読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

なんで、パフュームの『くりんくりん』はダメで、 ベビメタの『メギツネ』はアリなのか

ベビーメタルってパフュームの後追い企画であり、明らかにパフュームの成功と躓きを踏まえているようでして、


パフュームを揶揄する言い草に 「口パク盆踊り」というのがあります。

日本人から見ると、この曲の振り付けってどう見ても盆踊りですし、
おそらく歌舞伎の見得を切るポーズや バックダンサーは歌舞伎の黒子を元ネタにしているという風に見えるので、

私にとっては、なんともスマートに日本の伝統文化をポップに変換させたもんだ!という感嘆の念しかわかないのですが、

これ、欧米人から見ると、そういうわけでもなく、単に気の抜けたヴォーギングのダンスにしか見えないのではないでしょうか?


付け焼刃的にヴォーギングについて勉強したのですが、
それまで私の理解していたところのヴォーギングダンスって、ヌンチャク振り回す時の肘から先の動きのダンスでして、

ちなみにこっちはブルースリー

二つ並べるとくそ笑ってしまうのですが、
かつて、ヌンチャクを振り回す台湾のラッパーというキワモノをテレビで見たことがあります。
あれって、全然アリというか理由があったわけ。


ヴォーギングダンスの定義って、ファッション業界に多いオネェ系の人のどこか神経質な動きを誇張したダンスというものらしく、
それゆえファッション雑誌のヴォーグに由来する名なのですが、

要はオネェ系の動きを誇張すればそれで一応ヴォーグになるわけで、
オネェ系のブルースリーとか、オネェ系の土俵入りとか、オネェ系のラジオ体操とか、誰でもものすごく簡単に次から次へとアイデアが浮かんでくるので、それゆえにものすごく流行しやすいわけです。


ちなみにヴォーギングとカタカナで検索しますと、上位にPerfumeの画像や動画が出てきます。

パフュームではこの二曲がヴォーギングと目されています。

今になって思うと、英語歌詞にしたspending all my timeって言葉の点から外人受けを狙っただけでなく、振付の部分でも外人受けを狙ったものだった訳で、
リリースされた当時には、そういうことに対して賛否両論いろいろありました。

そして、ユニヴァーサルレコードのスタッフってしょーもない入れ知恵ばかりしていたのだろうという気がします。

結果、パフュームって本来持っていた魅力が薄まり、歯車がかみ合わなくなっていきました。


この二曲以外にも、ヴォーギングダンスの要素ってパフュームの中にたくさんあるのですが、

このポーズ、見るという行為を指先手の平で表現しているのですが、
見る、という当たり前で無意識的に常時なしている行為をいちいち動作で説明するのって、なんか神経質だなぁと わたしはずっと思ってきたのですが、
ヴォーギングってそういう趣旨のダンスなんです。

オネェ系でファッション業界の人たちは、自分の顔や髪型が気になって気になって仕方がない。
その様子を模写したのがヴォーギングの主要モチーフということは、

宮尾すすむってヴォーギングなんだ!という結論になります。

登場する時、顔の前で両手を交差させて、右手の平を右アゴに添えて「……ハイッ!」と叫ぶ決めポーズ(母親の仕草をモチーフにしたらしい)で一躍有名になる(Wikipedia

女性が髪や顔が気になってしょうがない様子を男の人が再現する という、これは完全にヴォーギングです。


外人が宮尾すすむを見た時には、「なんでこの人ヴォーギングの振り付けやってるわけ?」と疑問感じるはずですし、
宮尾すすむって、70年代半ばにはこの一発芸確立していまして、
ヴォーギングの流行よりもはるかに古いわけです。
外人がそれ見たら「えっ、なんで、どうして...」と驚くはずなんですが、

逆に
パフュームの場合ですと、日本文化的な要素に気づかれることなく、「気の抜けたヴォーギングやってる日本から来た女の子」でおしまいにされる可能性が高い、というか事実そうなってしまったようです。



パフュームがこのまま失速するのか、もう一花咲かせるのかはまだ確定してはいませんが、
わたしは、
今のこのグダグダ感を、中田ヤスタカのせいにしたり、事務所のせいにしたり、レコード会社のせいにしたり、あ〜ちゃんのせいにしたり、楽観的なファンのせいにしたりと、他人ばかり批判してきましたが、そろそろ、
「じゃあ、なんで『口パク盆踊り』が世界的に成功できるとあなたは思ったわけ?」という質問に自分が応える番が来たのだろうか?という気がしています。

パフュームの魅力って無意識的に作用する部分が多すぎて、自分もその魅力の実態についてうまく理解できていなかったし、当事者たちもそうだったのだろう。とりあえず、今回はこんな感じで。




結局、当事者たちもどうしていいかわからず、最後にとった一番安直な方法。
「自分たち思ってるよりも外人ってバカだから伝統的なフジヤマ芸者イメージぶつけてみようか」
それが、クリンクリン。
高名な美術監督に絵を描いてもらい、それを中田ヤスタカに見せて、「オリエンタルな神秘で一曲お願いします」と曲発注したんでしょう、たぶん。

そんな安直な方法で売れてたら、浜崎あゆみでも成功するわいと誰か止めなかったんでしょうか。




大きい箱の中 背の高い動物がたくさん…

海外進出して迷子になったパフューム、そんな解釈がふさわしいです。




欧米人が日本に対して持っている誤解に、
自分の身をすり寄らせて、偽物のイメージを演じること、

クリンクリンでいいますと、中国人やインド人の踊り方や衣装をまねたとき、それって、欧米人にとって本物の中国人やインド人よりも魅力的に映るわけ?という疑問、
どうせ非西洋的なものをやるのだったら、
本当に自分が持っているものを出さない限り、本場の連中には負けるわけです。


