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もう一度温泉から 

ベートーベンのシンフォニーを脳内再生するみたいに、今まで一番気持ちの良かったセックスを脳内再生することって難しいということについて書いたところで前回終わって、それでどうやってperfumeの話につながっていくのかということですが、

まあ、それはそれとして、



シンフォニーを脳内再生するのとくらべるとセックスを脳内再生することって難しいということですけど、

一つには、味わう、嗅ぐ、肌で感じるというマイナー感覚は主体的に脳内再生することが難しいということでして、

逆からいうと、繰り返し脳内再生してデータが劣化摩耗してしまう類のものではないですから、
味とか匂いとか手触りって、何十年も前のものでも、それを再体験することでまざまざと過去のその時のことを思い出せてしまうものだったりします。

高校の学食のラーメンのスープの味と匂いを覚えていたりして、それと同じものに県立図書館の食堂で20年ぶりに出くわしてビックリ!(つまり同一の業者からラーメンを仕入れていたらしいということですが)ということもあります。

これ、たとえば視覚つまり昔見た光景だと、脳内で何度も反芻し、さらには情報量を大量に端折られた写真で眺め返したりすることで、最初の視覚の記憶がものすごく劣化してしまうのですね。
懐かしい場所に行ってみたら、「あれ、思っていたのとかなり違う」というがっかり感はみなさん体験されたことがあるでしょう


それからもう一つに
そういうマイナーな感覚って情報に主体的に向き合おうという訓練がみなさん足りないでしょう?
飯食う前に、蝋細工の標本からどんな味がするだろうかと脳内で妄想してみたりします?
ドリアンの写真見ながら、その匂い想像してみたりします?
かしゆかのユビサキ見ながら、それに頬っぺた撫でられたらどんな感じがするかなんてにやけてみたことありますか?

普通の人はそんな暇のつぶし方はしないと思いますが、
そういう練習積んでいると、それなりにそういう能力は向上するものらしいです。

温泉に入るとき、湯気の立つ水面を睨みながら「この湯はかくかくしかじかの肌触りがするに違いない」と予想立てて、それからザブんと湯につかり、「当たった、外れた」みたいなことをその都度やっているのですが、

まあ、確かにそういう能力は向上するものです。




それならば、高級レストランで食べた味を脳内再生して何度も至福の時を取り戻せるのか、セックスの皮膚感覚を脳内再生して楽しむことができるのか、ということですが、

御馳走とか快感というものは、味覚とか触覚とかの単純な刺激ではなくて、五感全部を巻き込んだトータルな認識なのでしょう。


どういうことなのかと申しますと、
たとえば、空腹についてですが、

おなかが減るという感覚はつらいものですが、そのつらさというのはどこから来るのでしょう?
はたしておなかが減る、つまり胃が空になるということはそこまでつらいものなのでしょうか?


ダイエットで一日一食に減らしてみますとわかることですが、
おなかが減ったとツラいの間にはかなり大きな違いがあります。

おなかが減ったという生理的現象 → このままではエネルギーが補充できず危険だ というアラーム機能だけでなく、

おなかが減ったのに、食べ物を買うお金がない → みじめだ
おなかが減ったのに、だれも自分のためにご飯を作ってくれない → 悲しい
気温6度、暖房費もなく寒い 飯食ってないから体温下がってきた → 寒い

こういうもろもろのパーツが組み合わさって「空腹感」が形成されており、これらもろもろのパーツは「おなかが減るということはよろしくないことだ」という経験から獲得されたイメージによって束ねられています。

だから「俺は痩せたい、体の余分な脂肪が燃焼している感覚が心地よい、今は春だし温かい。いつも一人で自炊している手間が省けて楽ちんだ」こういう意識のもとに、「おなかが減った」という生理現象を観察しなおしてみると、

おなかが減ったというのは、おなかが減ったということに過ぎないということが分かってしまいます。



実のところ、美食とか性的快感も似たようなところがありまして、
単に舌の感覚や下の感覚を脳内再現したところで、「だからそれがどうした?」というものだったりします。


卑近なことで申し訳ないですが、
Perfumeのファンになってまだ一年たっていないのですが、ファンになりたての最初の一か月、毎晩何時間もyoutubePerfumeを見ていまして、

その一か月ほどの間、わたくし、ほとんど性欲なかったんですよ。

こんだけミニスカな妙齢の女の子たちの動画ばっか見てて性欲感じないってのも変なんですが、


「やりたい」という衝動にしても「おなかが減った」と似たようなもんで、
生殖行為に励みたい = 何らかの形で永遠に生き続けたい という欲求を中心にして、

寂しさを紛らわせたい、気持ちよく楽しみたい 自分が優良なオスだということを証明したい、誰かと建前抜きに分かりあいたい、などなどいろいろなパーツが組み合わさっているのだろうと思います。


段々おっさん化してくると、性欲に関しては、生殖欲そのものは減退をはじめ、より観念的になってくるように思われます。

そうすると、射精を伴わない覗きとかSM行為とかに開眼する中年もいるのだろうとは思いますけれども、

私の場合は、触覚、皮膚感覚を中核にした嘘偽りのないコミュニケーション欲求みたいなものが肥大化しており、
Perfumeを見ていると、それが癒されるのですね。



なんでそういうことになるのかというと 

(今日はおしまい)