『STAR TRAIN』 鉄道ソングス
音楽って人間の感情に寄り添う血の通ったもの、と考える人も多いかと思います。
でもテクノ系の人だったら、音楽ってむっちゃ機械的なもんやと考えているかもしれません。
わたしに関して言いますと、人間の中でも感情が一番機械的なんじゃないかという仮説を持っています。
だって、好き&嫌いの二者選択って、
コンピューターの二進法とそっくりじゃないですか。
私から見ると、感情的な人間って、機械とかプログラムのように見えるのですよ。
まあ、それはいいとしまして、
汽車って、その動作が音楽的です。「動く音楽」と言っていいかもしれません。
巡行速度が安定したら、汽車の車輪の動きってめちゃくちゃ音楽に置き換えやすいです。
というか、汽車の音自体が、既に一種の音楽なのかもしれません。
二拍子が歩くリズム、三拍子が馬に乗るリズム、四拍子が駆け足のリズム、
リズムって人間の動きとか心臓の鼓動とかかわっているものですから、
汽車とか車が世に出るまでは、八拍子とか十六拍子ってあまりこの世の中に必要とされてなかったっぽいです。
しかも車と比べると、汽車・電車って信号で止まらないですから、BPM安定していて音楽的。
だからでしょうか、「この曲って汽車・電車を表してるように聞こえる」って割と簡単に作曲できるのかもしれません。
銀河鉄道の夜 ファイナルテーマ Gingatetsudou no Yoru - Final Theme
『風の谷のナウシカ』のBGMってもともと細野晴臣が担当するはずだったそうですが、あの木梨憲武の嫁の安田成美が歌う80年代アイドルソングまんまのクソ主題歌に宮崎駿が難色を示し、その結果、久石譲に交代とあいなりました。
まともに音程取れない安田成美に、クソ曲あてがった細野晴臣。
こういう事実がなかったとしたら久石譲って世に出るきっかけがなかったのかもしれないと考えると、ちょっとゾクゾクします。
でも、細野晴臣が本気出したらどうなるかってのは、『ナウシカ』の翌年の『銀河鉄道の夜』のサントラを聞けばよく分かります。
これを、細野晴臣の『銀河鉄道の夜』と比べるのは、残酷かもしれません。
ちなみに『線路は続くよどこまでも』の原曲。
あまり汽車の様子を描写してるような音に思えませんが、
もともとこの曲って、汽車に乗ってる人目線の歌ではなく、
大陸横断鉄道の建設作業員の目線の労働歌です。
それを、NHKの『みんなのうた』のために日本語訳したそうで、
大方の日本人の思っているよりも、日本人にとっては新しい歌です。
ちなみに、この曲の詞の日本語訳の原形は『できるかな』のノッポさんがやったそうです。
汽車・電車と言えば、この曲思い浮かべる年配者もしくはインテリがいるかもしれません。
『A列車で行こう』
この曲って、ニューヨークの地下鉄のことを歌ったもので、
「黒人居住区のハーレムに行って本場のジャズを聴きましょう」って内容で、
いわゆる鉄道ソングにありがちな車輪のリズムとか汽笛のリズムがありません。
汽車・電車の音というよりかは、ライブハウスの門をくぐる前から心はすでにジャズにどっぷり、そんな曲でしょうか。
ちなみにこちらは、二週間前に亡くなったデヴィッド・ボウイの『Stationtostation』
デヴィッドボウイは飛行機乗るのが嫌いだったそうで、1973年の初来日公演では船に乗って日本に来ました。そしてシベリア鉄道でイギリスに帰りました。
恐らくその時の、車窓からの共産圏の光景がこの曲の基になっているのだと思われます。
デヴィッド・ボウイはアルバムごとに、大まかな物語を作り、その物語の主人公のコスプレをするという芸風でした。
この『Stationtostation』の主人公の名はシン・ホワイト・デューク、痩せた白い公爵ってことですが、
曲の題名が題名だけに、デューク・エリントン意識したものなのかもしれません。
『Stationtostation』も曲の最初の方は汽車の音を模した感じなのですが、後半はファンク調であり、なんか『A列車で行こう』のオマージュのように感じられないでもありません。
こちらは、デヴィッド・ボウイの大ファンだったローティーンのジャンキーを映画化した『クリスティーネ・F』の『ヒーローズ』
