アイドル虎の穴

アイドル、ってどういう人たちなのか?と思うにつけ、

ながらく、
かわいいだけで、芸のない芸能人、という定義が正しかったように思われます。

さらには、秋元康以降は、
たいして可愛くもなく、もちろん芸もない芸能人。
という定義がより正しいのかもしれません。


アイドルというと、彼女いないオタクの疑似恋愛の対象、
そんな風に思っている人は多いと思います。
だから、持てないオタクの疑似恋愛の対象としては、
むちゃくちゃ美形だとリアリティ損ねてしまい、あまり調子よくないんでしょう。


しかし、かつての日本では、男女交際って敷居の高いものでしたから、
むちゃくちゃ美人がスターであることが可能でした。
自虐に染まったオタク以外も、銀幕のスターにあこがれ、疑似恋愛の対象にしていた時代のはなしです。

原節子って『東京物語』の枯れかかった女の人のイメージが強すぎるのですが、
デビュー当時16歳の美少女ぶりには、息が止まります。
「どうせ、あの原節子が16歳だっただけだろ?」とタカくくって油断してると、あっけにとられる美少女ぶり。



それが、だんだん アイドルが美少女から そこそこかわいい女の子へとグレードダウンしていくのですが、

どういう人がどういう風にアイドルになっていたのかというと、
あまちゃん』で小泉今日子が演じた役を思い浮かべていただけるとよろしいかと思います。

思春期の12歳とか13歳できらびやかな世界にあこがれを抱き、アイドルになりたいと心に誓うも、
どうして夢をかなえていいかわからなくて、一人で鏡の前で演技の練習してみたり、カラオケで歌の練習してみたりするのですが、あんまり効果がありません。
それでも、アイドルになるにふさわしいルックスしてましたら、何かのはずみでスカウトされたり、
オーディション番組で勝ち上がったりして、芸能人になるのですが、

基本的に アイドル = キモオタの疑似恋愛の対象 の図式が出来上がってしまいますと、
あまり雲の上の人的存在感だと、うまくいきません。

それで、歌が下手だったり、頭悪そうだったり、そこそこ頭悪そうだったりという本来はネガティブなはずのイメージ戦略がなされます。


あまちゃん』の橋本愛の役を思い出してもらえるといいんですが、アイドルなりたい女の子って当時は、別に特別なレッスン受けたわけでもないですし、音楽的才能によってアイドル候補生に選ばれたわけでもないですから、
歌が下手なのは当たりまえ。

むろん演技のレッスンもデビュー前にはほとんど受けてないですから、大根が当たり前。

わかい、そこそこかわいい、それ以外は能がない、
というアイドルの一般的イメージが70年代には出来上がり、それがずっと続いてきたわけです。


それが、今現在、全然別のアイドルへの道が開拓されており、
アイドル = 能無し
ではなく、
アイドル = 優生学的なエリート芸人
になりつつあるらしいんですね。

めったやたらと、子供に将来の夢を聞いて回る大人の存在が、子供をこんな方向に導くのだろうという気がするのですけれど、
小学校4年生くらいで、アイドル養成所の門をたたき、そこで何年もレッスンを受け、
ステージ上で観客の喝さいを受けることが何よりも快感であると叩き込まれるわけです。


10歳から芸歴積み重ね、競争淘汰を勝ち抜いてくると、15になった頃には、もうひとかどの芸人ですわ。


アイドルなのにすごい、といういいかた、もう通用しなくなるはずで、
アイドルだから、すごい。と言われるのが当たり前になってくるはずです。

新しい音楽スタイルのフロントにアイドルをくっつけるやり方、
Perfume,BABYMETALとつづいて、今後は三番煎じ四番煎じという言い方されないくらい
当然化していくのでしょう、

だって、アミューズにはアイドル養成虎の穴部門がありますから。