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坂の上のパフューム Ⅳ  彼女たちはアンドロイドじゃなくて、

演劇って、舞台で、観客がいないフリをしながら演技をすることでしょ。

観客から、変なツッコミ食らっても鉄面皮に無視してやり通す、時には劇の流れを壊さないようにレスポンスすることはあるでしょうけれども、
基本的には、観客のこと無視している振りするわけです。

そういう不自然なことをしながら、舞台上では自然な演技をしてるつもりというお約束ごとなのですけれども、

能とか、歌舞伎の表現って、
その手の近代演劇の不自然さはないです。演じる方は存分に観客から見られることを意識して、それ故に、からくり人形のように舞うのですね。

観客に見られていないフリをするという不自然さを犯すか、
それとも
観客に見られていることを意識して、からくり人形のような不自然な動きをするか、
の違いです。


演劇が神への奉納から始まったとすると、演じる側は、どんだけ非日常的でも構わないだろうとは思うのですが、

なんなんでしょうね、
ギリシャ演劇って、奉納すべき神様がほとんど人間と同じですから、演技は自然で、観客を無視することにおいて不自然というスタイルをとったのでしょうか。

日本だったら、雲とか海とか山とか、八百万の神は人の形をしていない場合が多いですから、
そういう神に奉納するには、演技は不自然で、観客の目線を無視しきれない点においては自然というあり方なのでしょう。


私たちは、パフュームが、機械的でアンドロイド的で、ブレードランナー的で、そういうノリで海外で売っていけると思っていましたかもしれませんけれども、

日本の伝統、そして世界の演劇と演芸のおそらく多数派は、パフューム的な「イビツさ」があって当然なのでしょう。

パフュームがロボット的だというのなら、能や歌舞伎もロボット的と言い直すべきです。

もちろんそんな過去にロボットなんかなかったけどね。