子供たちにブギーを踊らせたげる
デヴィッド・ボウイが死んでもう八か月以上たちました。
今の私のyoutube履歴はPerfumeとデビッド・ボウイでほとんどです。
ジョンレノンが死んだときのyoutubeの映像と比べると、
ジョンレノンって死んだときまだ40だったてのもありますし、相方のポール・マッカートニーが当時はまだバリバリの現役でアルバム・シングルがことごとくチャートの一位になってたのですから、
「ほんじゃ、レノンが新曲出せば同じくらい売れるやろ」と期待された中で四年ぶりの新曲出したときに死んだ、その死に方も非常にショッキングだったので、
youtubeで見ることのできる、ジョンレノンの追悼集会ではみんな悲しそうな顔をして泣いている人がたくさんいました。
それと比べると、デヴィッド・ボウイって、本当にスーパースターだった時って1984年ころまでで、それ以降は、昔はすごかった人って扱いで30年です。
ある意味、美輪明宏の立ち位置に近いです。
んだから、彼が死んだときの追悼集会の様子って、ジョンレノンの時とは全然違っていて、
一見すると、有名人が死んだことにかこつけて盛り上がりたいアホが集まってるだけのようにも見えます。
しかしながら、レノンの時とは状況が全然違うわけで、昔はすごかったで30年過ごしてきたスターが死んだとき、
むしろ若者がデビッド・ボウイの歌うたって盛り上がれるって状況ってすごいわけで、
ところどころ泣いてるような高齢者のファンもいますけど、この集会に集まってるのってほとんどが若い連中で、
永六輔が書いてましたけど
葬式で、その悲しさとか荘厳さを理解できない子供のきゃっきゃいってる様子って市の悲しさを相対化するに絶対必要な要素だという
デヴィッド・ボウイの死に対して悲しみのない若者の存在、にもかかわらず、彼の歌を空で歌えるってことは、
これって葬式の最高の在り方なのだろうと思うようになりました。
『star man』の歌詞では、
空の円盤で待っている宇宙人が、地球に降りてくる際の公約が
「子供たちに命を縛る足枷を取り外してあげる」
「子供たちに命の使い道を教えてあげる」
「子供たちにブギーで踊らせてあげる」
人生がどうのこうのという小難しい話は別として、本当にいまだに若い世代を躍らせているという点では、本当にすごいことやった人なんだな、デヴィッド・ボウイは と思った次第です。