思うこといくつか

自分のブログざっと読み返して思ったことなんですが、

スプリングオブライフの発売直前に ファンになり、それから二年半以上ファンやってきたんですが、
この間、自分はパフュームの現在進行形の活動に対して文句ばかり書いていて、
昔の活動に対して絶賛ばかりしている。

非常に後ろ向きなファンであるともいえるかもしれませんが、
自分がファンになってしばらくしてから、パフュームは峠を緩やかに下り始めたのかもしれない、そんな風に思っている次第です。

このブログ、書いたり書かなかったりの変動が激しく、去年今年としばらく書いていなかった。
つまり、関心が薄れていたことでもあるのですが、

ベビメタの興隆とクリンクリンのPVの二つから、パフュームに対して総悲観論の立場をとるようになりました。

ベビメタについてですが、

基本的に別のアイドルファンの間には険悪な空気が流れやすい。
それは、70年代以降のアイドルのあり方は、数限られた歌番組の席を奪い合うという歴史を持っているものであり、
他のアイドルがベストテンに出てくるようになれば、自分の贔屓のアイドルの出番が減る、そういうものでもありましょう。
これ、アイドルのあり方がテレビからネットや地下劇場に移った今でもなぜか続いており、
「キャラかぶっている」って言い方が活躍の場の取り合いの暗喩なのではないか。

また、アイドルのファンやっていることの、どこかに感じざるを得ないバカバカしさを省みることなく、他のアイドルのファンの姿のみに投影してしまう。

こういうの自覚して楽しんでる人たちもたくさんいるんでしょうけれども。

ベビメタなんて、振り付け師が同じであり、プロデューサーの小林さんはパフュームの横浜アリーナを見て「自分は同じ事をテクノではなくヘビメタでやってやろう」と思ったというくらいで、
ベビメタとパフュームのファンを兼任するのってものすごく容易いように私には思われるのですが、上にあげたような理由から、そうでもない。
パフュームファンの2割くらいでしょうか、ベビメタに対し好意的なのは。
ベビメタのファンでもパフュームに対してはおそらくそんなもんです。

そんで、ベビメタがこの一年間ですごい勢いで伸びてきて、遂にはパフュームが三年かかった海外進出を五か月程度でやってしまった。
その様子が報じられるのを見ていて、もしパフュームの海外公演が言われている通りの熱狂ぶりだったなら、ベビメタと同じような事態が後続しなくてはならないはずなのに、それがまるで起こっていなかったぞ。

ロンドンやパリで2000人規模の会場のライブが、日本でやっているときと同程度の盛り上がりだったとしたなら、
向こうのマスコミが報道し、その様子が日本に伝わるはずだし、当然アマゾンやアップルの配信チャートの数字も動くはず。それにyoutubeのコメント欄は英語やフランス語で埋まるはず。
フェスへの出演要請対バンの申し込みもあるだろうし、早期に追加公演の申し込みがいろんなところから出るはず。
向こうの有名人や関係者がツイッターでコメントするということもあるべき。

そういうの考えると、パフュームの海外進出って、成功とはいえないだろう、
そして収益出してないんだったら、これで打ち切りだろう。

そんな風に思ってNYのライブヴュー見ている人と、
そう思ってなくて「毎年この時期のライブヴュー楽しみにしてます。来年はどこからの映像が届くんでしょう?」危機感一切ない人とでは、

全然見方が異なってくるわけです。

もっと大胆に変化すべきだったのではないか?海外進出をさらなる成長のための機会としてもっと活用すべきだったのではないか?

