徳間書店 誰かが書くべきこと、だと思う。
徳間からユニバーサルにレコード会社が移ったことで、
これで海外進出本格化だ! ってどうだったんでしょう?
徳間ってそんなに駄目だったんでしょうか?
わかんないんですけど、
というか、徳間の人どう思っていたのか知りたいんですけど、
徳間って、海外進出に対してものすごく貪欲なDNAを持った会社でして、
徳間書店は、70年代に倒産した映画会社・大映を引き受けるのですが、
その大映って映画会社がものすごく野心的な映画会社でした。
戦争の情報統制で映画会社がいくつかに統合され、
戦後のどさくさの中で、大映という映画会社が生まれます。
東宝って日本で一番の映画会社ですが、
大阪の阪急の住宅地を開発した会社でして、ものすごくエリート的な中産階級的な会社でした。
だから、あんまり山師的なことができなかったのですが、
東宝って中産階級的な故に 戦後には共産党員の活動で映画が作れない状況になってしまいます。
それで、映画を作れなくなった職員がほかの映画会社で映画を撮るのですが、
この作品がヴェネチア映画祭の金獅子賞を受賞したのが、湯川秀樹のノーベル賞受賞と同じ年です。
「やった、日本人ってやっぱりすごかったんだ」みたいな喝采を受けたらしいんですが、
その後
溝口健二の映画が続けさまに 海外の映画賞を受賞すると、
大映の社長は、
日本のキモノとサムライ文化が、海外で受けていると認識して、『地獄門』という映画の製作を強行します。
その結果は、
は日本映画史上初のカンヌグランプリ。
もう、すっかり大映は、この成功にとらわれて、桁外れの大作、海外向けの大作に拘泥するようになります。
まあ、今になってみれば、『地獄門』って大河ドラマレベルの作品に過ぎないですから、顧みられることはないのですが、
まあ、それはいいとしまして、大映は、この、大作路線を突っ走り、その結果、倒産します。
その倒産した後の大映の経営を引き受けたのが徳間書店なのですが、
大映の大作路線を引き継いでしまいます。というか、徳間の社長もそういうの好きだったんですね。
日中合作、つまるところは 日本が金出して中国が人と土地を貸した、それだけのことなんですが、
こういう企画が成り立ったのって、
中国が、倒産して困っている大映の映画人にいろいろ甘い言葉囁いたからなんですね。
だから、
文化大革命の終わった後の中国で公開された外国の映画、テレビドラマって、大映関係のものがものすごく多いです。
どうして山口百恵が中国で大人気だったのかの理由は、
その山口百恵の『赤い…』ドラマシリーズが好評を博したからなのですが、
どうして好評を博したかというのは、このドラマが中国で最初に解禁された外国のドラマだからです。
そして、このドラマを制作したのって、倒産して映画作れずにテレビドラマ作っていた大映関係者なんですよね。
『君よ、憤怒の河を渡れ』
中国プロパガンダ映画の巨匠・張芸謀が高倉健主演で『単騎千里を走る』って映画を数年前にとりましたが、中国で高倉健が有名なのは、この映画が文革後に公開されたから。
もちろん徳間大映の映画です。
そんなこんなで、徳間書店は、中国関連映画何本か作るんですが、
徳間の社長は井上靖の『敦煌』を撮りたかったのですが、
中国が、『敦煌』ってウイグルとチベットって昔は凄かったって内容だから、乗り気ではなくて、
もっと日本人が中国に好意を示すような映画撮らざるを得なかったそうです。
まあ、結果としては、中国の陰謀にまんまと20年間ほどつき合わされたわけですが、それはいいとして、
芸能の世界戦略って、アメリカでの成功以外に、アジアでの地道な成功ってのが、伝統的にあります。
世界で一番成功した日本の男優って早川雪舟と渡辺謙ですが、
女優ということなら、李香蘭でしょう。
そして、徳間って、そういうアジアでの営業活動以外にも、
宮崎駿の企画、『ナウシカ』をアニメージュに連載させて更には映画化するわけです。
大映→徳間 の野心が一番実ったのって、宮崎作品の成功なんですが、
それ以外にも徳間は、黒沢の遺作『まあだだよ』の実現に尽力しています。
結局 大映 → 徳間の映画部門は、これまた野心的な角川書店に引き継がれたのですが、
Perfumeのレコード会社だった徳間ジャパンも、おそらくは相当に海外戦略に野心的な会社だったと私には思われます。
シンガポール公演の中継を映画館で見てたんですが、一回目のMCであ〜ちゃんが
「海外進出するには徳間を離れてユニヴァーサルに移籍しなくてはならんかった。徳間の人たちごめんなさい」みたいなことを言って、涙流したら、
かしゆかから「あ〜ちゃん、泣くの早すぎ」と突っ込まれてました。
おそらく
「Perfumeさん、一緒に世界とろうって約束したじゃないですか!」みたいなやり取りが徳間側と有ったんだと思います。
わたしにとって、BabyMetalっていくつかの点でショックだったんですが、
海外戦略って、今や、CD売ることでも、曲をダウンロードさせることでもなくて、ライブに人集めてTシャツ売ることでしかなくなってたんですね。
BabyMetalって、ステマって言われてますけど、
そんでもステマにしても、あれだけ話題つくれりゃ大したもんです。
今になって思えば、Perfumeってレコード会社移籍する必要なかったよな、と思うのですが、
どうして、Perfumeが海外狙ったときに、BabyMetalみたいに、とりあえずヘビメタのフェスに色物として参加させてもらう的なやり方をとれなかったんだろう?
