近代西洋美術史観とPerfumeについて

別に大したこと書くわけでもないんですが、

世界中の国には、
博物館はあるけど、美術館はない、

そういう国が多いですし、

まして、ヨーロッパ近代美術を買うような外貨もない国も大勢有りますからなおさらのことです。


そういう国の人たちが、それゆえに不幸だとか人間として劣っているとか、まったく考えることができません。


むしろ逆に、そういうものに縋って生きているような人たちって何考えてるんだろう?という気がします。


商業的に成り立たないものって、芸術の名前を与えて保護してやらない限り、生きていけないんですが、

それをやるという事は、無意味やたらな権威とハッタリが必然的について回ることになり、
世界の多数派の人たちをムカつかせている、そのように思われます。


そして、過度の権威とハッタリから、
30までに死んだから偉い、40まで貧乏だったから偉い、的な  芸術家の聖人扱いもアホらしいと思います。



Perfumeにしてもジブリにしても、まず、商業的にちゃんと成り立っているところからして、芸術というよりも、ビジネスとでも呼ぶべきなのでしょうか。


人の期待に応える、
まっすぐに投げられた球を素直にバックスクリーンまで打ち返す、

そういうのって、コミュニケーションの在り方としてまっとうであり、

100年後の人にしかわからない、とか、そういう言い訳は面白くはないです、ハイ。




Perfumeに関しては、今も面白いし、100年後に見ても、それなりに面白い、と思いますよ。


音楽と視覚情報の組み合わせ、がまず圧倒的に面白いのですが、

更には言葉との組み合わせ、女の子が持っている既成イメージとの組み合わせ、そういう諸々の要素の上積みもすごいところです。