前にも書いた話

何遍か書いている話なんですが、

パフュームの近未来三部作って言いますけれど、

企画の段階で「SF調で三本行きましょう」ってことだったのかもしれません。
それなりに世界観共有している三作なんですが、

それはあくまで、PV制作を絡めた企画内容とか詞の類似性からいうことのできる話でして、

一人のリスナーが、「あの曲とこの曲は話が繋がってる」って感じられるなら、
その二曲は、少なくともそのリスナーにとっては、正編と続編ということになります。
もっとも、他の人にとって、どうなのか?って問題はあるんですが。


しかしながら、パフュームの場合は、一リスナーが解釈する前に、PVと振付において曲と詞に対する解釈がすでになされており、
普通のリスナーの立場としては、関さんとかmikiko先生の解釈を素直に読みとれば、かなり説得力ある意見が言えるはず、と思います。



「コンピューターシティの続編って、ドリームファイターだよね」

PV見ると、どっちも背景が黒一色でしょ。明らかに狙ってるよね。

コンピューターシティの一分五十秒のところの、何かを求めるように指さすのだけれど、それがかなえられなくて、歯車に巻き込まれていくイメージの振り付けって、
ドリームファイターの冒頭の振り付けにほぼ再現されています。

それ以外にも、おんなじモチーフがいくつも出てくるんですが。


そんで、
「ドリームファイターの続編って、グリッターだよね」

PVが似てるってのもありますが、あ〜ちゃんも「グリッターは2011年版のドリームファイター」そんな発言してました。

ドリームファイターってくらいだから、ボクシングとかおそらくヌンチャク振り回す戦闘的イメージが振付の中に潜んでいるんですが、
グリッターの中でもボクシングやってます。


「じゃあ、グリッターの次は何なの?」
というと、
パフュームに、それ、今のところないです、たぶん。

どう考えても、こっちですわな。
ダンサーにとっては、体重管理ってホントに切実な問題らしいです。鳶職とか植木屋もそうらしいんですが。




さらには、こういうのもあります。

「ねえの続編って、スパイスだよね」

本当は、「ねえ」の男女関係って幸せなものではなくて、
近くにいるはずの相手を遠くに感じるとか、遠くにいる相手が近くにいてほしい、そんな詞なんじゃないか、という印象を私は持ったのですが、
そういう印象の由来って、振付とかPVのなかにすでに示されていたりします。

さらに言うと、

「スパイスの続編って、Spending All My timeじゃね」

ほんの短い詞で、そこには、見ざる聞かざる言わざる の要素なんてないんですけれど、
そういう振付が加えられると、わたしにはスパイスの続編にしか見えません。

あと、PV的にも狭い部屋に閉じ込められた三人という設定、そのまま引き継いでいます。

違いは、スパイスの場合は扉が開くんですが、Spending All My Timeでは扉が開きません。

つまり、「相手が浮気してるかどうかの調査をしたら、ほんとに浮気してた。でも別れられない」みたいなゲスい物語が浮き上がってくるのですが、
その解釈って、あくまで振付とPVの類似性からくる解釈で、
中田ヤスタカがそんな風に思っていたかはわからないし、おそらくあ〜ちゃんはそんなこと思ってもいないんじゃないでしょうか。

パフュームの曲が多面体構造だとすると、あくまでその一面として理解しておいた方がいい話です。



さらには、
「ドリームファイターとベビメタのいいね!って、似てるよね」

エンディングが音、振付ともにドリームファイターとほとんど同じってのは容易に気が付くんですが、
この曲の歌いだしのところ、

「チクタクしちゃう…」
ここの振り付け、時計の針と歯車、そして心臓がバクバクしてる様子の形態模写。
ほとんど、ドリームファイターの歌いだしのところと同じです。

まじかよ、
「だめ、それ私のおやつ…」とかふざけた詞に、ドリームファイターと同じモチーフあてはめたのかよ、あの振付氏は!
とか思われる人もいるとは思いますが、

詞がふざけてるから、曲そのものがふざけてるとか、曲が伝えたかったメッセージもふざけてるとかそういうわけでもないんですし、
人って、言ってることとやってることにズレがあって、そのズレこそ、その人の真実みたいなところがあるじゃないですか。
ベビメタってそういうもんだと私は思ってますし、

それに、中元すず香って、ふざけた歌詞うたってるという自覚ほとんどないんだと思います。
彼女の中では、あれ、まじめな歌なんですよ。というか、たぶん、彼女、詞を理解することで歌に深みを出すという、普通の歌手のプロセス踏まえていない、というか、踏まえる必要ない。

エディット・ピアフだったら、電話帳読み上げるだけで聴衆を泣かせることができる」って言われてましたが、それに近いです。

だから、ふざけた詞を入れたり、ユイモアに茶化しの合いの手入れさせることで、ラジエーターの代わりにしてる、ってのはあると思います。
私たちは、電話帳読み上げるの聴かされて泣かされること望んでいません。ちゃんと泣くにふさわしいようなことで泣かせてほしいと思っています。

ユイモアがどんな役割果たしてるかってのは、いろいろあるとは思うんですが、
パフュームの方法論とは、かなり違うらしいのは、なんとなく分かります。


ちなみにこれ11か月前に書いた文章です。
http://d.hatena.ne.jp/andorei/20140109
ドリームファイターの冒頭の振り付けで、どうして時計の歯車と心臓マッサージの振り付けがれんぞくするのかについて、です。