ストロベリー・フィールド 軽音楽史の廃墟巡礼
Perfumeの近未来三部作って、廃墟、もしくはやがて廃墟になる場所を舞台としていますので、
Perfumeの歌の世界って、廃墟の存在を前提にしているといってもいいかもしれません。
そして、以前のポップミュージックは廃墟をどのように扱ってきたのだろうと、ちまちま調べてみるのですが、
ビートルズには、いくつかの超有名曲があり、
それらの曲は、ファン的には俗化が進みすぎた観光スポットのような扱いを受けています。
『イエスタデー』とか『レットイットビー』とか『ヘイジュード』のような曲のことです。ビートルズ解散後のソロ曲まで含めると、『イマジン』もそうです。
ファン自認するものにとっては避けて通るべきスポットで、たとえて言うなら京都嵐山の芸能人の経営する漬物屋とかが並んだ通りみたいな感じで、そこにたむろっているのは単なる物見遊山の一見さん観光客のみ。
そして、そういう人たちを除外して、深度のレベルの違いはあるにせよ、ファンを自認している人たちの中では、
『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』って曲は、ビートルズの中の一二を争う曲らしいのですよね。
かくいう私にとってもそうでして、
長年愛聴してきたのですが、
ビートルズにはいくつかの聖地があります。
ジョンレノンの育った家とか死んだセントラルパークは聖地化しています。
そういう生まれた・死んだのと無関係に聖地化した場所というと、
アビーロードの横断歩道。
ベビーメタルも記念撮影してますが、菊地最愛のやたらと元気な手の振りには、ビートルズ意識したところがどこにも見られない。
まあ、それはそれでいいんです。
それにアビーロードで録音したのはビートルズ以外にもいっぱい有名な人たちいますし。
こちらは、楽曲の歌枕として聖地化したストロベリー・フィールド。
これ見ると、どうやら、門柱削ってお土産にしてく人たちたくさんいるようです。ことの是非はともかく、その気持ちはよく分かります。
この聖地、 ネットに於いては戦争孤児院だったという記述もあれば、
女子の感化院(日本語でいうところの少年院でしょうか)だったという記述もあり、
10年ほど前に廃園になったという記述がありましたが、
わたくしてきには、35年前にビートルズファンになった当時すでに、ストロベリーフィールドは門だけになっていたという記述をどこかで読んだような気がします。
それゆえ、ストロベリーフィールドって孤児院だか感化院であるところの門の写真しか私は35年前から見たことないんですよね。
さらに言うと、ジョンレノンはこの曲について
ストロベリーフィールドは実在の場所ではないとインタビューで語っているとか。
もう何が本当かよく分からないのですが、
その実態の不明具合ゆえに、それぞれの人の心にそれぞれのストロベリーフィールドが存在し、ストロベリーフィールズと複数形になっているのかもしれません。
なにはともあれ、2015年の現在、完全に廃墟聖地と化しているようです。
でも、ジョン・レノンがこの名曲を作った時、少なくとも、彼の心の中ではストロベリー・フィールドという孤児院だか感化院は廃墟だったはずですし、
廃墟ゆえの心弾む要素が曲の中にはあります。
いや、もしかすると、親から見捨てられておばさんの家で暮らしていた少年時代のジョン・レノンにとっては、当時からストロベリー・フィールドって孤児院だか感化院はは虚みたいなものだったのかもしれません。
本来あったものが無くなってしまい、そこに居合わせたものの妄想をどこまでも懐深く許容してくれる場所、
ポップミュージック的にいうと、廃墟ってそういうことなのでしょう。