『グリッター』 お祈りソング
単発的なキーワードでこのブログにたどり着かれた方には、わかりにくいとは思うんですが、
このブログは、パフュームのファンになった、とある人物がどのようなこと考え感じているかの経過を記してあるものでして、
パフュームの資料あさろうとしても、ろくなこと書いてありません。
データ的には大概以下のレベルです。
非常に
申し訳ございません
某カリスマファンのブログに書いてあったことを読んだんですが、
『グリッター』は『ドリームファイター』の続編という意見は、のっちじゃなくて、あーちゃんのものでした。
一般人的には、『グリッター』の歌詞なんて、寝酒にチューハイ飲んだらシュワシュワみたいなもんなのに、
のっちは、自分がセンターの曲だから思い入れ強いのでしょうか?みたいなこと書いてますけど、
あーちゃんが思い入れ強いんですわね。
この方、vowowの広島公演が放送されたあとに、この歌、お祈りから始まって お祈りに終わる演出になっていることに着目されて、
この曲は、やっぱ、お祈りソングだわと結論されているんですが、
私も同感です。
わたくし、偉そうなこと書いて、人が見てないものを見たり、聞いてないものを聞いたりしているようなこと書いていますけれども、
この『グリッター』がお祈りソングだということに気がついたのは、日曜日のvowow見てからです。
PVでは、お祈りから始まるんですけれど、お終いは、変なポーズなんですよね。
かしゆか、びみょうに足が揺れとるぞ。
そこばっかり気になってしまう。そんで、けっきょく、かしゆかの太ももばかりに注意がいってしまう。
私のこのブログ、日付順に読まれている方はわかるとは思いますが、
わたし、パフュームのファンになったのって、三か月前で、それも、たまたまyoutubeで『グリッター』のPV見たことがきっかけなんです。
そんで、あまりにも、面白いんで、『グリッター』のPVを二時間ぶっ続けて見てたことから、パフューム中毒が始まるのですが、
その二時間ずっと『グリッター』を見ていた中での印象というのは、
パフュームの女の子三人は巫女であるというもの。
今になって見れば、
そういう印象って、そりゃ、当たり前だわな、と。
だって、この曲始めるときに、みんなでお祈り捧げているんだも
そりゃ、巫女に見えるわさ。
わたくし、このPVを二時間見続けて、
- パフュームの三人は巫女に見える
- 本来あるべきもの(つまりアーティストの自己表現欲求としての音楽)がここには無い
- 口パクでただ踊っているだけにも関わらず、女の子たちは音楽の核を構成している
そんなふうに思ったから、パフューム中毒体験が始まるんですが、
いい曲でパフュームのファンになれたよな、と、今では偶然に感謝する次第。
まあ、でも、そんでもですね、
『グリッター』がお祈りソングであるということは、どこの段階で、決定されたことなんでしょう?
中田ヤスタカさんは、分かってたことなんでしょうか?(多分、無意識よ)
PV作っている時点では、あーちゃんも分かっていないし、
この曲を地震復興ソングとして、売り出そうというセコい意図も無かったようです(一般人的には、寝酒にチューハイ飲んでシュワシュワって、そりゃ震災復興ソングにはならんでしょ)
わたくし思うに、パフュームってのは、各工程に区切られており
- 曲が作られる
- PVが作られ、あらかたの振り付けが決まる
- テレビ用に振り付けが再構成される
- ライブ用の演出と共に振り付けが再構成される
- 次のライブのために振り付けが再構成される
こういうプロセスの中で、パフュームの歌の意味って決まってくるのだろうな、と私は思っとる次第です。
チーム・パフュームの中で段階を経て湧き上がってくるものが、パフュームのメッセージであり、それぞれの工程を担当する人の思いがそれぞれの工程で強く反映されていくものだろうと、私は考えているのですが、
でも、
それ以上に大事なのは、パフュームをどう解釈するかという、一個人ファンの受け取り方なんだろうな、と。
結局それが最終最重要工程なんでしょう。
中田さんが、何思って曲書いたのか、あーちゃんが何思って歌って踊ったのか、PV作る人がどんなメッセージを考えていたのか、
そういう送り手側の言い分と同等、それ以上に、わたしたちの言い分が成りなってしまうのがパフュームなんでしょう。
パフュームって、それが楽しいんですわね。
巫女みたいに、やってる当人は、何をメッセージとして伝えているか無自覚だから、受け取る側は、いくらでもそのメッセージを味わい咀嚼することができる、っうことでしょうか。
んだから、パフュームのファンやってると楽しんだろうな、と。