『マカロニ』 

最近、あんまりこのブログを書いていないので、今後なかなか多くの人の目に触れることを書くこともないのでしょうけれど、

もしかすると、この回の記述が、このブログの一番読まれた記事になるのかもしれません。
『マカロニ』の歌詞について



まあ、そして、今なら、『マカロニ』の2009(平成21)年10月15日 ⊿TOUR 横浜アリーナの映像について、もうちょっと客観的なことを書いてしまうのですが、



自分と相手の距離感をうまくつかめない恋人たちが、その微妙な距離感を「これでいい」と自分たちに納得させていたのが、
もう一歩踏み出した関係に成ろうとしたときに、天使がほほ笑んで後押ししてくれた。

わたしは、そういうストーリーをこの映像と詞から感じてしまったのですが、


三人の女の子たちがどう思っていたのか、曲書いた人がどう思っていたのか、ステージ演出考えた人がどう思っていたのかは、
私にはわかりません。

ただ、しかし、このライブ映像を編集した人はわたしの解釈と大体同じだろうと思いますね。


のっちに着目すると、彼女、3分25秒まで笑いません。ずっと不安げで耐えてるような表情です。
そんで、曲の終盤でキラキラした目で初めて笑うんですが、
だから、1分10秒の「これぐらい」と3分40秒の「これぐらい」って、
ぐらいの程度が違うんじゃないか?と思ってしまうんですね。

最初のこれぐらいは75センチなんだけど、最後のこれぐらいって24センチまで縮まっているんじゃないか、と。


基本、かしゆかは、ずっとニコニコしてるから、物語を俯瞰で見ているように感じられます。

微妙なのは、あ〜ちゃんの存在なんですが、
「この曲においては、自分はわき役だ」とかしゆかは知っていたけれども、あ〜ちゃんは知らなかったのかもしれません。そんで、ライブビデオ見てはじめて、「え〜、わたし、この曲では脇役だったの?」みたいなことがあったのかもしれない。

自分が演出家の立場だとしたら、そういう仕込みやっちゃうかもしれません。
のっちにだけ、こっそりと曲の演出方針教えておいて、あ〜ちゃんには独自の解釈で踊らせるとか。

ほら、よく聞くでしょ、映画監督の人でなしのエピソードって


ほんで、
もしこの『マカロニ』から あ〜ちゃん抜かして、かしゆかとのっちだけにすると、ものすごくわざとらしくて、興ざめするような気がするんですよね。
『マカロニ』に関しては、のっちとかしゆかはポジション決まっているんだけれど、あ〜ちゃんはフリーポジションで、曲の雰囲気を作っている、そういうことなのかもしれません。



わたしにとって、この曲の意味は、
3分25秒で初めてのっちは笑うということで、ほとんど決定されてしまいます。
曲を書いた人が何を思ったか、振りをつけた人が何考えてたか、について解釈する気もないし、その資格もないんですね。
わたしは、ただ、3分25秒目まで笑うのっちの姿を映さないライブビデオの編集者の思いを解釈しているだけなのでしょう。

そして、わたしにとってはPerfumeってそういう存在でして、
その点に関しては、たぶん、ライブを見ても変わらないはずでしょう、たぶん。