『コンピューターシティ』についてならいくらでも書くことがある
なんか紙のマスクしている人を外で見ると、「あなたもパフュームのファンですね」とかラリったことを言ってしまいそうになる。
インフルエンザ怖くてマスクして歩いている人に向かって
「あなた、youtubeにパフュームのダンス投稿してません?」
一般の方が踊ってその様子を投稿されているのですが、こういうのを見るとPERFUMEについての見識が深まる。
わたしにとってコンピューターシティの振り付けの肝は、この三つ。
なんで、この三つなのかというと、
パフュームで何度も繰り返される、殻を破るようなモチーフがこの三つと思うからです。
コンピューターシティーという管理された生きている実感のない世界の中で、生身の生命感を得ようともがく人を描いている詞といっていいかと思いますが、
コンピューターシティの中でその手触りを得るには、殻を破るような行為が必要とされるのでしょう。
そういうことの読み込みがあまりできていないと、この三ポイントを立たせようという発想は出てこないんじゃないか、と思う次第。
普通の人がパフュームを踊ったときに、本物と比べてどこが物足りないかというと、そういうしぐさの意味の読み込みの部分であって、体の切れじゃないと思うんですよ。
ハツネミクでパフュームやられている方もいるんですが、体のキレということに関してはヴァーチャルですから問題ないはずなんですが、
振り付けの言語的意味の読み込みが、どうも弱いんではないかなどと思ってしまいます。
この箇所のすばやく体を縮めてから、苦しみを大きく膨らます風船みたいなしぐさで表現する箇所ですが、
この振り付けの意味が読み込めていたら、
この一般人の方は、絶対画面向かって右端の机とかぬいぐるみ片付けているはず。
ヨウツベに投稿されている一般の方に対してずいぶんときついこと書いているように思われるかもしれませんが、
でも、そこだけでも修正したら、かなり向上するんじゃないか?とわたしはまじめに思うんですよね。
この動画だと、
「雲と雲の間を突き抜けて」の箇所に関しては、振り付けが持っている言語的な意味について理解されているというのはわかるのですが、
実は、パフュームの振り付けは最初から最後までほとんど言語的ということはなかなかみんな気づいていないんだろうなと。
http://www.youtube.com/watch?v=7HVdFdGhIec
うまいんですけどね。
で、本物と比べると、何が一番足りないかというと、「振り付けが言語」であるという自覚の弱いところだという気がします。
実のところこの曲の一番知的なところは、
「あー、どうしておかしいの?コンピュータシティ」
なのではないでしょうか。
詞だけ読んでいると、意味あんまりわかんないんですが、
おかしいって、変だという意味でしょうか?笑っちゃうって意味でしょうか?
間違った世界に生きていることの悲劇についての詞なんでしょうか?
それとも
深刻に悩む必要のないことでくよくよしている男の子を温かく小ばかにしてくれる女についての詞なんでしょうか?
もし、ここで、このパンチをまじめに本当に痛そうに打ったとしたら,詞の解釈は
間違った世界に生きていることの悲劇
のほうに傾くでしょうが、
この動画を見る限りに於いては、
深刻に悩む必要のないことでくよくよしている男の子を温かく小ばかにしてくれる女
の解釈が正しいような気がします。
この動画では、かしゆかは実にいいポイントポイントで笑っていてくれます。彼女の笑顔を基にしてこの詞は解釈できる、わたしはそんな風に思っています。
ほんと、このパンチ、まじめに打っちゃだめなんですよ。
それこそ、ウランちゃんみたいにやらないとだめなんですわ。
そういうことし掛けてこれるクリエーター集団ってのには、ただただ敬服する次第。
詞だけ読んでも、苦しいのがコンピューターなのか女のこの方なのかはハッキリしませんけど、
振り付け見ていると、
女のこの方もくるしいんだけど、その苦しみというのをさっさと片付けて、男の子(コンピューター)のほうの苦しみについて尋ねている、共感しているって感じが伝わって来ます。
振り付けで詞をゆがませる、ほんと、ここでやられていることは知的な操作だとわたしは思うとこです。