このブログで以前、民族文化で最も変化しにくいものがダンスじゃないか?ということについて書いたことがあります。


「昔学生だったときに、
人間の文化で 容易に変わらないものは何か、今後何百年も変わらないものは何かという事を考えていた時に、
カンボジアの「盆踊り」をみて、
アジア稲作圏の踊り方って、大体、手踊りで、日本の盆踊りと似たような感じなんですね。

んで、小麦と牧畜コンボの地域は、馬に乗りますんで、足でピョンピョン踊るのが基本らしいです。


稲作と麦・牧畜コンボの境目は、インド南部と北部あたりに境目があるらしく、

インド南部あたりの「盆踊り」が手踊り+少々のリズミカルな足の動き で、
Perfumeに一番近いように思われます。
Perfumeも伝統的日本の「盆踊り」+西洋的ダンスなので、自然とそういう結果になるのでしょう。


今迄思いつかなかったのが不思議なくらいなんですが、二人や三人がシンクロで踊るといえば、世界的にはバリ島のトランスダンスが一番有名なんではないでしょうか。
今になって、これ見ますと、「おっ、Perfumeじゃ」てな感慨です。

そして、同じくバリ島の、野郎どもが車座になって行うトランス(ノンドラックですけど)お遊戯の ケチャ
これ、PTAの時間と何が違うんだろう?という感じです」

実際、オタ芸のあの動き、ケチャと呼ばれているそうです。
オタクにインテリって多いですから、驚くには値しないですけど。伝統芸能として盛り上がるケチャを現在の軽音楽の場にもってきても、盛り上がるんですよね。




『メギツネ』の踊り、あれ、たぶんヨサコイなんですが、

ヨサコイが今の形になるまでに、ものすごく変な経過をたどりまして、伝統文化の中に現代要素を無造作に突っ込みまくって今の形になっているので、
今の子供たちにとっては、とっつきやすい。
体育の授業で取り入れているところもありますので、ユイモアにとっても、あの振付そんな変なことやらされているとは思っていないでしょう、たぶん。


ヨサコイ自体が相当に洋風要素が仕込まれたものでありながらも、基本はあくまでも和風。

つまり、『メギツネ』って外人にとってとっつきやすい上に、オリエンタルテイストに満ちているわけです。

そのうえ、この演目、他の国の人には今のところマネできません。

伝統文化とのかかわりから考えるに、
パフュームが戦わされた場所の辛さ、ベビメタが闘っている場所の有利さ、この差は大きいです。


また、『メギツネ』って演歌でしょ?と言われると、

はい、演歌ですが。で、何か問題でも?としか言いようがないです。

「咲いて散るのが女の定めよ」的な紋切型の歌詞が許せないという点に関しましては、

まず、それは、海外進出に当たっては、外人にとってどうでもいいという利点があります。
彼らは、この手の紋切型が演歌的であるということ知りませんし、そのうえ演歌がダサいのかそうでないのかについて何も知りません。
そして、最近の子供はどうなのかというと、演歌がほぼ絶滅した今となっては、演歌について悪いイメージそんなに持っていないのかもしれません。

そして、私に関していうなら、
「なめたらいかんぜよ」と夏目雅子の台詞を天才芸人中元すず香がどう言うのか?
「咲いて散るのが女の定めよ」的な紋切型の歌詞をうたった時に、
藤純子とか梶芽衣子にどこまで迫れるのか?を楽しんでるわけです。

回を重ねるごとに、だんだんサマになっていくのをネットで見ながら、
杉様のファンのおばちゃんが「この花吹雪が目に入らぬかい」ってのを楽しみにしてるのとほとんど同じ、まあ大衆演劇的なチープな楽しさです。

kill bill のことを考えても、この手の演目、外人にもそれなりに魅力あるはずと私は思います。


「いや、俺はそういうの好きじゃない、だからベビメタのファンに転んでパフュームを裏切る真似はしない」というのは、全然アリですけれども、

私の考えでは、パフュームって、おしゃれなイメージを追求しすぎて、チープな楽しさ捨てすぎたんではなかろうか?
おしゃれなイメージ維持するために、海外で大人気って箔づけにこだわり、異国での真剣勝負放棄したんじゃないか?
そんな風に思っています。

日曜日の演目に『GAME』があって、いい意味での安っぽさをもう少し取り戻したいという思いはパフュームにもあるのだろうか?なんて私は考えていました。



ベビメタに転べないパフュームファンって、
この手のベビメタのオリジナリティーのなさに対して不快感があるのかもしれません。
私から見ても、ベビメタには別にオリジナリティないですも。
ベビメタにあるのは編集の美であり、文化翻訳の面白さであり、
ここ半世紀の文化遺産をうまい具合に組み合わせてるだけなんですけれども、

「じゃあ、ビートルズだって黒人音楽とクラッシックを適当に切り貼りしただけでしょ」と言われると、そうなんではないでしょうか?

逆にいうと、日本人のポップミュージックの海外進出がここまで遅れたというのは、むやみにオリジナリティーにこだわった故であり、本当はイギリスやアメリカの芸人だって、創造的行為の9割以上は切り貼りの美学だったんではないでしょうか?