『ポリリズム』 リサイクル推進ソング
リサイクルって何なのかと考えると、行き着くところは未来への責任と愛なんでしょうか。
本来万物は流転するもんなんです。
その周期が短いか長いかだけが違いで、万物は流転する。だから、人為的にリサイクルなんか推進しなくても、自然が勝手に流転させてくれるはずだったんですが、
人間の命の長さなんて限られていますし、人類の歴史があとどれだけ続くかもかぎられています。
森林とかだと、数十年程度であっさり復活してしまいますけれども、
石油や石炭を使い尽くしたあとに、もう一度太古の森林を蘇らせ、化石燃料の生成過程をやり直すところを見届けるほどには、人類は長く持たないでしょう。
そんだから、リサイクルしないといけないんですが、
毎日の食事というのは、あれもリサイクルのひとつでしょう。別の生き物と植物の死体を自分の体に同化させるために摂取するんですから。
宮沢賢治の『よだかの星』みたいな話なんですが、私たちがマグロを食べたとき、それはマグロを食べだだけではなくて、マグロが食べた小さい魚、その小さい魚が食べたもっと小さい魚、そのもっと小さい魚が食べたオキアミみたいな小さな生き物、それから・‥、と途切れることのない死体のリサイクル(普通は食物連鎖といいますが)が続いて生命は続いていくのですが、私たちの体には水やミネラルという無機物も含まれていますから、
この「リサイクル」の流れの中には、生き物だけでなくすべての地球上の物質が関与しているといっていいでしょう。
歌詞だけ見ていると、単なるリサイクル推進ソングに思えてしまう『ポリリズム』ですが、PVを見る分には、私がここで書いていることはあながち妄想でもないように感じられます。
リサイクルって真面目に考えると、仏教的な世界観にいたらざるを得ないんですわね。
地球という環境の中で、すべての物質はつながっている。それは私たちを生かすためという狭い了見のものではなく、私たち自身も来るときがくればその円環の中に入っていって消滅し、他の物質やほかの生き物にリサイクルされてしまう。
いや、死なないとしても、日々私たちの細胞は古くなったものから剥がれ落ち、垢や便となって排出されているのですが、
それらは、微生物によって常にリサイクルされているんですわね。
私たちのDNAのプログラムと、自我という脳内のストーリー以外は、常に循環しているわけです。
逆に言うと、私たちの遺伝プログラムと自我、それは個性といってもいいのかもしれませんが、それだけは循環せず消滅するのですね。
私たちが死ぬことに対して過度の恐怖を抱くのは、リサイクルの側面をほとんど見ることなしに、消滅する自我やDNA情報のことばかり気にしているからではないでしょうか。
とりあえず焼魚定食食べるときに、その魚が何を食べてきて、どんな食物連鎖に関わってきたかを1分考えることを毎日続けているだけで、
心のありようというもんは、結構変わってしまうように思われます。