これ、鉄腕アトムの歌と似てます。
「耳を澄ませ、ららら、目を見はれ、そうだ、アトム 油断をするな」
しかし、それ以上に似ているのは、ウイリアムブレイクの詩。
「知覚の扉を洗えば、全ては本来の無限の姿を現すだろう」というもので、もちろんこれは
the doors がそのバンドの名の由来にしたところのもの。
リーダーのジムモリソンは酒とドラッグで夭折しています。
それに不思議の国のアリスに出てくる変なくすりやきのこ、それにラリった会話はドラッグ体験を想起させると向うではよく言われていますから、
アメリカ人のおっさんが、このPVみると、ドラッグパーティーのことをまず思い浮かべてしまうのではないでしょうか?
「世界的にアリスって有名なんだから、このPV海外の人に見せてもすんなり受け入れられるんじゃない?」と考えるのはあまりにも無邪気。
これ見て、「ドラッグパーティーで乱交だ、ヒャッホー」とか思って興奮するおっさんもいれば、そういうイメージを思い浮かべてまゆをひそめる清教徒のおばさんもいるんでしょう、きっと。
まあ、そういう欧米のドラッグ事情についてではなく、カタギの日本人としてこのPVを見て感じたことをまとめてみると、
ひとつの解釈としては、これは男女関わらない普遍的な物語。子供が大人になっていく過程を表現したといえると思います。
子供時代、
大人に守られて、お菓子やおもちゃを与えられ、安楽で安全な生活だったんですけど、それがいつからか退屈でたまらなくなり、もう何も楽しめなくなる。
周囲の大人は気を使ってくれるけど、そういう気遣いがうざくて人を踏みにじるようなことをしてしまう。
そして、ある日
その小さな世界を抜け出して、どこに果てがあるのかわからないようなめくるめく世界があることを知り、そこに飛び出していくんですが、
そこは、確かに色彩に満ちワクワクする大人の世界なんですけど、金魚が泳いでいたり光景がゆがんでいたりである意味魑魅魍魎。
もう安全ではないし、人に守ってもらうこともできない世界なんですが、そこにいると人生が輝いて見える。
そういう普遍的な人の成長の話しとしての側面があると思います。
そんで、パフュームを愛するような素直な心持っている大人は、いつでも子供の世界に戻ることができるし、
パフュームに憧れるような子供たちは、いつでも大人の世界を垣間見ることができるわけ、ですよ。
パフュームがあれば相互乗り入れ可能なわけです。
でも、このPVって、それだけじゃないんですぜ。
「なんで、女の子達は小説に倣ってビンの液体を利用せずに、キャンディー使って隣の世界に行ったの?」
彼女たちが食べたキャンディーの色に注意してみてください。
のっちが食べるのが黄色 かしゆかが青 あーちゃんが赤
そしたら そのキャンディーの色通りに三人の衣装の上半身が染まります。
このPVって、不思議の国のアリスよりも
パフュームの三人が、どうやって色彩を獲得したかの物語なのではなかろうか?と。
わたくし、以前の文章で、「不自然なガールのPV百回以上見たにもかかわらず、かしゆかのヒールだけ他の二人と色が違うことに気がつかなかった」と書いてまして、
そりゃ、ハイヒールに踏んづけられることに悦楽覚える人間じゃなくて、普通の男だったら女の顔とか手か太ももとかに注目しますわ。
なかなかピンヒールの尖ったところ色には着目しません。
それに近いことでして、
ももクロの衣装の色分けからパフュームの色彩利用に着目する前は、このPVみても誰が何色のキャンディー食べたかなんて気にとめませんでした、わたし。
まあ、それはいいとして、
このPVの解釈としては、普遍的な子供から大人への物語ではなく、パフューム三人の個人的な物語としても成り立ちそうです。
彼女たちがパフュームをはじめるまでの安楽で退屈な世界。そしてそこで感じていたフラストレーション。
相変わらず、いい加減な情報で申し訳ないんですが、
かしゆかってパフュームはじめるまでは「自分に自信がなくて、自信がないから人にも優しく出来なくて、そんな自分が自分で嫌いだった」的なことをインタヴューで言っていたと思うんですが、
みんなテーブルを踏みにじる場面で何かを感じてしまうらしいんですが、それはパフュームはテーブル(おそらく人の心の比喩だと思うんですが)を 踏みにじるようなことするキャラじゃないと思うから、心に引っかかりを感じるんだと思うんですが、
わたし的には、このかしゆかの演技が印象的。人を傷つけようが自分が汚れ用が構わないとでも言ったような無関心さ。
ここを見て、さっきのインタヴューの言葉を思い起こしてしまいます。
そんな、彼女たちがパフュームを結成して、怪しげな大人やキモオタの待ち構えている世界に飛び出していく。
その際には、三人の衣装を戦隊モノ的に三色で区別できるようにした。
魑魅魍魎ときらめきの同居する世界で、私たちは元気にやってるよ!
