この気持ちだけは、作り物じゃないでしょ

30秒のところ

「どうして、ねえコンピューター、こんなに苦しいの」
『グリッター』にもボクシングのストレートのゼスチャーがありまして、
「さあ、現実と戦いませう」位の意味で使われているのだと思うんですが、

今になって見ると、このポーズ、鉄腕アトムにしか見えません。

更に言うと、ウランちゃんと全く同じポーズ。

『地上最大のロボット』 プルートの回からです。

こりゃ、スタッフ一同で手塚作品の読書会やってるな、たぶん。

「いつでも百万馬力で、力が…」
山下先生、それ、違いますから。プルートと戦うための暫定的特別仕様です。いつもは十万馬力。
ていうか、山下先生、プルート好きですね。


このあたりの衣装が鉄腕アトムだという指摘がありますが、

かしゆかの髪型って、ピノコとかの手塚キャラっぽいです。手塚作品によくいます、この手のパッツンとした髪のひと。

ついでに、足の形も手塚作品ぽい。

更に言うと、最初期のかしゆかの髪型が、浦沢直樹の描くウランちゃん仕様。




ついでにプラスチックつながりで、

28年前の曲ですが、悲しみだけがリアルで目の前の恋はプラスチックで偽物、という歌詞。

なんでプラスチックなのか、ブリキじゃダメなんですか?

金属って熱を伝えますから、通常は冷たいですけど、あっためればあったかくなるもんです。

それと比べると、ガラスとかプラスチックって、ヌメっとした手触りだけがあって温度感がない。

ガラスの場合だと乱暴に扱うと壊れますけど、プラスチックはどんな風に扱っても没問題。ついでに安物だから割れてしまっても構いません。

普通プラスチックってこう言う意味で使われるのですが、
perfumeの場合は、この構図が反転している。

その反転は、個人的な気まぐれではなくて、歴史の必然というか人類のたどってきた道筋に沿ったものでして。

人の肉体はあっさりと朽ち果ててしまいますけど、
人の心は、書物にしたり音楽にしたり映画にしたり絵画にしたりすることで、保持保管できるもののようです。

隣の人物が何を考えているのか何を感じているのかよりも、100年前の異国の人が書き記した言葉や音楽の方が遥かにリアルな感情を表しているように感じるのは私だけじゃないでしょう。

現状では、文学とか音楽がコンピューター上で立ち上がらないだけで、文学とか音楽とかって人間の心を時空を超えて再生させるためのプログラムと言っていいんじゃないでしょうか。

つまり、心、もしくは魂こそが、人と機械を分け隔てる一番の理由だと思われていたのが、
本当のところは、心こそがもっとも機械的なあり方をしているのではなかろうか、と気づくわけです。

人と機会を分け隔てる最後の溝は、
死ぬことに対する恐れや、他者への嫉妬や勝利への欲求という感情に属するものだけなのではないか、
浦沢直樹の『プルート』を読んでいるとそういう気にさせられます。



鉄腕アトムの誕生シーン。
アトム誕生までのプロセスとして、人工皮膚やその他のテクノロジーについての描写は十分なされるものの、
人間の心のあり方をどうやってロボットに組み込むかについては、ほとんど触れられていない。

ごく当たり前の如く、胸の中にはハートが埋め込まれている。

手塚治虫は、心なんて実は大したものじゃない、と思っていたのかもしれない。

火の鳥』を読む限りでは、無機物と有機物の間には大したさなんかない、つまり感情の起伏と砂丘に風で描かれる模様の間には根本的な差異はないと考えていたように見える。


「この気持ちだけは、作り物じゃないでしょ」
セラミックガールの歌詞ですが、
体が全部作り物だとして、頭の中に入っているプログラムも作り物だとしまして、
それでも、それ作った人たちがいるわけです。

プラスチックとかセラミックの材質から作った人の人となりを読み解くことは難しいでしょうが、
心のプログラミングに関しては、それをプログラミングした人たちの為人、そして人生観、思い出と未来への予感が込められているわけで、

たとえロボットであろうとも、その心は、文学とか絵画とか芸術のように実態のあるもののはずでしょう。