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一発屋という言い方がありますけども、
たいていの場合は、一発目が大当たりすれば、二発目もそれなりに当たるものです。
いわゆる一発屋と呼ばれる歌手、ミュージシャンでも、
たいていは、二発目もそれなりのチャート記録を残しています。
ただ、一発目と比べてしょぼかったという理由から、二発目の存在が忘れ去られてしまう場合がほとんどです。
ベビメタのアルバムがビルボードで、187位を記録したんですが、
日本人のアメリカでの歴代チャート記録といいますと、
シングルにしろアルバムにしろ坂本九がとびぬけています。
1963年の『上を向いて歩こう』に次ぐ二発目は『シナの夜』
最高位は58位。
いろんな日本人アーティストがアメリカでの成功に挑みましたが、残念ながらほとんどの方は、この坂本九の二発目以下の成功しか収めることができませんでした。
『シナの夜』もともと、渡辺はま子の持ち歌なのですが、
なんといっても、ついこの前なくなった李香蘭こと山口淑子の映画と歌が有名です。
いろいろ聞き比べてみると面白いのですが、
李香蘭の『シナの夜』ですと、上海の夜景を背景に歌われておりまして、
当時1940年の上海って、外国人により管理されていた都市ですから、いわばイギリスやフランスの飛び地だったわけです。
だからでしょうか、李香蘭ヴァージョンでは、この曲にエキゾチックなアジアの味付けをほとんどしておりません。都会風でロマンチックなアレンジが主です。
それと比べると、元歌の渡辺はま子ヴァージョンでは、当時の日本人が心に描いたチャルメラや銅鑼により表されるの中国イメージが濃厚です。
そして、坂本九の方といいますと、もう完全にアメリカ人からみたエキゾチックアジアのイメージに毒されていまして、東南アジアか中国か日本だか区別のついていない胡散臭さに彩られています。
「日本から歌手がやってきた」となると、向こうの連中はこういうイメージを期待してしまう、、
そして、このようないい加減なイメージに付き合ってしまったのが、悪い結果につながってしまったようです。
実のところ、
この『シナの夜』、日本の歌謡曲史上最も成功したものの一つでして、朝鮮、中国、東南アジアで翻訳して歌われ、さらにはアメリカ・イギリスでも英語に翻訳されてうたわれました。
こちらは、上海の歌手によってカバーされたものですが、
中国人がこの歌を聴くにあたり中国エキゾチシズムの味付けって必要ないですから、そういうのを取っ払って、むしろ中国人がイメージする西洋ポップスに近い。
当たり前かもしれませんが、日本人として中国に対する理解が進んでくると、このヴァージョンが一番ききやすいですね。
嘘くさいエキゾチシズムが取っ払われ、中国人が本当に持っている異国情緒だけが残っているというところでしょうか。
こちらは、韓国のキムシスターズ。韓国人が、胡散臭いオリエンタリズムのアレンジで、中国についての歌を日本語で歌う。
なんというパッチものくささ。
元祖韓流といったところでしょうか。
こちらは、日本芸能史のレジェンドのうちの一人、ナンシー梅木。
戦後に進駐軍相手に歌っていたんですが、その後渡米してアメリカで歌手・女優として活躍します。
『サヨナラ』
日本人で役者としてアカデミー賞を受賞したのは、未だ彼女一人。
まあ、
この映画主演がマーロン・ブランドで、彼が進駐軍として日本にやってきて歌舞伎を見たところ、歌舞伎役者が実はみな男だったことに憤慨。
その直後に女だけで演じられる宝塚歌劇を見て、そのスターに一目ぼれ…。という、はっきり申しまして、バカ映画です。
主演女優は日系アメリカ人で、
彼女の演技は、完全にアメリカ人のそれなんですが、
生粋の日本人であるナンシー梅木はアメリカ慣れしているとはいえ、物腰穏やかで丁寧でやさし気。
「日本の女、サイコー」って外人の男はいろんな国に必ず一定数いますが、
そういう外人の養成に一役買ったのがこの映画らしいです。
特に、風呂に入っているときに、背中を流してくれる女に心ときめいた外人が多かったと何かの本で以前私は読みました。
まあ、一緒に風呂に入ってくれる女が好きなんでしょうね、きっと。
