無意識・・・
実のところ、Perfumeについて書く、もしくは語ることは、疲れる。
本来私は、湯上りにさっぱりした浴衣着るような、すっきりした文を書くことをモットーにしてるはずなのですが、
Perfumeについて書く場合は、どうにもそうなりません。
どうしてそうなのかというと、Perfumeの芸は、ヒトの無意識の部分に語り掛ける類のものなのだからでしょう。
言葉を積み上げる論理を積み上げるという作業と違って、自分の無意識の中に下りて行って泥アソビしているような、それはそれで楽しいことなのですが、服も汚れるし、またシャワー浴びなおさないといけないしで、面倒なことだったりします。
一年前にレコード会社を移籍した時に、そこの社員が今後のPerfumeの世界進出への野望みたいなものを語っていたのですけど、
結果はそう順調でもないようでして、
なんでそうなるのかというと、Perfumeって狙ってあの芸風を確立したわけじゃないんでしょうから、
戦略練りすぎると、空回りし始めるのではないでしょうか。
んだったら、何でもかんでも無意識で、行き当たりばったりにやっていればいいのかというと、
そうでもないんでしょうな。
私の考えですけれど、
Perfumeの三人のうち、Perfumeの在り方について一番心を労しているのは、あーちゃんだろう、と。
そして、そのくせ、Perfumeの実態について一番ずれた考え方してるのも、あーちゃんなんだろう、と。
レコード会社の担当スタッフが戦略練る以前に、あーちゃんはいろいろ考えているとは思うのですが、
それも狙いすぎで、むしろやらないほうがましなのかというと、
いやいや、
目標を設定し、越えるべきハードルを高くし、それに向かって努力し、というプロセスがないと、Perfumeの魅力ってのは出てこないんでしょうな。
あーちゃんいないと、Perfumeって始まりさえしない。
まあ、それでも、
中田ヤスタカの楽曲が、視覚要素を付加されることで変質していくみたいに、
あーちゃんの脳裏のPerfumeの在り方の理想像みたいなのもどこかで変質していくんでしょう。
あーちゃんというと、いつもライブで泣いている人というイメージがあるのですが、
なんで、この人泣いているんだろうと考えてみると、
ただ単に涙もろい情感の強い人というだけでなく、
自我の組換えを行うようなことをライブの度に経験させられている、のかもしれんな、と思いました。
「自分の思ったように物事は進んでいない。そして自分の思ったよりも素晴らしい現実がここにある」
こういう体験は、自分の姿を俯瞰しているような感覚で、わりに人を泣かせる類のものだったりします。