零れ落ちる涙も全部たからもの
わたしが この箇所を単語に分解すると
(零れ+落ちる) (涙)(全部)(たからもの)
となり、4または5の単語です。
そんでは、4または5の単語で構成される詞をPerfumeの振り付けはどのように表現しているのでせうか?
それを考えるにあたり、一連の流れを「動きの単語」として区切ってみます。
①
「零れ」
オシロスコープ模様での落下を 手の動きで示す
②
「落ちる」
上から落ちてきた涙が水たまりになった状態を示す
もしくは
上から落ちてくる涙を拾い集める行為
③
「涙も全部」
目の斜め上で明滅する手のひら
つまり涙のきらめく様子
④
「たからもの」
…?
JPNツアーの映像だと、どんな振りが「たからもの」に対して充てられているのかよく見えません。
他の動画でも、「たからもの」ってどんな振りで表現されるか確かめてみようとするのですけど、どれもよくわかりません。
これら動画の編集やっている人たちにとっては、「たからもの」に充てられた振り付けは、割とどうでもいいものなのでしょう。
そして私は思うのですが、
零れる 落ちる 涙という形態模写で表現できてしまう単語と比べると、「たからもの」って
観念性の高い単語であり、即物的に手や指で表現できる単語ではないようです。
おそらく、人類が言語を獲得していく段階について思いをはせると、たとえ滑舌が悪くてろれつの回らないサルであった時も、上とか下とかドングリとかは理解できたでしょうし、手話的に表現することもできたのではないでしょうか。
それらと比べると、たからものって概念は、言葉が発達して初めてヒトが獲得したものなのでしょう、おそらく。
まあそれはいいとしまして、
こんな風にPerfumeの振り付けの解析をはじめだすと、
あえて観念性の高い単語を選んで、その個所を映像でチェックしたりしてしまうのですが、
「現実に ぶちのめ 倒されそうになっても」
②
「ぶちのめ」
自分で自分を殴る。
Dream Fighterの中では、ここは詞と振付の関係が緊密であり非常に印象に残る。
こうやって見てみますと、「現実」は観念性の高い単語であるだけに、真面目に動きで表現されておりません。
ただし、何度も何度も、腰のあたりをバンバンと叩く振付を繰り返し見ていますと、
「おらおら、どうしたんじゃい、さっきはあれだけ強がってたんに、もう立ち上がれんのか!ヴォケ」と、
ダウンしているボクサーを煽るにっくき敵役の姿が目に浮かんでくるようになります。
「現実」というゼスチャーでは表現しにくい観念性の高い単語を直接表現しようとはせず、
ノックダウンされられたボクサーが、相手から罵声を浴びせられ煽られているという具体的な場面を示すことで、
現実とは、自分よりも強力な相手に殴り倒され地べたをはい回るのが通常である、
とでも言わんばかりのメッセージが表出してくるように私には思われます。
詞をそのまま動きにするのではなく、
詞とずれたものを動きで演じることで、一つの文章が無意識内部に書き込まれる、
そんな風に見えるのですが、
それとも、「現実」という単語を表現できなくて、ただリズムに合わせて腰のあたりを叩いているだけに見えます?
Perfumeは、
観念性の高い単語は、形態模写的に表現するのが難しい故に大方このようなやり方で処理しているのかというと、
「普通」とか「未来」を単にダジャレで表現していたりして、「なんじゃそりゃ!」とものすごい肩透かしを食らわせられることもあります。
そして、逆に、
口ぱくアイドルと思ってなめてかかると、表現のあまりの濃さに、受け身がとれず打ちのめされてしまうことも多々ありそうです。