こちらは、1995年のバカ映画『ハンテッド』。
『ラストエンペラー』で皇帝を演じたジョン・ローンが忍者の役で出演しており、同じく『ラストエンペラー』で皇后を演じたジョアン・チェンが、主人公のクリストファー・ランバートと一緒に風呂に入る日本人女性を演じております。
アメリカ人的には、よほど、一緒に風呂に入ってくれる女にあこがれがあるのでしょう。
まあ、風呂場で売春することを考え付いた日本人には、文句言えた筋合いではありませんが。
こちらは、李香蘭こと山口淑子がシャーリー山口の名で戦後に出演したアメリカ映画『竹の家』
李香蘭の中国語発音をカタカナ書きにすると、リー・シャンラン。その姓と名をひっくり返すと、シャンラン・リー。
彼女のアメリカでの芸名、シャーリー山口は、そこから来ているようです。
それはいいとしまして、彼女の役は芸者。
冒頭のシーンが富士山ですので、まさにフジヤマ芸者映画。
この映画、
日本でロケされたから実際の日本の風景なんですが、室内の光景は日本だか中国だかわからないいい加減なものですし、BGMもアメリカ人の頭の中にしか存在しないエキゾチック・オリエンタリズムです。
そして、やっぱり、風呂ですね。
そして、上半身裸のアメリカ人をやさしい指先でマッサージする東洋の美女。
こちらは、リドリースコットの『ブラックレイン』
バブル全開の日本が舞台であり、その金に釣られて多くの外国人が日本にやってきましたから、日本の実情はそれなりにアメリカにも伝わっていたはずなのですが、
それでも、やはり、バカ映画の系譜をちゃんと引き継いでいます。
有名な役者ばかり出ていますが、ちなみに、この映画のヒロインのケイト・キャプショー、あの有名監督スピルバーグの嫁ですね。
なぜ、外人は、
実際に日本にやってきているにもかかわらず、本当の日本人の姿を撮影せずに、その他のアジアをごちゃ混ぜにしたイメージ、風呂とかマッサージの場面ばかり撮りたがるのか、なのですが、
かれら、そういう先入観持っていますから、
売春婦のいないアジア、富士山も忍者もない日本に満足できないのでしょう、きっと。
私たち日本人は、アメリカやヨーロッパに対してはさすがにそこまで無茶を求めはしないでしょうけれども、発展途上国の国々に対しては、割に大差ない態度だったりします。
本当のところ、インドとエジプトって気候も風景も人の顔もかなり似通っているのですが、
エジプトに行って、そこがインドと同じに見えてしまうと、観光客は困るわけです。
高い金払ったんだから、エジプトは私たちの先入観通りにピラミッドがあってラクダがいないと納得できない(まあ、ラクダはインドにもいるんですが)。
ラオスとかミャンマーの山の中のゲストハウスに泊まったら、隣のレストランから大音量でホテルカリフォルニアが流れると、ものすごく腹が立つわけです。
自然に囲まれた素朴な村に来たと思ったら、時代遅れのアメリカのポップスを現地の若者が聞いていて、レストランに行ったら割高のピザとかスパゲッティ等の洋風のメニューが幅を利かせている。
現地の人がそういうの好きでやっているかもしれないとしても、観光客としては、それが許せないわけです。
「素朴な村に来て、素朴な人間らしさを取り戻したい」そういう身勝手な先入観と欲求に突き動かされて、ラオスとかミャンマーの山の中まで来たのですから、
その期待に応えてくれないと、腹が立つわけです。
こういう態度と、フジヤマ芸者を求めるアメリカ人の身勝手さって、実のところ大差ないのでしょう。
相手の勝手な思い込みを払しょくできなかったのだから仕方ない、
本当の自分の姿よりも先入観のほうが相手にとって威力的なのだから仕方がない。そう思ってあきらめるべきなのかもしれません。
わたしが、PerfumeのくりんくりんのPVを見て、腹が立つ、というのは、この辺のフジヤマ芸者的流れを引き継いでしまったところから来るのですが、
別の視点でフジヤマ芸者現象をとらえようとしたのが、YMOというかそのリーダー格だった細野晴臣。
皆様ご存じのとおり、YMOのデビューアルバムの実質一曲目って、『ファイアークラッカー』って曲なんですが、
その作曲者がマーティン・デニー。
