美人とは
中国に住んでいたとき気づいたことなのですが、
15億も人が住んでりゃ、当然美人も数多いのが中国なのですが、
民度と言うか文化的水準と言うか知性の点でも格差が激しいのが中国でありまして、
「顔の作りそのものはいいんだけれども鼻くそほじってるよねあの女の子」みたいな事が多々あります。
それから、表情の構成には知性や民度が露骨に出るものでして、
「静止画像だったらこの女の子かわいいはずなのにね」という場合も多々有ります。
表情美人という言葉がありますが、わたしがここでしようとしている話は、それとはちょっと違うんですが、
人間って、人の顔をみるとき、静止画像的には認識しておらず、数秒区切りの動画的イメージとして認識しているのではないだろうか、ということです。
わたしたちは発達した写真技術によって、人の顔を静止画像で凝視することにすっかりなれてしまい、それゆえに騙されているのではないでしょうか。
わたしたちが見とれる女の人の顔は、常にどこかが動き続けており、その一連の動きにおいてしかわたしたちは女の人の顔の美醜を捉えることができない。
静止画像のようにくっきりしたものではなく、どこかあいまいでピンボケ写真のようにぼやけていて、そして動きの美醜のオーラを存分に持っているのが、現実の顔なのではないでしょうか。
正直申しまして、わたくし、女の人の顔にそこまで多大に期待するところがなくて、
のっちよりきれいな顔というのは、ただのオーバースペックに過ぎないだろうという確信を持っています。
いや、もしかすると、あーちゃんで十分だという気さえします。
もし、わたしが芸術家で、女の人の美しさを表現しなくてはいけないとしたら、顔はのっち以上のものである必要はどこにもなくて、
本当に美を追求しようとしたら、顔の動き、ひいては体の動きに拘るでしょう。
美人って、遠目で見ても美人であるべきで、
遠目で美人と分かるということは、顔はそこまではっきり見えないでしょうけれど、動きや所作の中に美人の要素が宿るべきなのだろうとわたしは思います、というか、昨日紅白見ててそう思いました。
こんな画面の端っこに映っているだけなんですが、のっちさん、めったやたらに美人に見えるんですね。
アキバの連中がどうして美しくないのか?十把一からげ的な売られ方をしているから、個性際立たせるメイクさせて貰えないからなのだろうか?踊り下手だからだろうか?所作が美しくないからだろうか?体鍛えられていないからだろうか?
などなど、いろいろ考えたのですが、
なんというか、アキバの女の子たちはありとあらゆる角度から全身を隈なく凝視されることをPerfumeほどシビアに認識していないとわたしには感じられた。
Perfumeの女の子たちの美しさというのは、常に全身を、そしてすべての動きを見られている意識に由来するのではないでしょうか、などと思いました。
肘を支点にして手振ってるだけの動作にしても、アキバの女の子たちとPerfumeって動きの美しさがぜんぜん違うんですわね。
もしかするとアキバの女の子たちよりもPTAで踊らされるPerfumeの観客のほうがいい動きしてるかもしれない。