10年前
去年 Perfumeは10周年のアニヴァーサリーだったのですが、今年もすえが近づき、なんか十年を振り返ると身の回りの世の中それなりに変わったのだなと思われます。
中高年に「この十年で何が変わったのか?」と尋ねると、大概が肉体の劣化老化なんですが、
世の中的には、どうでしょう?
10年前は、まだテレビを見て、その内容にいちいち毒づく不毛な習慣が自分には残っていました。いやなら見なけりゃいいのに。今では、家にテレビがありません。
そういえば、新聞も雑誌も読まなくなりました。
10年前は、次世代規格のDVDとして東芝とその他の家電企業が規格争いしていました。「消費者不在でこんなことやってるから中国企業に負けるんだ」と思ってましたら、案の定日本の家電業界ガタガタになりました。勝者のブルーレイにしたところで、ほとんど使う機会がありません。
「私は、70年代までの映画がきれいに見ることができればそれでいいのです。『ゴッド・ファーザー』を見るのにブルーレイの高画質は必要なのでしょうか?」
10年前は、こんな疑問を周りの人に聞いてみたものでした。当時は誰もはっきり答えませんでしたけど、必要なかったですね、まったく。
10年前は、ネットにクレカの番号入力して買い物するのをまだ躊躇していました。ほとんどAmazonも使いませんでした。今ではもう本屋に行かなくなりましたし、他にも訪れることのなくなった商店がいくつもあります。
そういえば、紙の本を読むこと自体めっきり減りました。
10年前は、20年前と比べると、ネットとITの技術が下々の民に普及したときだったので、世の中変わったなという実感がありました。だから、まだ世の中進歩するだろ、よくなるだろという楽観的な気持ちがどこかにありました。今では、一般人的に使いこなせるPCの機能が出尽くした感があり、もう今後は便利さを実感することはないのではないか、ただ自分の周囲ががちがちにアルゴリズムで構成される息苦しさだけが増していくのではないかと、ほぼ総悲観になりつつあります。
音楽とか映像のコンテンツの検索や利用の仕方は便利になりましたが、新しいものが出てきません。「アイドルと一緒にめぐる世界遺産のVR」みたいなものが出そろったら映像作品って打ち止めなんじゃないかな。
10年前も温暖化だとか食糧価格・資源価格の高騰とか世も末的な話は多かったのですが、今となってみると、全部嘘だったんじゃないか?悪徳業者の金儲けのネタだったんだろう?というようにしか思わなくなりました。
『エコ替え』とか、今思い出してもふざけた話でした。
そして、
イーロン・マスクが火星への移民団を募っているという話を聞いても、そこに全く明るい要素を感じません。地球だけだと人類滅ぶから他の惑星に分散させようという暗い話の要素しか感じられません。
10年前は、鉄板だと思われていた価値の多くが背骨折れたような気がします。
自分に関していうと北京以来オリンピックはほとんど見なくなりました。ノーベル賞も文系の方は冗談みたいな扱われ方です。文学賞はボブディランでぼっきり行きました。アメリカ大統領選挙もとんでもない代物でした。
国際化、文化、平和、教育、全部金儲けのための方便ですね。さらに言うと、金自体なんなんだろう?富って何なんだろう?
そういえば、今年の紅白の出場者名簿から和田アキ子が消えていました。五木ひろしと石川さゆりが最後の砦で、この二人が抜けたら所謂紅白は終わりですよね。まあ、それでいいんですが。
ネットでいろいろ調べると、
スマホが普及したというのが多いです。自分的には電話なんか昔の携帯で十分なんですが、SIMフリーだと安いですから買いました。でもさ、PCの機能をすべて詰め込んだ電話が普及するって、15年くらい前にはもうみんな予測してましたよね。
タバコの喫煙場所が激減して、東京オリンピックまでに値段を二倍にすることでとどめが刺されるようです。
個人情報に世の中うるさくなった、にも拘らず抜け道探すやり方でデータは取引されてるらしくて癪に障る。さらに言うとPC上のデータはグーグルとかウィンドウズに根こそぎ監視されてて、ある意味『1984』を超えた世界に突入。
観光地が中国人に占拠されるようになり、老人が中国人の実態を知ったせいでことごとく反中化。
10年前、ビル・ゲイツはスティーブ・ジョブズよりもずっと有名だった。アップル社のここまでの成功って、この10年間の日の丸家電の衰退を背景にしてたんですね。
などなど。
相当に意外なのは、紆余曲折ありましたけど10年前も安倍晋三が日本国総理だったことでしょうか。10年前の世界に戻って、「2016年暮れってこれこれこうなんだよ」って言った時、一番多くの人がびっくりするのって、このことかもしれません。支持率も50%超えてますしね。
そういえば、2011年に地震と原発のメルトダウンがありました。でも、だからと言って世の中の仕組みが大きく変わったかというと、そんなこともありませんでした。
自分的に言うと、10年前は私の実家はゴミ屋敷同然でした。家の中プラス敷地内の庭木プラス休耕田の荒廃の三重苦でした。今では人もうらやむ小ざっぱりしたところになりました。
10年前も『掃除力』とかの本は売れてましたし、掃除マニュアルの需要はあったのですが、断捨離とかミニマリストとかはまだ後の話だったように思われます。
つまりのところ、戦中戦後の困窮を幼少期に刷り込まれた世代は、物をため込む性癖が強い。その後の日本が先進国化してからの世代は、二代前のじっちゃんば~ちゃんが少ない備品で生活してたことを覚えているので、「親の世代だけゴミため込んでておかしいんじゃないか?」といい年齢になったときに気が付いた、親の洗脳が解けた。
断捨離とかミニマリストって、そういうことなんだと思われます。
10年後にはどうなっているか?に関しては、宗教の需要がなくなってぼっきり逝くだろうなという気がします。それ以外にも世の半分くらいの職業がなくなる可能性も言われています。
10年前も悲観的な話は多かったですが、ここまでではなかったですよね。
そして、社会の仕組みの根幹とでもいうべき資本主義も、10年後には今と同じ形を続けることは無理かもしれません。この点に関しては、なんかわくわくする要素を感じる
2016年の暮れであります。