自分は、東西冷戦期のベルリンについては全然知りません。
しかし、デヴィッド・ボウイが東西冷戦期のベルリンが気に入って数年間住んでいたということから、
もの好きにも、アジアにおける資本主義と共産主義の境目の深圳・香港の境目に何度も行きました。
深圳と香港を電車で行き来しながら、
ベルリンに住んでいたデヴィッド・ボウイに思いをはせたりしましたが、
『ヒーローズ』ってベルリンの壁についての歌で、電車・汽車と関係ないはずなんですが、『Stationtostation』ばりに蒸気機関車を模したような音がかぶせられています。
『クリスティーネ・F』の映像に重ねられると、
少年少女たちの姿は、共産圏の飛び地から自由に空を飛んで出入りするピーターパンか何かのよう。
そして、そんなピーターパンとウェンディたちの乗り物は、空を飛ぶ鉄道なのかもしれません。
こちらは、The King ことエルヴィス・プレスリーの『ミステリー・トレイン』
アメリカの鉄道というと、数キロに及ぶ貨車を引きずって延々と進む、そんなイメージがあります。
この曲では車輪の動きや煙突から立ち上る煙ではなく、
鉄路の上を走るときの「ガッタンゴットン」の音を模写したようなリズムが延々と繰り返されます。
そういえば、デヴィッド・ボウイがドイツのベルリンにしばらく住んでいましたが、
エルヴィスも軍役についてドイツのフライドベルグに駐留していました。
こちらのジャズの名曲に関しては、トレインがコルトレーンとダジャレになっているのですが、
夜汽車、という感じでしょうか。モダンジャズですからだらだらと長いです。
アメリカの汽車の旅も気長にかまえないといけないのでしょう。
一方、我が国日本って、
「狭い日本そんなに急いでどこに行く」って言い方があります。
そんでも知床から鹿児島までの移動距離ってアメリカ横断するくらいの距離があるのですが、
それでも、なんか日本人には、エルヴィスやコルトレーンの曲のような延々と続くリズムが鉄道のイメージにどうもそぐわない、こう思うのは私だけでしょうか?
荒野に鉄路敷いたことで初めて開発の進んだアメリカと違って、日本って鉄道来る前からすでに多くの城下町を抱え開発が進んでいましたから、
鉄道に対して文明の利器としての愛おしさは感じるけど、こちんまりしたイメージ持っているというか、なんというか、
中央線って言っても東京駅から八王子までの結構な距離がありますけど、
私も以前中央線の線路の側にアパート借りてたんですが、
勝手にこの曲の主人公の彼女「キミ」のすんでいる町って国立あたり金持ちっぽいところを想定していました。
それで主人公の男の方はかつては文士がいたような中野とか高円寺とか阿佐ヶ谷あたりの狭い風呂無しのアパートに住んでる。
中央線って、三鷹までは高架線で、それから先は地上を走る、はずだったと思うのですが、
大して高い建物もない中央線沿線を高架線を走る列車の窓から眺めていると、銀河鉄道にでも乗っているような妄想がよく襲来したもんです。
この曲に関しては、電車って汽車や蒸気機関車と違ってあんまり大きな物音立てないですから、音の模写しにくいってのがありますが、恐らくこのピアノの音、電車の音と主人公の男の気持ちというかBPMをごっちゃに表現しているのだと思われます。
そういえば、矢野顕子は自分の娘をデヴィッド・ボウイに肩車してもらったことの思い出を追悼ツイッターしてました。
デヴィッド・ボウイには、この手の子供好きエピソードがとても多いです。
『STAR TRAIN』が『リラックス…』よりもCD売り上げがよかったのは、以上述べてきたような鉄道ソングが広く受け入れられてきた歴史によるものだと思われます。
中田ヤスタカにしても、何にもないゼロから『STAR TRAIN』作ったわけでなく、既存の曲が作った鉄道ソングのイメージに自分なりの切り口を見つけただけなのでしょうし、
リスナーの側としても、既存の鉄道ソングとの比較から『STAR TRAIN』の印象を得ているという側面はあるはずです。
んで、この曲どうなのかというと、
まあ、そこそこいいんだけど、
傑作と呼ぶのは無理ですね。
歌番組で生歌披露するってんならともかく、そうでないなら、あんまり存在意味を感じません。