時間
下書きみたいなもんです (というか下書きですが)
時間というものをポップミュージックで表現しようとするとき、
どうしても、それは、アナログ時計、それもぜんまい仕掛けの時計を模写したような音にならざるを得ないものなのでしょうか?
「きっと僕らが生きている証拠だから」の箇所で、心臓がバクバクするようなゼスチャーがありますが、
その前に、のっちとかしゆかが時計回りにひじから先を回して、
あ〜ちゃんは逆時計回りなんですが、
私には、この動作は、ずっと、時計の歯車に見えていました。
時計ができるまで、人は時間を心臓の鼓動の回数で量るか、太陽の傾きで量るかぐらいしか方法がなかったわけです。
勿論そんな量り方をしていると、諸々のズレが生じてきますから、
みんなで分刻みの集団行動はなかなかできなかったわけです。
第一次世界大戦の砲撃戦で、将校以上が正確な腕時計を持ち砲撃の時間と突撃の時間を正確に把握していた、というのは、実に近現代の時間の在り方なわけです。
そして、
時間って、本当は人の心臓の中とおひさまの光の中にしかなかったものなのに、
気が付いたら精密機械の中にあるはずのものになっていたんですね。
だから、スライにしてもデビッドボウイにしても、Timeという曲は時計の振子を思わせるリズムなんでしょう、というか、少なくとも音で時間を表現するにはそれしか方法がないのでしょう。
Perfumeの場合は 身体を使っての表現ですから、三人で時計の針と歯車の動きを模した後に 心臓のバクバクする動きへと流れます。
あたかも、時間とは命のことであり、それは自分の心臓の鼓動の回数でしか測れないといわんばかりに。