前回の話の続き、 行きつくところはキャバレーなのだろうか?

椎名林檎がキャバレー経営したらどうなるだろう、という前回の話の続きです。


ベビーメタルのステージって、大衆演劇に通ずるチープさがあって、
だから受けてるともいえるし、だから好きになれない人もいるということなのでしょう。

杉良太郎ショーと何が違うんだとも言えます。

この手のコスプレ そして宝塚的な階段をしつらえた舞台設計。

見れば見るほど演歌歌手のステージと共通する要素が目につくようになるのですが、

じゃあ杉良太郎がパリやロンドンで公演したら成功するのか?というと、そんなもん神のみぞ知るです。


ただ、しかし、ベビメタに関して言えるのは、彼女たちの衣装がローマ帝国の鎧とフレンチカンカンをくっつけているのをヨーロッパ人が見たときに、彼らの側にある大衆演劇の伝統を彼らは見出してしまうらしいことです。


3分40秒のところでユイモアが喧嘩始めて、それを仲裁するようにすぅさんが足蹴り上げるんですが、
バックバンドが仮面ライダーの戦闘員に見えますから、
ライダーキックと感じる日本人多いのだと思うのですが、

フランス人的には、おそらく、あれ、フレンチカンカンですよ。


パフュームがミニマム演劇とかエレクトロ能とかいうのがふさわしいとすると、
ベビーメタルはずっと既存の芸能に近いもので、
「なんで子供がヘビメタやってるわけ?」という最初の衝撃を乗り切ると、そのあとは割とすんなり受け入れられるもんです。



むろんこの手のロックショーの在り方、ベビメタ以前に先例が無数にあるわけでして、
シアトリカル・ロック(舞台演劇的ロック)と呼ばれます。

たとえばデビッド・ボウイ

ちなみにこの会場、この前パフュームがライブしたハマースミスオデオンです。

6分40秒のところでギターとベースがさっきのユイモアと同じように喧嘩始めます。
まあ、
これだったら、ベビメタの方が面白い。

デビッド・ボウイも調子に乗っていろいろパントマイムしますが、そんなに曲と調和しているわけでもなく、
別になくてもいいよね、的な。

でも、詞そのものはベビメタよりはるかに面白い。まあ、これは、当たり前か。


照明にしても、四十年前は、大したものがないですから、
赤と青、補色の関係の二色を交互に点滅させたりすると、それだけで視神経いかれるんですが、
ベビーメタルの照明はこれにレーザー加わりますけど、大まかな部分は似たようなもの。

ユイモアのダンスの奇妙さに最初の内はあきれはしますけれど、
なじんでくると、ベビメタって新しいなにかではなく懐かしいなにからしいことが徐々にわかってきます。


アリス・クーパー ヘビメタのとんでもギミックの開発者。

Queen

芝居がかった振付、性的な退廃を感じさせる要素。そういうものがあると、キャバレー的と言われてきたわけで、
クィーンの場合だと、そのうえストリップまがいのこともステージ上でしていました。


つまりキャバレー的なロックって枚挙にいとまなく、そしてそれらは皆ベビメタとつながっているように見える。
そのうえ、ハードロック、ヘビーメタルって、今でこそ衰退したジャンルですが、元々はロックの王道路線で、
潜在的な支持者はものすごく多い。



これ、クィーンの世界をミュージカル化した『we will rock you』のドイツ公演の模様。
日本にも来ました。新宿コマ劇場でやってました。
そして、招聘、主催は株式会社アミューズ
海外公演であ〜ちゃんwe will rock you歌ったのってこういう繋がりなんでしょうし、
アミューズMIKIKO先生抱えてるのは、自前でこういうのやるためなんでしょうね。

しかし、この程度の舞台だったらパフュームとかベビメタのライブの方が圧倒的に面白いですわさ。



ちなみにキャバレーの歴史について、付け焼刃的に勉強したことなんですが、

ボードビルという言葉があります。
語源は 15世紀のフランス,ノルマンディのビールという谷間 地方で歌われた風刺的流行歌とのこと。
そこから
歌と対話を交互に入れた通俗的な喜劇・舞踊・曲芸、それらを取りまぜて演じる寄席の芸だそうです。
本来農村にあった伝統的な娯楽が、都市化によって常設小屋で日々上演されるようになると芸の変化の速度が上がり、より洗練されてくるわけです。

日本の江戸時代にも似たようなことがありました。

ヴォードヴィルの演目の中に、オペラを簡略化喜劇化したものが加わるようになります。
大衆演芸化したオペラが、ミュージカルの発端だといわれています。

ちなみに、オペラの発端はというと、ギリシャローマの文芸復興気に、コーラス隊付のギリシャ演劇を復興させようとしたのが始まりだとか。

ギリシャ演劇のコーラスの面白いところは、登場人物は台詞を話しますが、コーラス隊は状況の説明とか登場人物の内面とかの小説でいうところの地の文を歌うんですね。


現代人がこれをいきなり見ると、
非常の度肝を抜かれるのですが、
よくよく考えてみますと、当時はろくな楽器なかったですから、オーケストラの役割を人の声のコーラス隊にになわせたのでしょう。
音楽を絡めた演劇って、音楽使って登場人物の心情や状況を抽象的に説明しているわけで、
根本的にはギリシャ演劇のコーラス隊と似たようなものです。

ちなみにいうと、これらの芸能はすべてギリシャ演劇に端を発するとのこと。

ギリシャ以前の記録残っていないか、捨ててしまったかのどっちかなんでしょうけれども、
本気でこれらの源流たどろうとしたら、エジプトメソポタミア、もしくはアフリカまでいかざるを得ないはずですけどね。

オペラに話を戻すと、
ルネサンス期に始まったオペラは絶対王政の興隆とともに莫大な資金が投じられ発展しますが、
王権が揺らぎ新興階級が育ってくると、
あまり金のかからない大衆化の方向に進みます。

一つのエポックメイキングな出来事として、
ドイツ生まれの作曲家ジャック・オッフェンバックが1855年にパリの見世物小屋を買い取り自らの劇場を開業しました。
そこでの演目は、パントマイム、一幕もののコメディ、ダンスショーの三本立て。

そして、そこでの一番のヒット曲が、これ。

チープだけれど、ダンサブルな一幕もののオペラ。これが回りまわって旧フランス植民地のニューオリンズにたどり着いて、ミュージカルのもとになった、そうです。

つまりフレンチカンカンとミュージカルって源流がともにキャバレーの芸ですし、こういうのが日本に輸入されて宝塚や浅草6区の演目になったわけです。

ベビメタの中には、そういうのが全部見て取れる、どこの誰が見てもわかりやすい要素満載ってことです。


(おそらくいたるところ不正確です。ごめんなさい)