ハワイに住み、白人アメリカ人の脳裏にある楽園のイメージを音楽で表現することにこだわった人です。
ハワイって日系人、中華系、フィリピン系などのアジア移民が多く、そういう人たちの音楽をごちゃまぜにした上に、
南国の持つパラダイスの風味をまぶした、
胡散臭いんですが、変な魅力に満ちた曲です。
マーティン・デニーは、自分で作曲するだけでなく、そういう胡散臭いエキゾチック曲のカバーもたくさん行っていまして、
『シナの夜』もあります。
中国の銅鑼、東南アジアの金属楽器、日本唱歌のメロディ、まあ、ごっちゃです。
そして、マーティン・デニーがハワイに住んでいたことから一つ気づくことがありまして、
アメリカのとんでもアジア映画のイメージには、日本の気候が実際よりも熱帯で暑苦しいといえるのではないでしょうか。
実際のところ、アメリカ合衆国と日本の緯度は、ほぼ同一であり、
アメリカ人から、日本は熱帯で暑苦しいと指摘されるいわれは、どこにもないのですね。
しかし、かつてのアメリカ人は、日本に来るならば必ずハワイに立ち寄らなければならなかったのですから、
日本の気候に熱帯を重ねてしまっていたわけです。
まあ、それはいいとしまして、
日本という国、近代史においてあまりにもアジアの中で突出してしまったゆえに、
必要以上に、西洋人からエキゾチシズムの対象にされてしまった、
アジアの神秘は日本に行けばすべてある、的な誤解を受けてしまった、
その結果、当の日本人でさえ、自分たちが何者であるのかが分からなくなってしまっていた時期が長かったように思われます。
日本人にとっての外国は、欧米であり、
欧米との比較で、日本人の個性とは何か?と考え続けてきたわけですから、
欧米にないものは、なんでも日本の個性と思いがちだったのではないでしょうか。
着物は、かつての中国人の衣服であり、
法隆寺は、かつての中国の建築様式のコピーであり、
仏教は、インドの思想、
そういうごちゃまぜの文化の中でずっと歴史がはぐくまれてきたことに対して、鈍感になっていたというのがあると思います。
そういう、外からやってきた文化をひとつづつはがしていくと、
本当の純粋な日本文化が何か残るのか?と言いますと、
おそらく、何も残らないはずなんですよね。
五万年もさかのぼれば、日本の位置に日本人なんて住んでいなかったはずなんですから。
そこまで考えると、日本人がアメリカのロックを演奏することって猿真似ではないのか?という疑問からやっと解放されるような気がします。
所詮、アメリカの白人も黒人の音楽盗んだだけですし、その黒人の音楽だって、アフリカにあったもんが海を渡ったわけですし、
細野晴臣、YMO結成するまでの数年間、
とんでもアジア風味のポップスの演奏に明け暮れます。
そしてその集大成が、『ファイアークラッカー』のカバーであり、『ソリッドステイトサバイバー』のジャケットだったりするのですが、
- 作者: YMO
- 出版社/メーカー: αEPIC
- 発売日: 2003/09/25
- メディア: CD
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Track listing
Side One
Ue o muite arukō (Sukiyaki)
Tsun Tsun Bushi (The Tsun Tsun Song)
Hitoribocchi No Futari (The Lonesome Two)
Kyu-chan Ondo (The Kyu-Chan Folk March Song)
Mo Hitori No Boku (It's Just Not the Real Me)
Good Timing
Side Two
Boku No Hoshi (My Star)
Kiminanka Kiminanka (I Couldn't Care For You, Not You, Not You!)
Kyu-chan No Zuntatatta (The Zuntatatta Song)
Hige No Uta (My First Whisker)
Goodbye, Joe
Anoko No Namaewa Nantenkana (I Wonder What Her Name Is)