そういう視点から見ても三年にわたった海外挑戦は、私には不満の溜まるものでした。

パフュームに今後、こんなおあつらえ向きの進化するためのチャンスってまた来るんだろうか?たぶん来ないだろう。

もしこれが椎名林檎だったとしたら、海外で成功しなかったとしても、国内での人気がじり貧になったとしても、彼女の才能そのものが摩耗していないのなら、どこかで踏みとどまることができるのですし、事実ここしばらくの椎名林檎ってそんな風に生き残ってきたのですが、
Perfumeの場合ですと、他の人から曲振付ギミックを借りたうえでの活動ですから、踏みとどまることのできるラインがほぼありません。

調子悪いから二年くらい休んでました、みたいな状況はありえず、
いまだに崖っぷちのはずなんですよね。

もう一つ暗い話を書きますと、演歌歌手のように固定ファンを軸にして昔のレパートリー大事にしてライブ中心の活動すれば、半永久的に生き残れるんじゃないか?という楽観論に対しては、

パフュームの楽曲って、ミニマム演劇みたいなもので、
推定16歳の女の子を主人公にした曲って、たとえばコンピューターシティですが、
16歳の女の子、もしくは16歳の女の子を演じても違和感のない年齢の女の子じゃないと違和感があるのではないか?
中年や老年になっても三人称の語り口で16歳の恋の物語歌う人たちとは、ちょっと違うのだろうと私は思っています。

横浜アリーナのコンピューターシティやセラミックガールのようなパフォーマンスが、今後のパフュームにできるのか?と思うに、
前回の東京ドームのパフォーマンスでは、コンピューターシティって懐メロ化していて、
女の子たちとファンが、かつてのことを思い出す曲にすぎなかったのではないでしょうか?

まあ、それでもチョコレートディスコはいまだ機能していますし、同様なコンセプトの美輪明宏はカツラかぶって厚化粧してでもパフォーマンスしますけれど。

20代後半になったら、その年齢にふさわしいミニマム演劇をステージで行っているのかというと、
ミニマム演劇路線自体消滅しかかっているのが現在のパフュームなのではないか?

このミニマム演劇路線って、日本語の通じない海外展開のためになんとなく立ち消えになっていった、それがこの二年半のパフュームの活動だと私には思われます。


パフュームも好きだという人がベビメタを見た場合、普通とは違う点に着目することになるのですが、

よろしかったら、この四分半のところをどうぞ。
『いじめダメ絶対』の冒頭のところで、ユイモアがクラウチングスタートからステージ周囲を全力疾走する箇所ですが、
私にはベビメタとパフュームの違いの象徴のように見える箇所です。
そして今すごい勢いで伸びているベビメタを象徴するかのようなシーンでもあります。

パフュームと違ってベビメタは平底靴ですから舞台全力で走ることができるのですが、ハイヒールのパフュームにはそれができません。
また、ベビメタの振り付けはユイモアに関しては単なる左右対称ですし、曲の詞と絡ませる部分も少なく、アドリブ入れたり、その日の演出をいじることのできる自由度がはるかに高い。
それと比べると、パフュームってプログラムこなす人形のようなパフォーマンスで、そのこと自体が悪いわけではなく、能や浄瑠璃と比して語るファンもポツポツいることからよくできた仕組みなのでしょうけれども、パフューム頭打ちの大きな原因をなしているように私には思えて仕方がありません。


以前このブログの中で書きましたけれども、
パフュームの芸って、本当はスピードみたいなアイドルになりたかった女の子から歌を奪い、詞も書かせず、ロボットみたいにかくかく踊らせることによって完成していったものですが、
最後にはピンヒールはかせて動きの自由度さえ大きく奪ったわけです。

むろんこの方法論が正しかったことはパフュームの国内での成功の大きさが示すところですけれども、海外展開のグダグダをみるにつけ、奪ったはずの三人の自由を少しずつ返してやることが必要な時期なのではないか?

そんなことしていったら、人気が上がるのか?というと、おそらくそれでもじり貧が続くとは思うのですが、
そのような展開なのでしたら、私のパフュームに対する未練はまだ残るといった感じです。

スウィートリフレインとかくりんくりんがまだ続くようですよ、ほんとに解散しちゃえよと思う次第です。