最近、にちゃんねるのまとめサイトで、ちょっとした名言を探すのが楽しみになってきました。

 

ついでに自分も名言めいたことぼそっと言ってみたかったりするのですが、

 



うちの父ちゃん工業高校卒、母ちゃん商業高校卒
その上どっちもとんでもない馬鹿のくせに
子供の俺には顔を合わせれば勉強勉強って言って
いい高校入って、いい大学入って、いい会社入って、いい嫁さん見つけて、いい子供生んで・・・・・
みたいにキチガイなレベルでがんじがらめに育ってきたよ

結果、無事ニートになれました
どうもありがとうございました

 

 

結果を伴う努力ほど楽しいものはないが、結果を伴わないだろうことが分かってる努力ほどつらいものもない。

 

ちゃんとした見通しが持てないのにただ徒労な努力をさせられた場合、

いい指導者に恵まれずやみくもに無駄な練習をさせられた場合、

結果を伴わない努力はとてもつらいので途中で放棄することになります。もしくは何のために努力するのかを考えることなしに機械的な「努力」をしても碌な結果を得られないのですから、それでしまいになります。

 

そういう態度が二世代にわたって続くとどうなるかというと、この二チャンネルのまとめサイトからの引用のような結果になりかねないわけです。

 

サッカーの解説で、「動きの質を高める」というようなことがよく言われますが、

勉強で結果を出すには、「頭の動きの質を高める」ことが重要であり、

何を何のためにやってるのかわからないまんまの勉強は、ほとんど効果がありません。

それどころか、十時間勉強してもこれだけしか点数が上がらなかったのだから、あと一時間余計に勉強してもほとんど効果ないだろう、と、負け犬根性が身についてしまいます。

 

多かれ少なかれ私たちはみんな、このような泣け犬根性をいろいろな局面で刷り込まれてから大人になるのですが、

 

「頭の動きの質を高める」と11時間かかって何の進展もなかったはずの問題に、10分でいきなりポンと解答が出たりするものです。

つまり、何のためにやるのか、それはどういう効果をもたらすのか、を常にはっきりさせておくことなのですが、

日本の通常の教育ですと、何の意味も考えさせずに、とりあえず、漢字の書き取りを一時間やらせる、計算問題を一時間やらせる、そんなのばかりです。

それって、単なる子供の管理に過ぎません。

それを何のためにやるのか、どんな効果があるのか、その先の目標は何なのかということについては、何も子供に考えさせないどころか、むしろ目隠しさせているようなものです。

 

 

とことん「努力」した結果のダメダメな親御さんだったら、子供に対しては無意味な努力はしなくてもいいといえるのかもしれないですが、

頭の動きの質が低いまんまの、そして中途半端なところで「努力」をとめてしまった親の場合ですと、

「私がこんなしょぼい現実に甘んじるのは、あの時、あんまり頑張らなかったからだ。地頭自体は悪いはずないのだ。だから、自分の子供は自分の二倍努力したら必ず成功するはずだ」

と思うものです。

 

ほんとに、ダメな思考回路ってこんなものなのですよね。

そして、こういうダメな思考回路を増長させるような要素がこの世の中にはあふれています。

 

そのうえ、こうやって無駄な「努力」、つまり頭の動きの質が低いままの努力を民族レベルで続けた結果が、サービス残業の過労死ではないか? 

そんな風に思う次第です。

 

学校教育レベルで、結果の出ない努力というのは、「頭の動きの質が低い」努力に過ぎず、本来は指導者が矯正すべきものなのです。

アイドルになりたいとか、プロサッカー選手になりたいというような実現の可能性が極めて限られている夢に対する努力とは全然レベルが違うはずです。