まだ日本での人気知名度の確定していないBabyMetalと違ってPerfumeって日本で成功してから海外へ、というステップ踏みましたんで、
海外進出にどこか勿体つけたようなところがあったと思います。
「あほテクノアイドルなんだけど、知らないうちに感動して泣けてくる」みたいな売り方しなくて、
ひたすらおしゃれ度を増幅して、すごい、かっこいいみたいに受け止めてほしかった、ってのは今になるとわかるんですが、
わたし的には「広島の芋ねえちゃん」でも全然かまわなかったです、はい。
Perfumeってレコード会社の所属以前にアミューズという芸能事務所があるので、
レコード会社の移籍がどれだけPerfumeの方針に影響を与えたのかは分からないのですが、
わたし、一個人のファンとしてyoutubeを見る限り、移籍して世界戦略を始めてからのPVって、企画先行なものが多いです。
『spring of life』好きなんですが、あの曲の間奏で、壊れたあ〜ちゃんを脇の二人が引きずり起こすって演出をライブでもしないといけないんでしょうか?
あの曲のライブの演出って、PV見てない人には分からないものでして、なんか内輪受けに思えてしまいます。
音楽って、ふつうは楽器を担当する人が数人集まり、曲作った人の思いを演奏者数人がそれぞれ解釈して、それを統合したものが観客の耳に届くのですが、
Perfumeって音楽を一人でコンピューターで作るので、この解釈の統合のプロセスが存在しないのですが、
代わりに視覚要素を加味するプロセスがその役割を担っていたわけです。
だから、曲を発注する前に、PVにこんだけ金かけて、こういう風なコンセプトで行くからね、
というのが、重荷になるようだと、
複数のクリエーターによる統合プロセスが破たんしてしまうわけでして、
さいきんのPerfumeって中田氏に曲を発注する前段階の企画部門がうまくいっていないのだろう、
その結果、中田氏はふてくされたような曲作って、振り付け師はどうにもこうにも仕事のしようがなくて、PV作るにしても、おもしろいイタズラができなくて、
結果、女の子たちは頑張っているんだけれど、面白くない。
まあ、BabyMetalのほうがおもしろいな、これだったら、となるわけです。
フルヴァージョンみたらもっとひどかった。
ファンに謝罪しろ、レベルのPVと楽曲。
2ch読んでたら、
中田氏が、「イオンで迷子になった子供の歌」って解説してたらしく、
それを深読みした人が、「もう、俺、曲書かなくてもいいよね」的な宣言らしい、って解釈がありまして、
そうかもしれないと、私も思います。
わたしにとってベビメタってショックだったんですが、何がショックかというと、Perfumeのすごさって、振付師がいれば8割方再現量産可能なんだ、中田氏の曲でなくてもいいし、女の子取り替えても成り立っちゃうし、詞と振付の交錯みたいなものも無くても8割方成り立っちゃうんだ!という衝撃でした。
まあ、ベビメタに乗り換えたってのとは全然違うんですが。
「徳瑞稀内」
中国語できる人間の義務と思い書きますけど、
北京語読みで 「ダ〜、ルィ、シ〜、ネィ」で、フランス語のデラシネ(根なし草)の当て字です。
まあ、こういうの鬼の首とったみたいにネットに書いてる人他にもいっぱいいると思いますが、
こういうアイデアも、私にはものすごくあほらしかったりします。