そういう解釈でも、別に問題ないんですけど、
もし、彼女たちのデビューが16歳か17歳としたら、わたしはこの解釈で満足して終わっていたでしょう。
でもパフュームは、テーブル踏みにじるような強いフラストレーション感じる前のまだ子供の時に結成され、それから程なくしてデビューしてますから、この解釈いまひとつしっくりこないんですよね。
かしゆかがパフューム前につよいフラストレーション抱えていたとしても、あとの二人はどうよ?
別の解釈
中田ヤスタカの二曲目の『モノクロームエフェクト』から彼女たち色彩をなくしてしまい、モノトーンの衣装がほとんどになるのですが、
(首に巻いたリボンの縁取りに微かに戦隊カラーの痕跡)
彼女たちがいるピンクの部屋というのは、じつはモノトーンの衣装着せられていた彼女たちの時代の比喩なのかな、と。
パフュームの歌って暗い歌詞多いじゃないですか。どぎつ内容の歌詞も多いし。全般的に大人のおもちゃにされているようなところもあるし。
中田さんに棒読みで歌えって言われて泣いていたとかのエピソードもありますけど、
グループ続けれらるかどうかわからない時期なんか、ほんとにストレス溜まってて、テーブルの上踏みにじりたいようなことも多かったんじゃないでしょうか。
また、成功してからだって、楽しいことだけのわけないですし。
やっぱり、テーブルの上踏みにじりたいようなことも多かったんじゃないでしょうか。
ものすごく自然体でリラックスしているようには見えますけど、そんでも、アイドルなんだから猫かぶっているようなところもあるはずだし、年若すぎるってことでモノ自由に言えないような空気もあっただろうし。
といろいろなこと考えるんですけれど、
そんなパフュームが、始めたばかりの頃の素直なきらめきを取り戻す様子が表されているのが、このPVのメッセージなのだろうか?
今まで無理して大人の世界に付き合わされていたかもしれないけど、今はもう大人なんだし等身大の素で勝負できるんじゃないかという自信ができたのかな、などと推理してしまうのですが、どうでしょう。
別にパフュームの三人がPV監督してるわけでも、詞を書いてるわけでもないんで、
自然に、こういう流れというか空気がスタッフとの間で出来上がっていくんじゃないでしょうか?以心伝心的に、もしくは何気ない会話の節々から。
スパイス以降の三人の色分けは、固定されていなくて、随時入れ替わる。メンバーの識別のために色を使うのではなく表現力の一つとしての色彩。
もはや、ダンスのシンクロ率を印象づけるために衣装の色を揃える必要がなくなった、つまり最近の自信の表れか?と。
氷結の三色同時発売みたいな場合には、三人が別々の色の服着ていたほうが都合いいってのもあるでしょう。
そう考えるとピュレグミは渡りに船みたいな企画。
パフュームが『モノクロームエフェクト』の時代から『マイカラー』の時代に入ったということなんでしょう。なんかピカソの青の時代とかピンクの時代みたいな区分だ。
「一回しかないからね」
これやるためだけに、セットリスト秘密にしてるのか?あーちゃんは。
非常に情報価値の少ないうろ覚えで申し訳ないのですが、『JPN』での三人のおすすめの曲ってのが、
あーちゃん「my color」
のっち「微かなカオリ」
かしゆか「心のスポーツ」
だったと思う。(間違っていたらごめんなさい)
全部、彼女たちの実年齢相応な曲で、おどろおどろしいわけでも凄すぎるわけでも子供っぽすぎるわけでもないように思えます。今後のパフュームは、今までよりももっと自然な形で自bんたちの色を出していくようになるのではないか、なんて思ったりして。
ファン歴長そうなこと書いてますけど、じつはわたし、ファン歴3ヶ月半なんですよね。
ヘレンケラーって、流れてくる水を受けながら、その手のひらに指でwaterて書かれることで言葉覚えていったような人なんですが、
その人が言うには「色ってどんなものか分かる」そうです。
共感覚の実例にしましても、
味に色を感じるとか、音に色を感じるとか、の色関連の実例が一番多くて、
暖色寒色みたいな言い方しますけれども、別に赤色と青色の絵の具に温度差あるわけじゃないですからね。
ヘレンケラー言うところから察するに、色って皮膚感覚で理解できるものなんでしょう。温度を感じることが心に呼び起こすものと近しいものかもしれません。
わたくしごとですが、
パフュームを知ってからついさっきまで、香水って単純な茶色であることを完全に忘れていました。
パフュームが香水の意味であることを忘れていたわけではないのですが、香水ってもっと華やかで色彩に満ち溢れたものだと錯覚していたんですよ。
私以外にも香水と聞いて、あの液体の琥珀色ではなく、もっと華やかな極彩色を思い浮かべてしまう人っていませんか?
私にとって香水とは、花開く季節や性欲や叶えられない憧れや女性の存在や裏切りや残酷や富といったもろもろのイメージに連なる色彩を感じさせます。
それはなんでかというと、香水の本分はあの色彩ではなく、あの匂いであり、匂いそのものを脳内で再現しようとするのは結構難しいので代用として雑多なイメージの集合体が頭にまず飛び込んでくるからだと思われます。
「パフュームか、しょーもないグループ名だな」と思ったときもありましたけど、視覚を聴覚と混線させようという試みのユニットに付いた名としては、少々上手すぎかもしれんな、と思う今日このごろです。